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心を読まれることによる心理的作用

 パチパチと駒の音が部屋に鳴り響く。読者諸兄全員が将棋に詳しいとは思えないので、端的に状況をお伝えする。やはり、片岡は心を読んできた。


「角換わり棒銀だろ。考えてるの」


「銀香交換になったな。次は1九香だろうけど、じゃあこの歩でどうよ」


「そして、これで王手飛車だ」


「次、角打ちからの歩打ち。見えてるよ。全部見えてる」


「銀が欲しい?その前に俺が君の玉を寄せる」


 他にも片岡のセリフはあったのだが、その全てを記憶することは出来なかったので、割愛させていただく。兎にも角にも、私のやろうとすることを全部読んできた。そして、その全てが正解だった。私は片岡の手の中で踊る道化だった。


 間宮のほうを見ると「だろ?」とでも言いたげな眉毛であった。眉毛だけで心情が推し量れるのだから、最早老夫婦のやり取りである。以心伝心という言葉があるが、今実感を持って、その意味を噛み締めた。


 片岡の読みを口に出すのが、マナー違反かと言われればマナー違反だろう。いわゆる盤外戦術であり、プロレスで言うなら場外乱闘か。プロの対局でも、このように言葉がやり取りされることはない。

 しかし、私達はプロではなく、また友人同士の戯れである。プライドがかかっているとはいえ野試合だ。細かいことを言う気は、今のところない。


 そして、第一局目の結果。私は攻めることすらままならず、玉を詰まされて敗北した。片岡の時間は悠々と残っており、私の時間は無くなる寸前だった。力負け。基礎力が、高校球児と道端で酔っ払ってゲロを吐いている、おっさんくらい違うのを感じた。


 第二局目。片岡の先手。初手は私の時と同じく7六歩。またもや私は手を全て読まれて玉を詰まされた。


 第三局目。私の先手。今回も私の負けである。玉は詰まされなかったが、時間切れ負けである。


 三連敗。しかも、いいとこなしの三連敗。手は全て読まれ、攻めることすらままならない。

 私は元麒麟児ではなかったのか。いかに神童と古今和歌集にうたわれた片岡相手であっても、一矢報いることすら出来ないのか。プライドを賭けたこの一線。負けられない。負けられないと思っていた。しかし、結果は惨憺さんたんたる有様だった。


 あと一回負ければ、この勝負は片岡の勝ちになり、私のプライドが音を立ててバベルの塔のように崩壊する。


 さとり。心を読む妖怪。


 なるほど。間宮がうわ言のようにメッセージを送ってきた理由が分かると言うものだ。自分の心を読まれると言うことが、ここまで背筋を凍らせることだとは思わなかった。

 片岡を見ると、自信満々な笑み。首を左右に揺らし、ノリノリでアニソンを口にしていた。御機嫌上機嫌、そして私にとっては不愉快極まりなかった。


 このままでは勝てない。どうやっても勝てない。

 何かてこ入れが必要だ。何か。何か。


 あ。


 そうだ。さとりを調べていたときに、どうやって追い払うか、書いてあったじゃないか。

 さとりは心を読む。怖いと思えばそれを読み、逃げようと思えばそれを読む。確かに恐ろしい妖怪だ。

 しかし、さとりの伝承では実際に食われるわけではない。例えば、焚き火の火の粉が目に入るなど、心に浮かんでいないことは読めないのだ。予期しない出来事。それこそがさとりを退治する方法なのだ。


 そしてもう一つ思い出した。以前、間宮と将棋を指したときも、この将棋盤だったのだ。


 私は頭の中で、じさまに祈った。じさま、今すぐ将棋盤に降りてきてくれ。さもないと、じさまの可愛い孫のプライドが粉砕し、ろくでもない人生が更にろくでもないものになる。それでもいいのか。じさま。


 しかし、じさまの声が聞こえるわけも無く、四局目が開始された。


 四局目。先手片岡。初手、7六歩。私の初手、3四歩、でお互い角道を開けた。

 そして、片岡が飛車先を突いてきたので、私も自分の飛車先を突く。


 片岡は「おいおい。角の頭、守らないでいいのかよ」と言うや、飛車先突破を目指すため、つっかけてきた。


 同歩、同飛車。


 もしかすれば、この瞬間じさまが光臨したのかもしれない。角。角。角。角がまばゆい光を放っている。神が光臨するときは、おそらくこんな光を放つだろう。天使を伴い、天よりいでしものである。どれだけのLEDライトを使えばこれだけの光を放出できるのだ。


 いきおい、角を交換する。片岡も取られっぱなしではいけないので、同銀と取り替えす。そして。今度は3三の地点がくっきりと浮かび上がった。そこだけ極彩色で着色されているようなマス目だった。


 3三角!


