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2、対立する研究所

 研究室の自席にいても落ち着かなかったため、沙代は近場の喫茶店へと移動していた。藤野も無言のまま少し遅れてついて行き、沙代が座ったボックス席の後ろの席に腰を下ろしている。

 富重博士から聞いた話によると、朝から晩まで護衛につくようだ。先方の研究所がどんな手を使ってくるかが不明確なため、その判断に至ったらしい。ずっと護衛されるのは気が散るのではないかと思ったが、多少距離をつけて見守られているため、藤野の気配はほとんど感じられなかった。

 アイスティーを注文し、一枚のタブレット式PCを鞄の中から取り出す。起動して、前回までに思いついた披露会で行いたい実験の一覧を眺めていた。

 断りたいと思いつつも日が経過してしまい、仕方なく実験案から練り始めている最中である。周りからの期待や重圧に押し潰れそうになりながら、必死に考えあぐねていた。

 式典当日の技術披露会の特徴を改めて見直した。

 まずは持ち時間が少ないということ。研究発表会である一般的な学会では十五分程度が主流だが、今回は十人の発表を一時間以内に終わらすため、五分強しか持ち時間はなかった。さらには研究発表ではなく、技術を披露する会。つまり学会とはまったく別のものとして取り組み、説明などほとんどせずに実践に入る必要がある。

 また会場が広いということ。教室一つ分ではなく、大ホール以上の大きさだ。村松市長を始めとする審査員は発表者の近くにいるため、彼らのことだけを考慮すれば小規模なものでもいいが、披露会に招待された他の人たちのことも考えると大規模なものが良いと考えられる。なるべくなら多くの人から好評価を得られれば、雰囲気も後押しして審査員からも良い言葉がかけられるはずだ。

 そして最大の特徴が他の研究所の参加者たち。各分野で知られた若手研究者が勢ぞろいしており、多種多様な内容になるのは目に見えている。そのような中で突出したのを出すのは、かなり難しいところだ。

 運ばれてきたアイスティーを飲みながら、沙代は喫茶店の端にある、ニュースが流れている薄型テレビに視線を移した。

 ちょうど村松市長のことが放映されており、市長選の最中に起こった彼の悲劇について紹介されている。彼が市長になったのは十一ヶ月前だが、その前、今から約一年前に彼の十歳の愛娘が車にはねられて死亡するという、居た堪れない事故が彼を襲ったのだ。

 市長候補を辞退させようという事件ではないかと噂されたが、事故を起こした相手もハンドルを切り損ねて壁に当たって死亡し、被疑者死亡の事故として処理されたため、真実はわかっていない。

 市長は憔悴してしばらく人々の目の前に出てこなかった時期もあったが、娘の死を無駄にしない未来を作るために市長になろうと再決意した結果、見事当選したのだ。

 その後十一ヶ月間、村松市長は支持率を高い位置に維持したまま今日に至っている。

 そして幸か不幸か娘の一周忌の日に、市の誕生式典、つまり沙代が発表する披露会が開かれるようだ。それに関しても念のためにメモをしておいた。

 テレビに夢中になっていると、目の前に空いていた席に一人の少年が断りもなく座った。一瞬見えた髪の色からある人物を想像し、眉間にしわを寄せながら沙代は目の前にいるくすんだ赤毛の少年に鋭い視線を送る。

「何かよう、丹波(たんば)

