大人の遊び
作業開始からどれくらい時間がたったのであろうか。悠久のときを数えたと言いたいところだが、もちろんそんなことはない。二時間ほどだろうか。
気づけば全ての田舎の風景が完成した。「終わったー」という安堵の声が部屋に響く。
そして私たちはそれを綺麗に並べることにした。あれはこっちに、これはあっちに、これはどうしよう、これはああしよう。おおよそそんな感じで。
並び終わった光景は、予想通りではあったが圧巻であった。
あたり一面眼下に広がるは、まさしく田舎の風景である。その光景は、自分がだいだらぼっちにでもなったかのような錯覚を覚えさせる。
だいだらぼっちに関して簡単にご説明すると、日本各地で言い伝えられる巨人である。山や湖を作ったという伝説が多く残り、国づくりの神に対する信仰がこのような言い伝えを生んだようだ。
それはさておき、これぞまさしく日本古来からの風景である。
私はこのような茅葺屋根のある地域、例えば岐阜県奥飛騨白川郷などには行ったことはないのだが、なんとも郷愁感が漂ってくる。
懐かしい。
私はこれが日本人の原風景なのかもしれないと、柄にもなく思ったりした。もしくは、マンガ日本昔話でよく見た光景であるから、そう感じるのかもしれない。
旧私の自室はあたり一面、田舎風景となった。これだけのものが一堂に会するのはなかなかに無いことである。
独身貴族を見れば、作り終えた充足感からか、皆一様に慈しみをたたえた瞳でそれらを眺めている。仏教で言う慈悲の心である。
前述ではあるが、だいだらぼっちは、国つくりの神がその元になっている。
今我々はだいだらぼっちとなり、ひとつの田舎、その国を作ったのである。
さりとて、その充足感も十分もかからず霧散した。要は飽きたのである。
おそらく独身貴族全員、同時に飽きたのであろう。全員の瞳に飽きの字が浮かんでいる。
ここで皆の飽きを察したのか、中村の口から言葉が飛び出した。
「こんなこともあろうかと……ちょっと待てよ」
中村はどこかのマンガで出てきたようなセリフを発した。このセリフの後は、絶対に何かが出てくる。そしてどこに隠し持っていたか、脇から何かを取り出した。それは飛行機のミニチュア群であった。
「今からだいだらぼっち退治を始める!」
中村は堂々と演説を始めた。要は中村の言いたいことをかいつまむとこうだ。
じゃんけんに負けた一名がだいだらぼっちになる。
その他の者は飛行機のパイロットになる。
飛行機がだいだらぼっちを退治するごっこ遊びをするのだ。
ストーリーはこうだ。
この田舎に古来より伝わる巨人、だいだらぼっちが現れた。
恐怖した村人は、地球防衛隊に救援を要請。
飛行機によりこれを退治することになった。
話し終えた中村の鼻の頭は光っていた。男汁大噴出である。
中村もだいだらぼっちのようだ、と、同じこと考えていたのは少しびっくりした。
それにしてもなんという内容であろうか。とてもではないが、ほぼ三十路と三十路がやる遊びとは思えない。地球防衛隊とはなんだ。
いい大人なのだから、もっと政治や経済について、前向きで建設的な議論をすべきである。刻々と変化する時勢を読み解くのだ。それで泣ければ哲学、いや、文学でもいいかもしれない。いずれにしても、もっと違う方向に頭と時間を使うべきである。
そう思い、独身貴族を見る。
それ見たまえ、全員……
ノリノリであった。
ノリが悪かったのは私だけであった。
林くらいは反対するかと思ったが、その眉間の皺をおさめ、なにやらニヤニヤしている始末。もう拒否することは空気の読めないやつ、という烙印を押されるること請け合いである。
ここは素直に流れに従うことにする。自論に固執するばかりが大人ではない。着地点はいつでも足元に眠っている。それも大人の対応なのだ。
ともかく、だいだらぼっち役を決めなければならない。
それはじゃんけんにより決められることとなった。
皆それぞれ思い思いにコンセントレーションを高めているのがなんともおかしい。
塚田と間宮は、自分の両手を組み、ぐりっとまわしてその手の中身を眺めている。
塚田は「見えた!」といい自信満々であり、反対に間宮は首をかしげている。
中村は「パーを出す」と宣言し、対抗して林は「グーを出す」と、こちらはギャンブルマンガも顔負けの心理戦を展開しているようである。はてさてどうなることか。
片岡はなぜか座禅を組んで瞑想を始めている。いつもながら思うのであるが、片岡は「変な人」というよりも「妙な人」というのがしっくりくるような気がする。
私はというと、どうしたものやら分からず天に向かって拝むことにした。
いずれにしても決戦の時は近い、と思った刹那、そのときがやってきた。
中村が音戸を取る。
「じゃあいくぞ!最初はグーな!最初はグー!じゃんけん!ぽおおおん!!」