何かが起こる胎動
酒の席というのは楽しいものだ。この場合、酒の安い高いは問わない。もちろん、つまみで何を口に運んでいるかも重要ではない。そう。誰と飲んでいるかなのだ。このあたりはデートと同じである。私の横には千葉さんがいる。自分好みの女性と一緒に酒を飲み、食い、語る。こんな幸せ、ここ数年に無かった。神様ありがとう。粋な計らい感謝します。今度七面鳥を捧げます。が、七面鳥がどこに売っているか分らないので、フライドチキンを捧げます。
場は結構盛り上がっている。千葉さんを挟んで向こうを見てみることにする。
そこでは塚田と大宮が楽しそうに酒を酌み交わしていた。貧乏神と狐という取り合わせであるが、意外に意気投合しているようである。
しかし、よくよく耳を立てて聞いてみると、大宮が一方的に話をしているようである。塚田はそれに相槌をうち、うんうんと首を縦に振りながら笑みを浮かべている。塚田の首は動いているが、口は動いていない。このあたり、コミュニケーション能力としては間違っていないはずだ。なんのかんの、地域の顔役である父上の背中からそれを学んだのかもしれない。集団の頭を務めるには、聞くことも重要だ。これもある種の帝王学か。
今度は他方を見てみる。そこでは間宮と高島が、なかなかいい雰囲気をかもし出していた。
どんなことが起こっていたかというと、高島はフォークで惣菜の肉を刺すと、それを間宮の口に運んでいるのである。いわゆる「あーん」というやつだ。そして間宮はそれを美味そうに頬張る。
ここだけ取り出してみると、何やら「もう付き合ってんじゃないの?」な雰囲気ではある。しかし、何度も高島は間宮の口に肉を運び、これは恋慕というよりもむしろ、フォアグラでも作っているのではないか、と疑う有様である。間宮の肝は美味いのかそれとも。世界三大珍味に名を連ねる日もそう遠くないであろう。
そして。
私は千葉さんとの会話を楽しんでいた。酒を飲み、惣菜を口に運び、うふふと楽しい会話をする。酒の力も借りてとはいえ、自分でもうまくことが運びすぎている、と感じざるを得なかった。
それにしても、千葉さん。この人はどこまでいっても私の好みの女性であった。容貌はすでに語っているが、中身までもがそうなのだ。
中学時代は休み時間に常手に本を読んでいた。当然のように、クラスの総意で図書委員に推薦された。
高校時代は文芸部に席をおき、小説を執筆していた。得意な科目は国語と英語。この二教科は学年でも指折りで、逆に苦手な科目は体育。いまだに跳び箱が飛べなかったり、逆上がりが出来ない夢を見て、すごくいやな気分で目を覚ますこともあるらしい。
大学は文学部英文科で英文学を専攻し、常に文章や物語、本に触れており幸せだったのだそうだ。
就職は図書館司書にするか教員を目指すかで迷ったが、結果的にどちらも諦め、書店員になることにした。自分の好きな本をより世間に広めるには、民間企業のほうがいいという考えだ。
今でも読書は好きで、洋の東西を問わず本を読む。好きな作家も私と同じのようで、話がそこで膨らんだ。あの本は面白かった、今度がこの本を読みましょう、そんな話も出来た。
この女性はどこまで私に好印象を与えれば気が済むのであろうか。どこまでもどこまでもどこまでも、私好みの女性である。これを万年の恋と言わず、なんというのか。ここまで理想どおりの女性なんぞ、来世でも会えない。二次元世界に耽溺する中村であっても、自分の理想の女性が目の前に来れば心変わりするかもしれない。とここまで書いて、中村の好きな女性のタイプが「絶対条件が平面であること」だったのを思い出し、思考を中断する。
