退いてはならぬ戦いがある
私は起き上がり、頭を振り、気を取り直した。
そして心は復讐心に染められた。
復讐である。復讐せねばならぬ。化猫にはその身にミッチリと教え込んでやらねばならぬ。食い物の恨み、そして食費が無駄になった憤怒の恐ろしさを。動物愛護の範囲内で、ではあるが。
さて、私が頭上より聞いた音を頼りに考えれば、化け猫は階段の上に走り去ったと考えられる。次の戦場は階段、そして二階である。
ずんずんと大股で歩き、果たして私は階段にたどりついた。
そして、やはり奴はいた。階段の上にいた。
段上より私を見下ろすは、私に仇なす化猫。目ばかりがギラギラと、異様な輝きを放っている。私の非力さを蔑んでいるのであろうか、それとも哀れんでいるのであろうか。その目にはそんな光が湛えられているように感じられ、私の心を踏みにじる。しかし鋭い眼光に負け引き下がっては、人間の尊厳など朝露の如く儚いものと証明するようなものである。
断じて退けぬ。
退いてはならぬ。
戦わねばならぬ。
私が一段二段と階段を上るも、化猫は身じろぎ一つしなかった。
三段目に足をかけたところで、化猫の体に緊張が走ったのがわかった。どうやら三段目が境界線のようである。
一刻も早く化猫を退治したいところではあるが、先ほどの二の舞だけは避けなければならなず、ここは慎重に知恵を巡らせなくてはならない。古来より妖怪物の怪を退治する勇者は、知恵と勇気をもって戦うものであるのだから。なお、先ほどそれによって失敗したことは、忘れていただきたい。
私は一計を案じることにした。その発想に、流石、麒麟児神童と謳われた才媛、と、自分を褒めてやりたくなった。ありがとうお父さんお母さん、息子は立派にやっております。
またもや論理的思考である。
さて、化猫といえど猫である。
猫の習性を考えてみれば、こちらが追うと逃げる。ここで私が追うと二階を縦横無尽に駆け巡るであろう。もしくはこちらに走り出でて、先程と同じように私と肉弾戦の様相を呈するかもしれない。それでは先ほどと同じ結果になる可能性がある。最悪、またも顔に飛び掛られ「ぬぷぁ!」と発し、階段より転げ落ちるかも知れぬ。さらに一階に逃げ込まれ、家中を蹂躙されるやも知れぬ。発する音が口から「ぬぷぁ!」ならまだよいが、首から「ゴキャ」では目も当てられぬし、命の危険がある。ここは階段、危険地帯である。踏み外して落ちれば一大事である。
しかし、ここで発想を逆転させてみよう。
私が一旦退けばどうだろであろうか。
化猫は私という脅威が去ったと思い、二階より降りてくるのではないか。いや、いずれは降りてくるより仕方ないのである。なぜなら二階には、鯵のひらきは元より、食物など一切無い。これは一種の兵糧攻めであり、勝利のための戦術的撤退である。
兵糧攻めがうまくいき、化猫が降りてきた場合どうするか。普通に捕まえようとするのもよいが、それではまたもや逃げられる可能性もある。そのため別の案を考えなければならない。考えた結果、玄関を開けておくことにした。そして、降りてきたところを外に追い立てるのがよいと思われる。
妖怪物の怪を退治することが出来ないのであれば、悪鬼退散させるもの一案であろう。化猫の脅威を外に放出するのは気が引けるが、これも我が家の安泰のためである。私が安心してゲームをし、土曜日を満喫するためには致し方ないのである。許せ、ご近所の皆様。
作戦も決まったので早々に決行することにした。やることが決まれば、行動は早ければ早いほどよい。兵は拙速を尊ぶというし、今回私は兵であり将軍なのだから。
階段の横にはダンボールでバリケードが築かれた。すなわち、化猫が降りてくれば玄関より外に出るほか道は無くなったのだ。降りてきたところを脅かしてやれば、より確実に玄関に一目散であろう。私はほくそえみながら、階段横、ダンボールバリケードの後ろに隠れ、化猫を待つことにした。
さて。どれほどの時が経過しただろう。優に一時間は待ったであろうか。
待てど暮らせど化猫が階下に下りてくる気配が無い。
はたして私の怨念が放出され、化猫がそれに気付いているのであろうか。敵もさるもの引っ掻くものである。
程なくまた一時間ほど経過した。
しかしやはり待ち人来たらず、である。待ち人が、黒髪と眼鏡の似合う読書好きの妙齢な女性であれば、期待に胸膨らませ、六時間くらいなら待ち続けられる自信もある。しかし今は待ち人ではなく待ち猫であり、さらには猫であることすら危うい化猫である。妄想と現実の共通点は、黒い毛をもっていることだけだ。
こう考えると期待に胸膨らむどころか、虚しさに胸が萎み、腹が減るばかりである。
さてどうしたものかと思案している最中、ふと玄関に胡瓜が立っていることに気が付いた。もとい、胡瓜に酷似した人間が立っていることに気が付いた。
年の頃は、私とほぼ同じくらい。長身痩躯、いや、むしろ細長いという言葉がしっくり来るシルエット。顔もやたらに細長く、さらに顔色が恐ろしく悪い。
生まれ故郷は金星です、先週地球に来て地球の言葉を勉強しています、といわれても、なるほどこの顔色ならば説得力がある。人はかくもここまで不健康な顔色になれるものか、と感動すら覚える。
もし十人に、この男にあだ名をつけて欲しいとお願いしたらどうだろうか。おそらく九人は胡瓜と答え、残りの一人はしなびた胡瓜と答えるだろう。
しかし彼は胡瓜などではなく、貧乏神である。さらに不幸で残念なことに、私の古くからの友人である。だからこそ、ここまで酷い紹介が出来るのであるが。
2018/09/03 加筆修正