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死地へ赴く戦士

 今私は大蛇おろちに飲み込まれていると言ったら、読者諸兄いかが思われるだろか。


 そんなことはない。貴様は普通の鉄鋼製品生産量有数の町に住んでいるのではないか。はたまた本当に河童になって、湖沼にでも住み始めたのか。そう言われるかもしれない。

 確かに私は町の中に住んでいるし、河童に成り下がって湖沼に住処を変えたわけでもない。頭髪の状況は河童に近くとも、本当の河童になるのは願い下げであるし、そんな運命は断じて受けいれられない。運命にあらがうのが人間である。


 しかし大変残念な事に、大蛇に飲み込まれているのは主観的に事実であって、今こうして出社が出来ず困っているのである。時は平日水曜日。首を少し動かして、壁にかけてある時計を見れば、午前六時を少し回ったところ。私はこの状態のまま、五分程度を過ごしていた。


 はたして私は、これからどうすればよいだろうか。私の勤務する会社はそこまで遠くなく、午前七時半に家を出れば苦も無く間に合う。しかしながら、大蛇に捉われている現在、ここから私は抜け出せるのか、という難問が頭に浮かぶ。数学の未解決問題にゴールドバッハの予想というのがある。6以上の任意の偶数は2つの奇素数の和で表せるか、というものである。難問具合はこれに引けを取らない。


 ゴールドバッハの予想という言葉をウィキペディアか何かで見つけ、どこかで使いたいと思っていただけじゃないか、と言われる方もみえるかと思う。大正解。使ってみたかっただけなのだ。ゴールドバッハという言葉の持つ、何かとてつもない感じを醸したいだけである。なんといっても、ゴールドでバッハである。もう一度言う。ゴールドでバッハである。如何いかんともし難い難問であることが自明である。

 

 なお、私は文系学部の卒業であり、数学なんぞ、高校の途中で諦めた。もし数学を教えて欲しい、という要望があれば、独身貴族の片岡にでも聞いたらよろしい。かの男、偏差値だけで見れば、日本でもかなり上の方に居る。受験年度からかなりの年月は経っているが、それでも昔取った杵柄でどうとでもなるのではないかと思われる。


 私の言い訳を他所に、そうこうしている間にまたもや五分ほどが経過した。時間というのは冷酷で残酷である。前にしか進まない。寝て起きたら五時間ほど時間が巻き戻る、という話は聞いたことが無い。


 時間という貴重な財産は減ることすらあれ、増えることは無い。一日は二十四時間しかないし、例えば時間銀行みたいなものがあって、預けておけば時間に利子がつくなんてこともない。数学や物理学が発展すれば、このあたりの問題も解決されるかもしれないが、現在のところ、時間は有限である。私もあとどのくらい生きられるか分らないが、その時まで精一杯生き抜くと思う所存である。


 それにしても、このままでは私は大蛇の餌食である。大蛇の中で悠久の時を過ごし、いずれ朽ちてなくなる。そんなことは願い下げである。ただただこの生温い大蛇の口の中で人生を全うする。それは一種滅びの甘美さをたたえるのも確かである。


 しかしながら、私は社会人なのだ。平日の社会人は戦士である。仕事という死地に赴き、戦い、結果を出し、疲れ果て帰宅して、酒を飲むのだ。それこそが正しい社会人である。朝早くから大蛇に飲み込まれ、時計を見ながら時間を過ごすのは間違っている。私は戦うのだ。この、私を飲み込む大蛇との死闘に勝ち、出社をするのだ。その先にある栄光をこの手に掴むのである。さぁ。戦いの時である。大蛇よ。覚悟したまえ。私は少々手強いぞ。


 次に意識が戻ったとき、十五分ほどが経過していた。私はまったもってダメ人間である。手強いどころか、赤子の手を捻るようなものであった。新たにした決意が何の役にもたっていない。決意をするだけなら誰でも出来るのだ。結果はまるで伴っていない。


 そうなのだ。何かを成そうと言うとき、決意を新たにするだけではだめなのだ。行動。そう。行動こそが真実なのである。さあ!私よ!立ち上がれ!大蛇の魔の手より!解き放たれるのだ!

 私は大蛇から逃れるべく、まずは体を捻り、うつぶせになった。そして、顔を挙げ、腕に力を込める。


 うおおおおおおおおおおおお!


 大蛇!俺は貴様なんぞに負けはしない。私は戦士なのだ!戦うものなのだ!


 うおおおおおおおおおおお!


 私は全身に力を込めた。満身の力である。そして、大蛇の口より這い出すことに成功した。そして、立ち上がった。そうである。私は勝ったのだ。大蛇との戦いに勝ったのだ。私は仁王立ちし、大蛇を見据える。大蛇はだらしなく口を開け、そこに打ち捨てられていた。


 時計を見る。午前七時ちょうど。多少余裕は無いが、十分に出社できるであろう。朝一番が大一番の戦いになり、私は安堵のため息を漏らす。いや、ウソはよくない。ため息ではなく欠伸あくびである。


 ここまで書いてみたが、この大蛇の正体は語らずともよいだろう。ともかく私は出社する。あまり時間が無いので、好物のベーコンエッグは翌朝に持越しである。

 読者諸兄、おはようございます。そして、いってきます。

第十六章 大蛇 -了-

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