 赤目の少年は右肘を机にたてて、にやりと口を釣り上げた。

「こんにちは、古田。たまたま通りがかったら、君が見えたから挨拶をしようと思っただけさ」

「挨拶なんて白々しい。どうせ私を馬鹿にしに来たんでしょう」

「まさか。僕より優秀で静山谷研究所に推薦で入った君をどうして馬鹿にする?」

 そう言いつつも丹波は口元を緩めて歯を見せて、にやにやと笑っていた。

 沙代は口を閉じ、下から目線で丹波を見据える。彼はその視線をものともせずに、おどけたように手をひらひらと横に動かした。

「そんなに怖い顔しないでよ。僕としては深川原(ふかがわら)研究所の方が肌にあっているみたいだからさ。……今回はちょっと忠告しに来ただけだから」

「忠告?」

「発表するネタがないなら、早く辞退した方がいいんじゃない? どうせ君に期待している人なんていないんだから」

「――もし辞退しなかったら?」

「さあね。どうなるかは僕も知らない。……じゃあね、古田。また元気な姿で会えることを楽しみにしているよ」

 鎌を掛けたつもりだが、丹波はそれに引っかかってはくれなかった。店員が水を持ってくる前に彼は立ち上がり、鼻歌を交じりあいながら沙代の横を通って店から出ていった。

 自動ドアが閉まったのを耳で感じ取ると、沙代は膝の上で拳をぎゅっと握りしめる。爪で皮膚が食い込むのも構わず、力強く握った。

 丹波の言い方に腹が立ったのもあるが、それよりも沙代自身に対して苛立ちを感じたからだ。

 やがてアイスティーを一気に飲み干して、喫茶店を後にした。



「あの少年は深川原研究所の若手部門の代表者か」

 道すがら、藤野が後ろから声をかけてくる。沙代の交友関係を把握するのも必要だと思い、質問してきたのだろう。その問いに対して感情を押し殺して返答する。

「そうですよ。私と同じ高校の同級生で、私の代では最も優秀だったのが丹波秋介(あきすけ)。静山谷研究所の推薦も彼が取る予定でした。……しかし、私がたまたま面白い実験結果を出してしまったために、彼は仕方なく深川原研究所の推薦を受けるしかなかったのです」



 静山谷研究所と深川原研究所は、希野市の二大研究所として有名である。だがどちらかと言えば、静山谷研究所の方が若干多くの成果を出し、実験設備も多少いいため、よりよい研究をするためにこちらを選ぶことが多い。もちろん深川原研究所も良い点はたくさんあり、どちらがいいとははっきりと言えないが。

 そのような中で、二大研究所では暗黙の了解があった。

 決して片方に優秀な人材を偏り過ぎてはいけない――と。

 切磋琢磨に研究しあうことで、さらにレベルの高い研究をするのが目的らしい。

 その影響で高校の推薦枠は、一番と二番の成績の人を別々の研究所に入れるのが常であった。

 丹波は父が静山谷研究所にいることも関係して、昔からそこに入ることを強く熱望しており、そのために首席の成績を出し続けていた。だが沙代が突飛もない研究をした結果、推薦を検討する段階で、彼は二番手と下がってしまい、深川原研究所へと行かざるを得なくなってしまったのだ。

 思わぬところで弾き出された丹波は、たった一つの実績しかない沙代に怒りと嫉妬の感情を抱くようになった。

 そのような経緯があり、彼は会う度に嫌みを多数こぼしていくのが日常になっている。



「静山谷と深川原研究所は昔から張り合ってばかりなんですよね。おそらく昼間に私を狙った人は深川原研究所から依頼された可能性が高いでしょう」

「それは富重博士からも聞いている。周囲のレベルが高いならば、周りのレベルを下げるのが、世間でも使われている定石手段だ」

 さも当たり前のように藤野は言葉を発する。その言葉を聞いて沙代は視線を下に向けた。使い古された靴がコンクリートの上を進んでいる。

「レベルが高ければ……ですか」

「お前はいつも謙遜の言葉しか出さないんだな」

 ばっさりと言い切られ、沙代は顔を上げてむっと口を尖らせた。


「当然じゃないですか! たった一つの偶然で得た結果しか私にはないんですよ。世間様が思っているよりも私は全然優秀じゃない!」


 そう言葉を吐き散らして、沙代は市で最も大きい図書館へ続く階段を登り始める。非常に大きな図書館で、絵本や小説から専門書まで幅広く置いてあるところだ。場合によっては簡易的な実験をできる部屋も借りることができる。

 藤野は黙々と進んでいく沙代の小さな背中を見て、さらに図書館の全体を眺めて頭をかく。そして彼女の後ろを数歩遅れてついて行った。



 夕暮れ時、沙代は昔の蔵書を何冊か借りて図書館からでてきた。

 データで残っているものは、タブレット型PCに文章を登録しておいた。データ登録のものは約二週間の期限があり、それを越えると自動的に中身は消去される。無料で登録できるが、それが悪用されないよう一つの図書館でのデータ登録数と期限が設定されているのだ。