 飛車と銀の両取りがかかった。


 片岡の顔色が変わった。今までの余裕綽々よゆうしゃくしゃくの笑みが消え、真剣な眼差しになった。顎の下に手をやり、眉間に皺を寄せた。


「こんな切り替えし、あったのか」

 

 もちろん、私だってこんな風になるとは思っていない。将棋盤が光ったところを指しただけである。私自身にすら見えていない手。しかし、これぞさとりを退治する手なのだ。心を読まれようとも。偶然こそが最大の武器。


 しかし、これ以降将棋盤が光ることは無かった。


 その後はお互い飛車や角が成りこみ、攻め合いになった。一進一退。片岡が攻め、私も攻める。やばいと思ったら受ける。そして、もう将棋盤は光らない。じさまを頭の中で呼んでみたが、当然のように返答は無い。


「負けました」


 そこから少しして、もう私に受ける手段はなかった。分りやすい三手詰めをかけられ、私は投了することにした。


 片岡の顔に笑顔が戻る。そして、大きく息を吐き出した。

「いやぁ、あの角の切り返しはよかった。序盤は完全に負けだったな」


 間宮の顔も笑顔だった。

「いいものを見させてもらった。あんな手があるんだな」


 私も笑顔を返すことにした。七番勝負は負けたが、最後の最後に、ちょっとだけいいところが見せられた。それで十分満足だった。負けたには負けたのだが、プライドを根こぞぎもっていかれることはなかった。


 なぜ将棋盤が光ったかは分らない。今までの経験から手が浮かんだので、それが視覚となって現れた、というのが一応の理由だろうか。これは心理学の範囲だと思われる。しかし、私の専門はそこではない。学生時代の専門は経済だったし、今は草むしりが専門である。もしご存知の方がいたら、こっそりと忍び足で私に教えて願いたい。知的好奇心を満たすのも、これもまた楽しみなのである。


 対局を終え、むさぼるお茶会を再度行うことにした。将棋は頭を使う。疲労した脳には、甘いものが必要なのだ。


 将棋の話もそこそこに、話は雑談へと移っていった。


 もちろん、雑談なんてのは得てしてどうでもいい話である。やれ、どこそこの中華料理屋の大盛りには盛りが足りないだの、消えた一発芸人はどうやって生活しているのかだの、満月の夜には全裸で月光浴をするだの、そういう話である。最後の一つがどうにもひっかかるが、とりあえず今は捨て置く。


 片岡がいるのだから、就職の話をするべきなのだろう。しかし、この無職という荒野をさ迷う流浪の民が、聞く耳を持つことはない、と判断し、意識的に放っておくことにする。


 そんな雑談の中、なみなみと注がれたアイスティーを飲み干しながら、間宮が私に聞いてきた。


「で、千葉さんとはどうなの。話、進んでるの?」


 千葉さんの名前が不意に出てきて、私の心臓が嫌な鼓動を立てる。千葉さん。私の思い人。


「君の友人、間宮として言わせて貰うよ。そろそろ一対一でデートに誘ってみたらどうよ」


「そうそう。君の友人、片岡として言わせて貰うよ。デートコースを今から考えようぜ」


 そして、示し合わせたかのように、二人から同じ言葉が発せられた。


「「お前、千葉さんのこと好きなんだろう!?」」


 こんな言い方ってあるか。今時、中学生でもこんなこと言わないであろう。修学旅行の深夜で布団に包まりながらするような話だ。そして「そんなことない!」と切り返すのが、よくある流れだろう。しかし。今回否定することは出来ない。なぜなら。


「そうだよ!好きだよ!好きなんだよ!お前ら心を読むな!このさとりども!」


 言葉にしたこれは、まさしく私の本音なのだから。そして、嘘で覆い隠すほど、私は若くも無い。


 間宮は少し大きめにため息をつくと、「心読むまでも無くバレバレなんだよ!外から見てても分るわ!」と言った。


 え!?バレバレ!?バレバレだったのか。いや、もうちょっとデリカシーというか。


 片岡を見る。顔にはニタニタとイヤミな笑みを貼り付けていた。


「誕生日会。あの場にいて分らんやつはいないだろうよ。ということで、今からこのお茶会は、デートコースを考える会議になりまーす」


 デート。千葉さんとデート。僕にとって望むものである。


 そこから一時間ほど、本当にデートコースを会議することになった。

 なお、クッキーと紅茶の消費量がハンパでなく、やはり優雅とは言えない有様であったことは、ここに明記させていただく。

第十八章 さとり - 了 -

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