回り込まれた!
それにしても、何故私の土曜日には、何かしら物の怪的な問題が発生するのであろうか。まったくもって呪われているのでは、と疑わざるを得ない。前世の因果か、それとも大宮高島に送った悪戯メールが原因か。やつらのあの悪鬼具合ならば、そのくらいは出来るそうである。
さて、この鵺のレベルはどのくらいであろうか。多分40は下回らないと思われるが、読者諸兄いかが想像されるか。中盤最後のボス、くらいのレベルに違いない。そのたっぷりとついた腹の肉がボスの風格を醸している。
私は鵺より回覧板をもらい、礼を述べた。そこから鵺と少しの間、立ち話をしようとすることになった。いや、鵺が一方的に話し出した、が正確である。
得体が知れない人物とはいえ、そうそう邪険にも出来ない。昨今ご近所づきあいが希薄になったとは言われるが、理由があれば立ち話くらいはするものだろう。浮世を渡るのもなかなかに大変で手間がかかる。
鵺の正体は、やはりというかなんというか、お隣さんのお姑さんであった。同居のために、最近大阪から越してきたらしい。生まれはこの近辺らしいので、特に大阪弁というわけではないそうだ。イメージで語った大阪というフレーズが見事にあたり少し嬉しい。
ぞわっ……。
このとき、私の首筋と背中に言葉にならない悪寒が走った。なんであろうかこれは。かつて無い寒さである。なにかとてつもなく恐ろしいモノがやってくる、という気配。麻雀マンガでいうなら、当たり牌を捨てる時に全身に電流が走り止める、というヤツに近いか。私の人生、その最近については妖怪物の怪に蹂躙される運命を背負っている。今までの傾向と対策を考えると、私のいやな予感というのは、残念なことにおおよそ的中する。
私は悪寒に従い、立ち話もそこそこに、家に逃げ戻ろうとした。
「ところであなた、一人暮らしなの?」
しかし、私の逃走が成功する前に、鵺の攻撃は開始された。ゲームで言うなら「回り込まれた」というやつである。
以下、攻撃全体の二割程度を記す。
「ご両親は?あぁ言いたくないなら言わなくていいんだよ、人間誰しも言いたくないことの一つや二つはあるんだから。おばちゃん、それくらいならわかるのよ。それにしても大変ねえ。男の一人暮らしも楽じゃないでしょ。炊事洗濯家事全部を自分でやらなきゃだめだからね。あたしも少し前には一人暮らしをやっていたけれど、ま~あそれはそれは大変だったわよ。子供たちも家を出たからかなり楽だったけれどね。一人は一人で気楽だし。自分のことだけやっていればいいんだから。あなたは今、家で何をやっているの?まだ若いのにこんな昼間に家にいるってもったいない。いくら家に誰もいなくて居心地がいいからって家に閉じこもってばかりじゃだめよ。若い子らしく外で遊びなさい、外で。外に出るとお金が掛かるけど、お金には返られない経験ってモノが手に入るんだから。なんかそんなコマーシャルあったでしょ!詳しくは覚えてないけど!」
(中略)
「おばちゃんが若い頃なんてそれはもう活動的だったわよ。あれはそうね、お転婆といっていいくらい、あっちへ行って、こっちへ行ってたわ。今と違って日曜日しか休みは無かったし、交通も不便だったけれど、外で人と遊んだり、死んじゃった旦那と海へ山へとそれはもういろいろ行ったわよ。そうそう、今みたいな季節だったけれど、秋田の山に行ったときなんか、熊に出くわしちゃって、それはもう驚いたのなんのって。あの時は生きているのに三途の川が見えたってもんよ。ほら、女だからってお花畑じゃなくてよ。ここ笑うところよ!あなたもそんな経験ない?無くちゃだめよ、そのくらいドキドキする経験は!別に熊じゃなくてもいいから!ほらこの前テレビでつり橋理論なんてことをやっていたけれど、それが元で旦那とくっついたわけじゃないんだからね。あんたはそういう最近の子っていい年してゲームばっかりやって、外との交流が無かったりするんじゃないの。今何やってたの!?やっぱりゲーム!?ダメダメ!そんなんじゃ!もっと外に出て!ほらもっとこう外にでるのよ!なんかいい出会いがあるかもしれないの。無いかもしれないけれどそれはおばちゃんのせいじゃないんだからね。こう玉砕覚悟で突っ込むのよ!特攻隊みたいに!じゃあ私はご飯の支度があるから。確かに回覧板は渡したからね!」
いつ果てるとも知れなかった鵺独演会は、食事の支度により唐突に終焉を迎えた。
帰り際、手を振るおばちゃんに私は手を振り返した。精も魂も尽き果てた私は、さながら夢遊病者のように手を振り返したに違いない。無間地獄に落とされた亡者のような心持であり、おばちゃん独演会、その二割程度しか書き記せなかったのが、その壮絶さを物語っていると思っていただきたい。
家に引っ込んだ私の頭からは、ゲームという言葉がごっそりと抜け落ちていた。もはやゲームをする気力が無い。なお、抜け落ちていたのはゲームという言葉だけではなく、若干の頭髪も抜け落ちていたかもしれない。あれだけの地獄を体験したのだから、そのようなことが起こっても不思議ではない。お世辞にも潤沢とは言い難く、数限りある私の頭髪が抜けて落ちるという事態に陥っては、鵺に謝罪と賠償を要求したいところである。しかしそれを実際の行動に移すほどの勇気はないので、泣き寝入りすることとする。ともすれば、再戦、という一番迷惑千万な切り替えしが来ることも想像の中にはある。それだけは避けねばならぬ。