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1、沙代と藤野

「あの……あなたはいったい何者ですか?」

 二十歳より少し若い少女が、目の前にいる全身黒ずくめの人間に恐る恐る問いかける。体格からして男だろう。その男は何も答えずに、一歩少女に歩み寄った。彼の口元はマスクで覆われ、眼もサングラスをかけているため、見た目だけで誰かと正確に判断するのは困難だった。

「ええっと、しかもこんな路地裏に追い込んで……。あの、だからどちら様ですか?」

 黒ずくめの人間を少女は眼鏡越しから黒い瞳で睨みつける。黒髪の先は癖毛なのか、多数跳ねている箇所があった。

 少女の問いから数瞬して、黒ずくめの人間はポケットの中から一本のナイフを取り出した。笑っていた少女の顔が硬直する。気温が暑い中出た汗か、もしくは緊張の汗が一筋頬に流れた。

「そ、それで私を刺すの?」

 男は何も言葉を発さず、先端をちらつかせながらさらに一歩近寄った。少女は一歩下がるがそこは行き止まりであり、背中が壁に当たってしまった。

 高い建物に囲まれた路地裏に他の人の気配などまったくない。大通りでは燦々と太陽が照らしていたはずだが、この場所では僅かに射し込む程度で、光の加減もかなり弱まっている。

 男が着実に歩み寄ってきた。少女は視線を左右に向けて、必死に逃走経路を考える。だが硬いコンクリートで囲まれ、ドアもないこの場所では突破口など見あたらなかった。少女はふるふると顔を横に振った。

「ど、どうして私を刺すの? 私、何もしていないよ? 地味に日々生きていて、ちょっと目立ったりして、その時に多少迷惑をかけたかもしれないけど、殺されるほどではないというか……」

 男は歩み寄る速さを徐々に上げていく。数秒もすればナイフを振り落とされるというところで、少女は声高く叫んだ。

「私が何したって言うのよーー!」

 ナイフが振り下ろされ、とっさに目を瞑った。次に感じる激痛を覚悟する。

 だがその前に、驚いた男の低い声が耳に入ってきた。

「何だ、お前?」

 少女は目を開けて、目の前の光景を直視する。少女の前には焦げ茶色の髪で黒いスーツを着た背の高い二十歳前後の青年が立っていた。その大きな背中によって襲ってこようとした男の表情は見えないが、声からして慌てているのは察せられる。

「ここで引け。そうすれば怪我はさせない」

 青年が端的にその言葉だけ発する。だが男は引き下がらず、ナイフを真っ直ぐ突き出す。

「断る」

古田沙代(ふるたさよ)研究員を襲うよう指示されたのか。他の研究所からの指令か?」

 名前を出された沙代はびくっとした。両手をぎゅっと握りしめる。

 そして同時に出された他の研究所という言葉。

 狙われる理由は――薄々わかった。

 男は沈黙を貫いており、口を開こうとしない。青年はその様子を見て、肩をすくめつつ、右手を軽く前に出して手で拱く。

「俺を倒してから彼女を――」

 その言葉が終わる前に、男は青年の胸元めがけて突き出す。だが青年は顔色一つ変えずにかわし、男の手元を握りしめると、ナイフを膝で叩き落とした。そして男を自分の傍にまで引き寄せ、堅く握りしめた拳を腹部に入れ込んだのだ。

 男は呻き声を発しながらその場を後退していく。

「次は腕を一本へし折ろう。それでも諦めないのなら、足でも肋でも折ってやろうか?」

 殺気がこもった青年の言葉は非常に説得力があったのか、男は少しずつその場から離れる。青年はその様子を眺めて溜息を吐き、手を腰に当てた。

「依頼者に言っておけ。せこい真似しないで、実力で彼女を潰しにいけってな」

 男はある程度離れると、背を向けて一目散にその場から逃げた。

 危機が去ったと察した沙代は腰が抜けてしまい、その場にしゃがみ込んでしまう。青年は面倒そうな表情で彼女を見下ろしていた。

「ありがとうございます、助けてくださって……」

「お前の上司から依頼されただけだ」

「上司? 富重(とみしげ)博士のことですか?」

「そうだ。どうやら連絡されたメールを見ていないようだな。……お前を大会まで護衛するよう頼まれた、藤野誠一(ふじのせいいち)だ」

 藤野は手元から警察手帳と、富重博士のサインが書かれた護衛依頼書を沙代の前に出した。依頼書を手に取り、富重博士の筆跡を指で辿る。特徴的な文字の起伏や跳ね方は博士のものだ。

