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水中夢   作者: 野々峰 杏仁
1章 水底の記憶
4/10

4

鳥のさえずり。蝉の鳴く声。

川の流れる音が聞こえている。


数十センチくらいの深さに足を沈めながら会話をする2人の子供。

夏休みはいつまでなの。今度は海に行こう。花火大会は浴衣を着るんだ。

そんな他愛の無い話をしながら、彼らは穏やかな時を過ごす。


傍らで話を聞いていると、一つ妙に気に掛かる言葉が聞こえた。


『水の底にはもう一つの世界に繋がる道があるんだよ』


『其処に暮らしている人は皆優しいから、絶対に甚君を苛めたりしない』


『だからね、大人になったら二人で其処に行こう』


『約束だよ?』


どこかで聞いたことのある話だと思った。

それにその声はとても懐かしい。即視感と言うやつだろうか。

昔どこかでこれに似た光景を見ているような気がする。


川の淵に腰をかけて、体が触れそうな位の距離で手を重ねている。

その光景を黙って見つめていた。

自分の事ではないのに不思議と満たされた気分になる。


平和な時間。大人になった今それがとても大事なことだと気づいた。

そんな時間を彼らは何を考えながら過ごすのか。

純粋に羨ましい。自分もそんな日々に戻れたら。


過ぎ去っていくときの流れは酷く残酷なものだと思った。




「……」




目を開ける。目の前には見知らぬ天井があった。

視界から外れた場所にある淡い橙色の電灯。それが白い壁を照らしている。

いつの間に眠ってしまったのか。俺はベットの上に居た。


ここは、どこだ。

首だけを動かして辺りを見回す。見覚えのない部屋だった。


全体を白と黒を基調とした家具で統一している。

カーテンやカーペット等は青を差し色に使っていた。

何となく落ち着きのある雰囲気の部屋だと思う。


ふと、身に着けている服が目に入った。

上下が黒無地の寝巻きだ。こんなものを着ているという事はここは自分の家なのか。


先程まで何をしていたのだろう。眠る前の記憶が酷く曖昧だった。

もう一度部屋を見る。自分以外の人の気配は全く無い。


一人で住んでいたのだろうか。こんな広い部屋がある家に。

何と無く居心地の悪さと違和感を感じて、ベットから降りる。


かと言ってこのままじっとしているのも落ち着きそうに無い。


(……昨日は何をしていただろう……今日は何日だ……?)


