父と母と私と言葉
接客業は、水曜定休が多いと聞く。お客さんが水に流れる、を意味しているらしく、それを回避しているのだそうだ。ただこの情報、出どこが塚田のご高説のため、間違っている可能性もある。ならば火曜日はお客さんが燃えるように買ってくれるのか、金曜日なら金のなる木でも生えてくるのか、という疑問が沸く。
もしこれが誤情報であれば、塚田に責任の所在があることをここに明記させていただく。もっとも、この情報が間違っていたとして、どこのどなたが迷惑を被るか、を想像することはできないのだが。
いつもどおり、どうでもいい話からこの物語は幕を開ける。
そして、私の運命が珍しく土曜日以外に動く、記念日である。なんの記念日かはこの際問わない。ある夏の日の、たまたまの出来事なのである。
さて、私の勤務する会社には誕生日休暇、というものがある。誕生日は自動的に休みになる。これ幸いと休みになっているわけだ。
そしてなんといっても、今日は両親が帰ってくる日である。会うのは久方ぶりなのだ。指折ってどれくらいぶりかを数えてみたが、片手の指では足らなかったので、数えることを諦めることにした。ここはかわいさアピールなので、全国の女性は私に萌え悶えるといい。石は投げないようにお願いしたい。小石でもお断りしたい。
しかし、ならば親孝行をせねばなるまい、というのも一小市民として、至極当然の発想と思われる。誕生日を祝われるとはいえ、両親と久しぶりに会うのも事実なのだ。
誕生日か親孝行か。どっちを優先するか。一悩みしたが、別段それは両立できるものである。私は誕生日を祝われ、そして同時に親孝行をする。
一日は二十四時間あるし、常に何かをし続けているわけでもない。肩でも揉めば、親孝行になるのではないか、と結論が出た。「生きてるだけで親孝行だ」と言ってしまうほど、私は豪胆ではない。
ピンポーン
そんなことを考えているうちに昼の十一時。自宅のチャイムが私を呼びたてる。そろそろ両親が帰ってくる頃かと思い、意義を正して玄関に向かう。
ドアを開けた先に居た人。隠すことも無く両親であった。
腹と唇が飛び出、明らかに頭髪の砂漠化が進んだ男性が父。
細面で痩身、長い髪を揺らしているのが母。
このあたり、視覚的にお見せできればもっと分りやすいのだが、それは今回省こうと思う。見た目からして河童と雪女、と言えば想像しやすいだろうか。
「よう!息子!久しぶりだな!元気そうで何よりだ!」
父が私に声をかける。相も変わらず声が大きい。その嘴のような口から出る言葉。インドア文系の権化ともいえる私とは正反対である。水泳で名の知れた選手であった父の、体育会系な語り口調である。
「久しぶりねー。ちょっと痩せた?ちゃんと食べてる?そこは当たり前田のローキックなんでしょ?」
母も私に声をかける。この寒い駄洒落を入れ込んでくるのは間違いなく母である。軽い苛立ちが私の心によぎる。夏なのに寒気を感じるとはこれいかに。
いずれにしても、両親との久々に再会である。のっけからこんな感じであるが、まぁいつも通りでむしろ安心する。これが南の島で毒気でも抜かれて、「あれ?私の両親はこんな感じの人だったのか?」と思うよりはいくらかよいのではないか。諸行無常。常なるものは無いというが、いつもどおりのやりとりも悪いものではない。
ともかく親子三人水入らずで、お茶でも飲むことにした。両親も長旅で疲れたことだろう。息子として、精一杯の心配りである。
両親との会話、それは当然のように自分たちの近況報告である。
南の島でも生活はなかなかに快適なようだ。その口調でそれがありありと分る。「さっさと会社何ざ辞めてしまって、もっと早くに移住すればよかった」というのは父の言葉である。今は会社に縛られることも無く、全く自由な生き方なのだろう。
高度経済成長の中で、父は工場職人という道を選んだ。仕事をすれば生活はできていく。出世も昇級も時間が解決してくれる。それはそれで悪いことではないが、その時間の分、当然しがらみも増える。性格の悪い上司もいるし、使えない部下だってできる。そういったしがらみからは逃れられない。
「俺はようやく自分の人生を生きられそうだよ」父の話をまとめると、こんな具合になる。腹を揺らしながら話す父。そういえば私の知る限り、常に腹を面しながら喋る人であった。
母は父の言葉に、うんうんと相槌を打っていた。長年連れ添った父と母のやりとり。それはもはや様式美である。事務員として働いていた母にとって、誰かの後ろに控えるというのは培ってきたものなのかもしれない。
そして、その話の所々に駄洒落を挟むのも母の仕事だ。
主だったものを列挙する。
「どうもありがと三角またきて四角」
「お土産に魚の燻製買ってきたのよ。魚だけにギョ!っとするほど!」
「はい!鯖一丁!出前一丁!」
「お父さんご飯残すのよ!この前で前科五犯だよ!」
もうそろそろいいだろうか。そのどれもがつまらなく、しかも言うたびに所謂ドヤ顔をするのだから目も当てられない。どんな人生を歩んできたら、このようになるのかは分らない。いずれにしても、やはりこれぞ我が母である、と改めて思い知った。
茶菓子であるせんべいと、悪くない量のお茶が消費された。
そして。近況がおおよそ終わった頃である。私がもっとも恐れる話が始まろうとしていた。読者諸兄、ご想像いただきたい。世の独身者にとって、もっとも恐ろしい話のご開帳である。そうだ。ご想像の通りである。
それは父のこの言葉から始まった。
「でだ。孫の顔はいつになったら見えるんだ?」
誕生日おめでとう!はいつ言われるのだろうか。