 本当に護衛を頼んだのかと思い、依頼書をずっと見続けていると、藤野は眉間にしわを寄せて、あからさまに溜息を吐いた。

「アホ面して座っていないで、早く研究所に戻るぞ」

「な……!?」

 出会って間もない人に侮蔑の言葉と視線を送られ、沙代は一瞬固まったが、すぐに怒りが沸点に達し、飛び上がるように立ち上がった。

 藤野が歩き出したのを見てついて行くか躊躇ったが、沙代を傷つけようとしたナイフが落ちているのを見て、鳥肌が立った。そのナイフを見ながら距離を置いて移動し、ナイフから離れると逃げるように藤野の後を追った。



 科学技術が発達し、人々の生活がさらに劇的に変化した、第四次科学革命から早三十年――。

 徹底的なカロリー計算や健康状態等のデータ管理により、悪いところは早急に治し、老後も元気に生き続けている人が増えたおかげで、人間の寿命が長くなり、死がさらに遠い存在に感じるようになっていた。せいぜい死を悼む時は、突発的な事故死くらいのものだろう。

 一時期は乗り物も多数発達し、家の中でさえ足を動かさない人がたくさんいたが、それによって人間の筋肉が衰退し、不健康な人が増えてきたため寿命が短くなりつつあった。

 それを考慮して、極力自分の足で動くようになり、今も沙代と藤野は自分の足とモノレールを駆使して、研究所まで移動している。

 モノレールの駅に辿り着くまでは、うだるような暑さで体も重くなっていたが、冷房がきいた車内に乗車した途端、生き返ったように感じられた。真夏の日には迂闊に外には出ていけないものだ。

 ふと視線をモノレールの窓の外へと向けた。窓の外から流れる景色は道路を歩く人、走る電気自動車、多数の高層ビル、人工的に作られた木など、一見すれば自然豊かな近代都市が広がっていた。だが下から上まで代わり映えのない高層ビルや、木や植物が自然由来のものではないと知れば、その風景は一転して見えるだろう。

 ここ希野(きの)市は科学技術をさらに効率よく発達させるために作られた人工都市であるが、実は良くも悪くも整えられすぎている都市だったのだ。

 沙代は腕時計を見て、右上で光っているボタンを押す。そこからホログラムが現れ、文字が浮き上がる。その一つに触れると一連の文章が現れた。

 それを読むと三歩離れた位置にいる藤野を見て、頭を抱えてしまう。

 富重博士からの電子メールが、沙代のところに数時間前に入っていた。ちょうどパソコンを使って調べ物をしている最中に届いたもので、「これから一ヶ月間護衛についてもらう者を向かわしたから、途中で落ち合うように」という内容と藤野の連絡先だった。その後、何件か富重博士や藤野からの電話が入っている。図書館で有益な資料をいくつか得て上機嫌だったため、ついついメールの確認を忘れてしまったのだ。

 富重博士にも藤野にも悪いことをしたなと思いながら、沙代はボタンを再び押して、ホログラムを消した。

 外を見ればもうじき最寄り駅である。モノレールはカーブをゆっくりと曲がり、振動をたてずに静かに到着した。

 改札から出れば、すぐ目の前には沙代が所属している静山谷(しずやまだに)研究所がある。

 その研究所は希野市の二大研究所として有名であり、高校もしくは大学を卒業する時に事前に推薦を得るか、超難関試験を受けて突破するかのどちらかで入ることが許される場所だ。

 研究者志望や科学に親しみがある高校生であれば、大学ではなく第一に考えられる進路先であり、沙代も例外に漏れずにその一人だった。高校を卒業したら、大学と並行して受験をしようとは思っていた。

 だが幸運なことに、試験を受けずに推薦で突破してしまったのだ。

 沙代は門番に会釈をし、ガラスドアの傍にある指紋認証機械に手をかざした。高い音を出してドアが横にスライドする。藤野も客人用の認証カードを既に得ていたのか、同様の行為をして難なく入れた。研究所に入ると、そこは白衣で来た人たちが廊下を行き交っていた。