日付すらも曖昧になっている。

こんなに物忘れが激しかった覚えはないのだが。一体どうしたと言うのか。


悩んでいても何も思い出せそうにない。とりあえず、水でも飲めば落ち着くのではないか。そう思い立ち上がろうとすると酷い目眩がした。

耐えきれずにその場に屈み込む。


先程まで寝ていたのだから寝不足ではない。だとしたら貧血か何かか。

でも目がくらんだと言うよりは体から力が抜けていった。

そう言った方が正しいように思える。


困惑しながら手を後ろにつくと右手に固い感触が触れた。

手の下を見る。下敷きになってるのは黒いフレームに縁取られた写真たて。

何故か床に伏せた状態で置かれている。


手に取ってそれを見る。中には5、6才くらいの少年がの写真が入っていた。

何処かでこの子を見た事があるような。俺の子供だろうか。

でも自分の子供だったらいくらぼんやりしてるとはいえ忘れるはずが無い。


彼を見たのは……そう、ほんの少し前。

夢の中に出てきた気がするのだ。


栗色の艶のよい髪。透き通った藍色の瞳。

明るい声で、楽しそうに話す。そんな姿をずっと見ていた。


なけなしの脳を回転させていると部屋の一番左奥にある扉が開いた。

反射的に写真を元の位置に伏せておく。

人が居たのか。そう思いながら扉を見つめる。


「あっ、おはようございます、目が覚めたんですね」


耳障りとまではいかないが寝起きには少々煩く感じる声が響いた。


現れたのは見たこともない男。誰だろう、こいつは。

橙色の肩まで伸びた髪。薄い青色の瞳。写真で見た少年の面影があった。

成長して少し無骨になった輪郭が大人っぽさを感じさせる。


男は人懐こい笑みを向けながらこちらに近づいてくる。

距離を取ろうと後ずさりした。がすぐ後ろは物が置いてあった。

すっかり忘れていたが。


「よく眠れましたか?気分はどうです?お腹は空いてませんか?」


表情も変えず親しげに話しかけてくる。

楽しそうな顔を見ていると何となく困った。

男の姿に見覚えは無いのでどう返事を返すべきか。


「ええと……お邪魔してます……?」


一瞬、沈黙が流れた。気がする。

まずい事を言ってしまったか。内心どきどきしていると目の前に居た男が屈んだ。俺の額に手を当てている。


「まだ、気が動転しているんですね。僕もびっくりしましたよ。衰弱しているあなたを見つけた時は……」


心配そうに見つめられて、思わず照れくさくなる。


「いや、ええと……」


すいませんが、記憶がはっきりしないんです。とはとても言えない。

返答に困っていると不意に背中に手が回された。


「あ、あの……ちょっと……」


急に抱きつかれて驚く。先程からスキンシップが多すぎやしないだろうか。

恥ずかしさが限界に達して、男の肩を思わず押し退けた。

不思議そうにこちらを見ていたがはっとした顔をした。


「ああ、お腹が空いているんですね。そうですよね、3日間ずっと眠ったままでしたし……」


今の流れでどうしてその結論に至るのか。と言うか俺は3日も眠っていたのか。衰弱していると言っているが、どういう経緯があったというのだろう。


「早くしないと食事も冷めてしまいますね、下に行きましょうか。」


俺としては食事よりも現状に至る理由が知りたい。

そう思って呼び止めようとした。さりげなく腰に手を回されるまでは。


「おい、お前……何のつもりだ」


状況が飲み込めていないだけに今の行為は物凄くいただけない。

驚いてその場に立ち止まってしまった。


「どうしました?早く行きましょう?」


何事も無かったようにこちらを見ている。

今の行為は何の気なしにやった事なのだろうか。


(なんだこいつ……ものすごく馴れ馴れしくないか)


多分初対面である筈の人間に腰を触られて迷わずに手を払おうと思った。

だが、その行為に悪意は感じられなかった為、毒気を抜かれてしまう。


俺はどうするべきなのか。目の前の男を見つめながら困り果てた。

どう見ても彼が俺に何かするようには見えない。


屈託の無い笑顔の青年。人は見かけによらないと言うから断言は出来ない。

だが、やましい事があるならベットの上に寝かせるだろうか。

それ以上に個室で見知らぬ人間を一人にしたりするだろうか。


もし俺が極悪非道な盗人だったら。金目のものを盗んで逃げるとは思わないのか。

悩み続ける俺を青年は黙って見ている。

身長は俺よりもはるかに高い。20センチ以上差があるだろう。

体に不釣合いな幼い顔立ちをしている。

見た所20代前半から後半くらいだろうか。


「ほら、行きましょう?」


痺れを切らしたのか青年が強引に腰を引いた。


「あの……離してくれないか。」


下手に青年を怒らせて逆上されたくない。

でも、どうしてもあまり触られるのは嫌だった。

出来るだけ落ち着いた口調でお願いする。


だが、人の話を聞いていないのか。

さらに腰が引かれて下半身が密着する。

ここまでされると恥ずかしい以上に気持ちが悪い。


「いい加減にしてくれ、何なんだ一体」


だんだん腹が立ってきて思わず彼を突き飛ばしてしまった。

だが意外にも彼はしっかりと立ったままで手が離れただけで倒れはしなかった。


「甚之助さん、どうしちゃったんですか……僕の事嫌いになったんですか」


悲しそうな顔をされて思わず気まずい思いに駆られる。

突き飛ばすのはまずかっただろうか。でもそれはこいつが人の話を聞かないのが悪いわけであって。


「スキンシップはその……あまり得意でないんだ。」


黙ったまま男は動こうとしない。そんなに寂しそうに見られても困る。

大体俺とお前はどういう関係なんだ。と言う問いかけを飲み込んだ。

数十秒後、根負けしたのは俺だ。


ため息を吐いて青年の肩を掴む。


「あまりくっつかないなら……別にいいから。」


先程までの元気の無さは何処に行ったのか。

急に笑顔になった男に手を握られる。

現金なやつだと思った。


「お前な……」


「清一って呼んでください、いつも言ってるじゃありませんか。」


飽きれて嫌味の一つも言ってやろうとしたら間髪居れずに言葉を遮られる。

清一と名乗った男は俺の手を引きながら部屋を出た。

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