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物の怪日和(モノノケビヨリ)  作者: 白房(しろふさ)
第十七章 大河童・雪女
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父と母と私と言葉

 接客業は、水曜定休が多いと聞く。お客さんが水に流れる、を意味しているらしく、それを回避しているのだそうだ。ただこの情報、出どこが塚田のご高説のため、間違っている可能性もある。ならば火曜日はお客さんが燃えるように買ってくれるのか、金曜日なら金のなる木でも生えてくるのか、という疑問が沸く。

 もしこれが誤情報であれば、塚田に責任の所在があることをここに明記させていただく。もっとも、この情報が間違っていたとして、どこのどなたが迷惑を被るか、を想像することはできないのだが。


 いつもどおり、どうでもいい話からこの物語は幕を開ける。


 そして、私の運命が珍しく土曜日以外に動く、記念日である。なんの記念日かはこの際問わない。ある夏の日の、たまたまの出来事なのである。


 さて、私の勤務する会社には誕生日休暇、というものがある。誕生日は自動的に休みになる。これ幸いと休みになっているわけだ。

 そしてなんといっても、今日は両親が帰ってくる日である。会うのは久方ぶりなのだ。指折ってどれくらいぶりかを数えてみたが、片手の指では足らなかったので、数えることを諦めることにした。ここはかわいさアピールなので、全国の女性は私に萌え悶えるといい。石は投げないようにお願いしたい。小石でもお断りしたい。


 しかし、ならば親孝行をせねばなるまい、というのも一小市民として、至極当然の発想と思われる。誕生日を祝われるとはいえ、両親と久しぶりに会うのも事実なのだ。

 誕生日か親孝行か。どっちを優先するか。一悩みしたが、別段それは両立できるものである。私は誕生日を祝われ、そして同時に親孝行をする。

 一日は二十四時間あるし、常に何かをし続けているわけでもない。肩でも揉めば、親孝行になるのではないか、と結論が出た。「生きてるだけで親孝行だ」と言ってしまうほど、私は豪胆ではない。


 ピンポーン


 そんなことを考えているうちに昼の十一時。自宅のチャイムが私を呼びたてる。そろそろ両親が帰ってくる頃かと思い、意義を正して玄関に向かう。


 ドアを開けた先に居た人。隠すことも無く両親であった。


 腹と唇が飛び出、明らかに頭髪の砂漠化が進んだ男性が父。


 細面で痩身、長い髪を揺らしているのが母。


 このあたり、視覚的にお見せできればもっと分りやすいのだが、それは今回省こうと思う。見た目からして河童と雪女、と言えば想像しやすいだろうか。


「よう!息子!久しぶりだな!元気そうで何よりだ!」


 父が私に声をかける。相も変わらず声が大きい。そのくちばしのような口から出る言葉。インドア文系の権化ともいえる私とは正反対である。水泳で名の知れた選手であった父の、体育会系な語り口調である。


「久しぶりねー。ちょっと痩せた?ちゃんと食べてる?そこは当たり前田のローキックなんでしょ?」


 母も私に声をかける。この寒い駄洒落を入れ込んでくるのは間違いなく母である。軽い苛立ちが私の心によぎる。夏なのに寒気を感じるとはこれいかに。


 いずれにしても、両親との久々に再会である。のっけからこんな感じであるが、まぁいつも通りでむしろ安心する。これが南の島で毒気でも抜かれて、「あれ?私の両親はこんな感じの人だったのか?」と思うよりはいくらかよいのではないか。諸行無常。常なるものは無いというが、いつもどおりのやりとりも悪いものではない。


 ともかく親子三人水入らずで、お茶でも飲むことにした。両親も長旅で疲れたことだろう。息子として、精一杯の心配りである。


 両親との会話、それは当然のように自分たちの近況報告である。


 南の島でも生活はなかなかに快適なようだ。その口調でそれがありありと分る。「さっさと会社何ざ辞めてしまって、もっと早くに移住すればよかった」というのは父の言葉である。今は会社に縛られることも無く、全く自由な生き方なのだろう。


 高度経済成長の中で、父は工場職人という道を選んだ。仕事をすれば生活はできていく。出世も昇級も時間が解決してくれる。それはそれで悪いことではないが、その時間の分、当然しがらみも増える。性格の悪い上司もいるし、使えない部下だってできる。そういったしがらみからは逃れられない。


 「俺はようやく自分の人生を生きられそうだよ」父の話をまとめると、こんな具合になる。腹を揺らしながら話す父。そういえば私の知る限り、常に腹を面しながら喋る人であった。


 母は父の言葉に、うんうんと相槌を打っていた。長年連れ添った父と母のやりとり。それはもはや様式美である。事務員として働いていた母にとって、誰かの後ろに控えるというのは培ってきたものなのかもしれない。

 そして、その話の所々に駄洒落を挟むのも母の仕事だ。


 主だったものを列挙する。


「どうもありがと三角またきて四角」


「お土産に魚の燻製買ってきたのよ。魚だけにギョ!っとするほど!」


「はい!鯖一丁!出前一丁!」


「お父さんご飯残すのよ!この前で前科五犯だよ!」


 もうそろそろいいだろうか。そのどれもがつまらなく、しかも言うたびに所謂いわゆるドヤ顔をするのだから目も当てられない。どんな人生を歩んできたら、このようになるのかは分らない。いずれにしても、やはりこれぞ我が母である、と改めて思い知った。


 茶菓子であるせんべいと、悪くない量のお茶が消費された。

 そして。近況がおおよそ終わった頃である。私がもっとも恐れる話が始まろうとしていた。読者諸兄、ご想像いただきたい。世の独身者にとって、もっとも恐ろしい話のご開帳である。そうだ。ご想像の通りである。


 それは父のこの言葉から始まった。


「でだ。孫の顔はいつになったら見えるんだ?」


 誕生日おめでとう!はいつ言われるのだろうか。

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