 沙代は顔見知りの人には会釈をしながら、二階にある奥の部屋へと移動する。その間、藤野は研究所の中を珍しそうに見ることなく、沙代の背中をじっと見つめていた。

 居心地の悪い視線に耐えながらも、研究室の一室に入り込んだ。

「ただいま戻りました!」

「古田、無事だったか!?」

 うっすらと白髪が見え始めている白衣を着た小柄な中年の男性が、沙代を見るなり駆け寄ってきた。後ろにいる藤野を見ると、上から下までじろじろと見る。

「君が――」

「富重博士から依頼を受けて警備課から派遣された、藤野誠一と申します。本日、彼女と合流しようとした際、追っ手が現れましたので対処しました」

「……既に追っ手が放たれたのか……」

 富重博士は深々と溜息を吐く。そして彼は二人を博士の居室へ来るよう促した。

 研究室の中を歩いている最中、他の研究生から好奇の目で眺められる。藤野という見知らぬ青年がいるせいだろうが、一部に感じられる嫌悪の視線も感じずにはいられなかった。

 ぎゅっと拳を握りしめ、沙代は自問自答した。


 なぜ、自分が選ばれてしまったのだろうか――と。



 居室に連れてこられると、富重博士は書類が積まれた机の奥にある柔らかな椅子に腰を下ろし、一つの紙の束を差し出した。

「古田、自分が狙われた理由はわかるか?」

 紙の束に載っている文面を見て、沙代は首を縦に振る。

「……今度開催される、希野市の誕生式典で、私が静山谷研究所の若手代表として科学技術を披露することと関係がありますね」

「そうだ。その披露会で最も気に入られた研究所には、市から多額の寄付金が出されることになるからな。たとえ若手部門だとしても、その金額は侮れるものではない。他の研究所も死にもの狂いですばらしい技術を披露してくるだろうが、同時に他を蹴落としたくもなるだろう。おそらくその一つとして沙代に追っ手が放たれた。事後処理の最悪の影響を考慮して殺しはしないだろうが、大怪我くらいはさせにくるだろう」

「……どうして私なんかに追っ手を放つのでしょうかね」

 ぽつりと本音を漏らすと富重博士は淡々と言い返した。

「それは当然だろう。近年稀にみる高いレベルの研究を高校時代にして、推薦でここに入ってきたんだから」

 富重博士の言葉は沙代にも否定できない事実だった。



 高校時代の生活は、ただ思いついたことをひたすら実験してみる楽しい日々だった。

 これを燃やせば何が起こるのか、これとあれを組み合わせることでどんな物質ができるか等、自由気ままに実験をしていた中、偶然発生した産物が沙代の人生の一角を変えたのだ。

 その産物とは、手のひらに乗る程度の小ささだが、太陽と似たような非常に目映い光を発生させる物質。

 あまりの明るさに直視した者たちは目がくらんでしまい、しばらくまともに瞼を開けることが困難だったらしい。幸い沙代は光を発生させる物質を作っているとは自覚し、サングラスをかけて実験していたため事なきは得ていた。

 不思議な光を発するこの物質は何だろうかと推察している中、いち早く突飛もない実験結果を聞き付けた静山谷研究所の富重博士が意気揚々と現れたのだ。この物質を利用すれば、エネルギー問題は一挙に解決される可能性があると示唆しつつ、その再現性を確かめたいと言い、沙代から手順などを聞き出して一度研究室に戻っていった。やがて再現性が確認されたことで、その実験は偶然ではなく必然的に起こるということが立証されたのだ。

 その後沙代は慌ただしく研究論文を書き、それが受理された頃に静山谷研究所から推薦枠を頂いたのだった。



 おそらくそれらの経緯があるから、今度の式典の披露会でもとんでもない技術を発表すると悟られ、周りから警戒されているようである。

 沙代は無造作に跳ねている髪をいじりながら、心の中で嘆息した。

 ただの偶然で入所できたのだから、この研究所で地道に実験して、いつかしっかりした成果を出して立場を認めてもらおうと思っていた。

 だが、まさか入った早々にこんな役目を当てられるとは……完全に予想外である。

 二十三歳以下を対象とした若手研究員の技術披露会。二十歳前後の優秀な研究者は静山谷研究所内にはたくさんいるため、もしここで成果を出さなければ、沙代の立場は確実になくなる。


 しかし環境の変化に順応するので精一杯で、研究所に入ってから実験などほとんど行っていない。

 誕生式典まであと一ヶ月。

 その間に成果を出すなど、空から何か妙案が降ってこない限り、はっきり言って駆け出しの研究者にとっては難しすぎる。


 半ば自棄になりながらも、富重博士から今後の注意事項を聞き、沙代は藤野と共に部屋を後にした。

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