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化猫退治

 私は愕然とした。


 不埒ふらちな巨猫が家主である私に無断で侵入し、心休まる土曜日を邪魔し、汚したのである。なお無断でなければ入ってもいいのか、と問われたら、答えに若干のお時間を頂きたい。


 それにしても、明らかにあの猫は大きすぎた。

 私は生物は門外漢もんがいかんであり詳しくはないが、あれは猫よりも紡績工場にある毛糸玉の方にむしろ近いのではないか、と思われた。もはや工業製品であり、しかも規格外で生産ラインにはのらない類の、である。


 私は、猫が大きすぎるという違和感には気づいた。しかし我が家に猫がいる、という、根本的な違和感には気が付かなかったのである。

 なんというミスディレクションであろうか。その手際は、高名な奇術師も驚嘆するであろう。もはや魔術妖術の類である。

 決して私が盆暗ぼんくらというわけではない。そこは認めない。


 しかしこのまま猫を野放しにしていては、家の中が荒らされ汚されるのではないか。糞尿をまき散らかされ、来訪者より変わった性癖の持ち主、とレッテルを貼られるかも知れぬ。そうなっては静謐せいひつに生きてゆくことが難しくなる。自分の毛が抜けたと思い、暗澹たる気持ちになり夜中一人で布団に包まりながら、低くうめく可能性も捨てがたい。


 すわ一大事である。


 私はゲームを一時中断し、巨猫を捕獲すべく山狩りならぬ、我が家狩りを行うことにした。

 猫め、目に物見せてくれようぞ。私の土曜日を汚した罪は大きいのだ。


 ともかく何事も計画、段取りが一番大事である。即ち、我が家狩りのための作戦を練らねばならぬ。


 まずは現状把握である。


 まずは間取りからいこう。


 私の家は一階に二部屋、二階に二部屋。玄関のすぐ右側には二階に上がる階段があり、階段の脇には部屋に入る扉がある。廊下は奥まで伸び、行き止まりに台所。廊下の途中には居間と水周りへのドアがあり、トイレと風呂は一箇所にまとまっている。そして台所に勝手口は無い。二階は私の自室だった部屋と両親の寝室であった部屋で、前述のとおり一ヶ月前から開かずの間のである。


 さて、まずはどこから開始すべきか。

 ともかく私は、侵入経路を第一に探すことにした。猫を追い出してもまた侵入されては、いたちごっこなるになるに決まっており、それは時間の無駄としか言えないからである。


 侵入経路としては、どこの可能性が高いであろうか。

 私は猫の気持ちになって考えてみることにした。しかし私は猫ではないため、全く想像もつかない。猫の気持ちは猫にしかわからない。

 私は、猫の気持ちを理解するため、一寸鳴き声でも出してみようかと思ったが、三十路手前の男が猫の鳴声を出すその有様。そのあまりの気味悪さは、巨猫だけではなく、さらに強大な邪鬼を呼び出しそうである。私は冷静かつ客観的、合理的判断をして、中止することにした。


 よくよく考えれば、私がわざわざ猫の気持ちになる必要などないではないか。人間には人間にしかない道具を使えばよいのである。ここは一つ、人間の武器である知恵を使い、論理的に考えることにした。


 それでは思考を開始しよう。


 猫は動物である。これは確固とした事実であり前提であるから、異を唱えることは難しかろう。そして動物の行動をごく単純に考えれば、食料確保の優先順位が高いはずである。そこで天啓が落ちてきた。


 つまり台所か。


 論理的思考の結果、まずは台所を捜索することにした。


 台所に到着し、見慣れた景色を眺める。


 台所の窓という窓は閉じられており、進入された形跡は見当たらなかった。

 しかし私は冷蔵庫が空いていることに愕然とし、そして冷蔵庫から黒くて巨大な塊が生えていることには驚愕を覚えた。どう見てもくだんの巨猫である。


 しかし果たして、猫というものは冷蔵庫を開けるものだろうか。噂によれば、冷蔵庫を開けることは人間でなければ難しいと聞く。もしや、やつはただの猫では無いかもしれぬ。その巨躯に見合った、化猫では無かろうか。この巨大な塊の一割の可能性はミュータントであったが、その可能性を飛び越して、まさかの妖怪であったとは。