 沙代は重い鞄を抱えながら、頭の中で思考を巡らしていた。

 図書館で調べた成果は僅かと言ったところか。

 期間が特に決まっていない研究であれば、大きな一歩となるだろうが、あと一か月という押し迫った状況の沙代にとっては複雑なものだった。

「やっぱりこれで勝負するしかないのか……」

 蔵書の一つには、様々な色の光を発生させる仕組みが載っているものがある。

 かつて沙代が大発見したのは、物質と物質を掛け合わせて発生させた超小規模な太陽のようなもの。

 それを応用して、様々な光を発する球を作り出せないかと思ったのだ。

「けど問題点はあるのよね。あの研究は既に世間で広く知られている。それとあまり変わらないものを披露しても、良い評価は得られない」

 ぶつぶつと呟きながら、モノレールを駆使して街の外れへと移動していく。

 藤野は何も言わずについてきてくれるのが、思考をしている最中の沙代にとっては有り難かった。

 大衆にも見せるのだから、大規模に行えるものにしたい。丹波や他の研究者が何を披露するかはわからないが、あまり小規模なことは行わないだろう。

「丹波の得意な分野はロボット工学だから、それで仕掛けてくるはず」

 独り言を漏らしながら、モノレールを降りて小さなアパートに向かって歩いていく。その間、藤野は丹念に周囲を見渡していた。まだ護衛する気のようだ。沙代は苦笑しながら彼に話しかける。

「今日はもう部屋から出ませんから、護衛は大丈夫ですよ。指紋認証付きのオートロックのアパートなので、追っ手も入れません。どうぞ職場にお戻りください」

「いや、部屋まで送っていく。事前に侵入して住民を襲うという場合もよくある」

「それはセキュリティがそこまで発達していないところではないですか? 大丈夫ですよ。私しか解けない三段階の鍵に、廊下には防犯カメラ常備。侵入する隙などどこにもありませんから」

 沙代はきっぱり言い張ったが、藤野は渋い顔をしたままだった。だが彼女が一歩も前に進まないのを見て、やれやれと肩をすくめる。

「……わかった。アパートの入口まで連れ添おう。だが何が起きるか本当にわからない。部屋が取れ次第、夜も近くにいる」

 そう言って、藤野は一枚の電子カードを手渡した。連絡先を交換する際に渡す名刺のようなものだ。

「俺の連絡先を登録しておけ。何かあったらすぐに駆けつける」

「ありがとうございます……」

 沙代はカードを受け取って、それを時計の上にかざした。ぴっと電子音がする。小さなホログラムが現れ、“藤野誠一の連絡先登録”という文字が映し出された。完了したのを確認し、彼にカードを返すと頭を下げた。

「すみません、気を使わせてしまい」

「だから構わないと言っているだろう。これが俺の仕事だからな。――考えたりするときは他人がいるとやりにくい。俺も一人の方が集中して物事に取り組みやすかった」

 目を丸くしながら沙代は藤野と視線を合わせる。

 まるで彼がかつて思考力や発想力を問われることをしていたような言い方だった。

 護衛の仕事は対象者がいて初めて成り立つ。一人で黙々と集中して取り組むのとは少々違うため、以前は別の職に就いていたのではないかと薄々察せられたのだ。

 まだ若いのに転職をしたのが気になるが、出会って一日しか経っていない彼にそれに関して問うのは憚られた。

 沙代は深々とお辞儀をして挨拶をしてから、アパートの中へと入っていった。



 玄関と各部屋の入り口に備え付けられている二段階の指紋認証、さらには合い鍵が作れない形となっている鍵を差し込むことで、沙代は部屋の中に踏み入れることができた。鍵をきちんとかけて、扉を閉める。

 式典にでるのが決まってから、朝から晩まで何を披露するか思考を巡らせてばかり。

 家のことは洗濯や食器洗い等最低限のことしかしておらず、自室に入ると本で溢れていた。センサーが反応して電気がつくと、カーテンを閉めるために窓際へと歩いていく。目の前のことしか集中してなかったため、細かな変化に気づくのが遅れた。

 カーテンを閉めて振り返ると、目の前に黒い目だし帽を被った男性がいるのにようやく気づいた。

「えっ……」

 男に右肩を左手で強く捕まれ、その勢いのまま反転されベッドへと押し倒された。強い力が肩にのし掛かる。

「ちょ、だ、誰か!」

 逃れるために必死にばたつき、叫ぼうとするが、口元を左手で塞がれ、声を出すのも困難になる。小さな呻き声が漏れるだけだ。

 声を出すのは無理と悟り、震える右手を左手首に伸ばして連絡先が載っている時計に触れようとしたが、その前に体を跨がれ、手が足で押しつぶされた。

 男は腰からナイフを右手で引っ張り出す。その先端が胸元に伸びる。

 沙代の目からはうっすらと涙が零れ落ちた。


 本当にどうしてこんなことに――。


 甘すぎる愚かな自分を呪った。

 大人しく藤野の言うことを聞いていれば良かった。まさか自分がここまで狙われるとは思っていなかったのだ。

 口をぎゅっと噛みしめる。

 そしてナイフが服に触れ――る前に激しい音を立ててドアが突き破られた。

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