運命を味方につける物の怪
夜が明け、現在は日曜日の昼を少しまわった頃である。本日の夜には我が従姉が帰宅し、しぃなを迎えに来るはずである。一晩一緒に過ごせば情が移る。少し寂しくもある。
それにしても私も、早いところ結婚して子供が欲しいものである。しぃなを見ていてその想いは募る。千葉さんという出会いはあったが、果たして私と赤い糸で繋がっているのだろうか。そのことに関しては確証がない。赤い糸が実際に見えれば万事解決すると思うのだが、読者諸兄いかがだろうか。そして何故見えないのに赤い糸、と色がわかるのかが不思議ではある。まぁそんなことを言っていても私がただひねくれている、という証明をしているだけなのも重々承知している。
話を少し前に進ませていただく。
さて、どうにもしぃなのいる今日この日というのは不思議なことが起こるのである。
まず本日の朝一番ではあるが、我が家のチャイムが鳴らされた。何かと思えば宅配便であった。発送元を見れば、どうにも以前送った懸賞が当たったらしい。これまで何度か懸賞に応募してみたが、当たったのは初めてである。ちなみに当たったのはレトルト、インスタント食品の詰め合わせであった。一人暮らしの身としては少し嬉しい。仕事で疲れた時には料理をするのは面倒くさいのだ。
そして、昼食に外食をした時である。そこではキャンペーンををしており、子供連れで食事をすると、なにやらくじがひけるとのことだった。読者諸兄、予想をされたかもしれないが、そこでも当たった。お食事券三千円分である。これまた一人暮らしの身としては嬉しい。
ここまで続いてみてはたと立ち止まってみる。実はこのしぃなという幼女は座敷童なのかも知れないと思い至った。
座敷童とは見るものに幸運をもたらす妖怪である。二度くらいの偶然であれば運がよかったと笑い飛ばせるのであるが、昨日今日で幸運も三度目である。なにかしらの因果が働いているようにも思える。
ここで私に天啓が走った。そうである、昨日今日は運がよいのだ。それはしぃなのお陰かもしれないが、確かに運や流れは私に向いているようである。つまり。しぃがいる今でなら、運命の赤い糸で私と結ばれている女性と知り合えるかもしれないのだ。我ながらなんという発想力であろうか。まさに元麒麟児と呼ぶに相応しい頭のキレである。これを思いついたとき、心の中で「イエス!」と叫んでしまった。別に「ニルヴァーナ!」でも「どらっしゃあ!」でもいいのであるが、この時は「イエス!」であった。
しかし果たして。具体的にどうすればよいのであろうか。出会いを求めるといっても何か方策があるわけでもない。まして今は外食から帰る道すがら。別に道に出会いが落ちているとは言えない。何かしらアクションを起こさねばならない。まさか道行く人に適当に声をかけてまわるわけにもいかない。そんなことをしたらこのご時勢、警察を呼ばれる。はてさて、どうしたものか。
そんなことを考えてほてほてとしぃなと歩く。すると、道の向こうに見知った顔がいることを発見した。それは千葉さんであった。え?まさか?と自分の頭に疑問符が浮かぶ。
千葉さんもこちらに気づき、挨拶を交わす。なんたる偶然。なんたる僥倖。運命は我に味方をしている。
もっとも千葉さんからの第一声が「こんにちは」で、第二声が「え?子持ちだったんですか……?」というものだったことはお伝えさせていただく。もちろんそれは否定されるべき言葉である。
ここからのことは少し割愛させていただく。結論から言えば、千葉さんは私の家に来ることになった。
その引き金は、しぃなが「このおねえちゃんとおうちで遊ぶ!」と言い出したことである。もちろん千葉さんが再度我が家を訪れることに、一切合財ありがたいとしか言いようが無い。やはりこの子は座敷童なのかもしれない。ここまで幸運を運ぶのであれば、従妹と協議の上、養子に迎えたいくらいである。
これはしぃなの提案もあるが、その存在自体も大きい。千葉さんだって妙齢の女性である。軽々しく男の家には来ないだろう。当然、襲われるのではないか、という疑念だってわく。しかし。しぃながいるのだから話は変わる。幼女がいるその最中に無体な真似はすまい、というわけだ。もちろん、しぃながいなくてもそんなことをする気は無いが、それを担保するものはない。
それにしても、今回こうやって千葉さんと再度会えるとは。やはりしぃなは座敷童なのかもしれない。幸運は、今、私の目の前に。
次話投稿予約済み 2015/6/13 22:00公開予定です。