しかし、普通のOLである大宮高島と、書店員さんである千葉さんは如何様にして出会ったのか。そこは当然の疑問としてある。その話を千葉さんに振ると、人差し指を口の前で立て「シッー」と言った。なにやら秘密めいたことでもあるのかもしれない。少なくとも、初対面の男に話をするべきではないのだろう。そして、それをわざわざ無理に語ってもらう必要も無い。いずれ語られるであろう真実は、その時分かればいいし、今重要なのはそこではない。千葉さんが今目の前にいるという現実である。
それから一時間ほど歓談があった。酒を飲み、肉を食い、話に花が咲く。そんな理想的な合コンがここにはあった。
万事順調。
予想よりもこの合コンはうまくいっている。はたしてモテない独身貴族を配備して、どうなるものかという不安は確かにあった。なんということもない。そんなものは杞憂であった。何事も始まってしまえばうまくいくものだ。
塚田と間宮という人選もよかったのかもしれない。独身貴族の中にあって、嫉妬と暴食を司る悪魔である。塚田は女性と話をして嫉妬をする暇もないであろうし、間宮は逆にその暴食をいかんなく発揮している。
打算と権謀術数に彩られた人選ではあったが、結果だけを見ていればいいのだ。
それから三十分ほどしたころである。酒がビールから日本酒やワインへとが移行してきた頃合と思っていただきたい。
再度塚田のほうを見ると、何故か正座で首以外が微動だにしていない。以前中村のフィギュア独演会を拝聴していた私を思い起こさせる有様であった。多分やつも苦行スイッチが入っている。ここからで見ていると、学校で先生にお説教を食らっているようにしか見えないぞ。がんばれ塚田。話を切り替えすタイミングを図るのだ。フィギュアの話で無いだけましと思え。
しかし大宮はワインを瓶から直接飲んでおり、ガブガブと口の横から漏れ出してもいた。間違いなく酔っ払いであり、それが弁舌に転化されている。
今度は間宮のほうを見ると、間宮は高島に腹を撫でられていた。間宮の腹に向かって「もうすぐ生まれるね。早く会いたいな」と新婚家庭のようなことをやっている。しかしどう見ても男女が逆である。確かに間宮の腹は妊娠六ヶ月ほどの堂々たる太鼓腹であるが、間宮が「ヒッ!ヒッ!フー!」と呼吸法を試している光景は少し笑えない。
そして、高島も焼酎の瓶を口につけ、ゴブゴブと中身を飲み下している。
やばい。そろそろやばい。間違いなくやばい。ハルマゲドンの到来は近い。しかし、それをどう回避すればいいかも皆目見当がつかない。
そんなことで千葉さんに助けを求めるように視線を向けると、今までと少し違った千葉さんがそこにいた。目が据わり、若干俯いている。まぁそれ自体はよくあることだが、問題は顔色である。さっきまでは赤々としていたが、青々としてきた。少ししゃっくりをするように肩が動いてもいる。誰が見ても一目瞭然。飲みすぎである。
「大丈夫ですか?」と私は千葉さんに声をかける。すると「少し、酔ったみたいです」と返答があった。ビールと日本酒をちゃんぽんで飲んでいるのだから、そんなことだってある。
その時、大宮から言葉が飛んできた。
「あ、千葉ちゃんね。あんまお酒強くないの。飲みすぎちゃうと吐いちゃう子なの。少しトイレまで連れて行ってあげて」
手馴れた指示を私に下す大宮。なるほど。多分何度もこういうことがあったのだろう。それにそれ自体はよくあることだ。女性をトレイに連れて行く、というのは男の役目では無い気もするが、そこを疑問に持たないくらいには私だって酒が入っている。有無を言わずに千葉さんをトイレに連れて行くことにした。
この時、私の頭に「フェレットは鼬」という言葉が一瞬だけ浮かんだ。何故か。それは私にも分らない。もしかすれば、あまりにも物の怪じみた人生を送ってきたため、センサーでも無意識に取り付けられたのかもしれない。物の怪センサーである。