 改めて思うが、妖怪に身にやつした私は妖怪と引かれあう運命なのであろうか。


 かの怪談で有名な化猫は、行灯あんどんの油を舐めたという。しかし今生の化猫は冷蔵庫より中身を喰らうのである。確かに今の時代、行灯なぞ江戸や明治を模したテーマパークくらいにしかないのではないか。化猫もひもじい思いをしたくはなかろう。やはり妖怪物の怪も、時代とともに変化するのであろうか。


 なお、ここまで朗々と語っておきながらなんであるが、私が冷蔵庫を閉め忘れた可能性には目を瞑っていただきたい。


 さて私は化猫を捕獲するべく、身をかがめ腰を落としにじり寄った。

 スポーツのカバディをご存知の方は、その格好をご想像いただきたい。


 化猫はこちらに気づいたのか振り返り、そして動きがとまった。

 口からは鯵のヒラキが生えている。私の晩飯である。


 私の精神はフツフツと、暗い怒りの情念に支配されていった。頭に水をたたえた皿があれば、一気に乾くほどの強い怒りである。この怒りは秩序を逸脱した、猫の無礼かつ無秩序な振る舞いに対してである。給料日前に晩のおかずが無くなったことに対しては、この怒りに含まれている。


 腰を落とし、臨戦態勢でにじり寄る私と、私をしっかと睨む化猫。

 戦闘開始はもう目前である。化猫の出方を予想しなくてはならない。

 そう、ここでもう一度人間の武器、知恵と論理の再登場である。


 おそらく化猫は、私の横を通り過ぎようとするであろう。ならばそこを捕まえるのは難しくない。もし股下を抜けようとするなら、足を閉じて進行方向を塞いでしまう。すると左右どちらかに逃げるであろうから、やはり対応はそれほど難しくない。なによりあの巨体である。そこまですばやく動くとは考えにくい。論理的に考えても、私の勝算は極めて高いのだ。見事な作戦に、私はほくそ笑んだ。


 にじり寄る私。


 さらににじり寄る私。


 ほくそ笑みながらさらににじり寄る私。


 これでは私の方が妖怪である。


 あと数歩の所まで進んだ私。化猫の体に緊張が走ったのがわかった。戦闘開始はもうほんの数瞬後のことだろう。しっかりと体を反応させなければならない。右にも左にも動けるように、体重を体の真ん中にかけ、目は化猫を睨みつける。


 この時私は、傲慢にも自分の勝利を確信し油断していたのかもしれない。古来より油断大敵というが、それをまさしく身をもって体感した。やはり先人先達の言葉は正しいのである。


 まさか化猫が真っ直ぐこちらに向かって走り、そのまま顔に向かって飛び掛るとは予想もしていなかった。私は「ぬぷぁ!」という叫びを上げ後ろに倒れ、その上を黒い塊がすごい勢いで走り去った。


 私は、身じろぎすることも出来ずそれを見送り、階段をドタドタと上っていく足音を頭上から聞くのみであった。

 人というものは、突発的な恐怖には体が固まるという。以前それを聞いた時、まぁそんなものだろう、と私は曖昧に納得したことを覚えている。しかし、自分自身が身をもって体験した今、その曖昧さは霧散し、確固とした確信を得ることとなった。


 想像していただきたい。


 得体の知れない黒い巨塊が自分の顔に向かって、猛烈な勢いで走ってくるのである。その驚愕と絶望感は、怒りに駆られた私の精神を木っ端微塵に粉砕したのである。人間の精神とはかくも脆いのだ。ただし、「ぬぷぁ!」と発するとは思わなかった。おそらく私の人生で初めて発した言葉であろうし、もしかすれば、人類初の言葉かもしれない。


 化猫が走り去った台所には、倒れた私と見るも無残な姿となった鯵の開きが残された。そして鯵の開きの瞳が、恨めしそうに虚空を見つめていた。

2018/09/03 加筆修正

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