人ならざるもの
河童の住処といえば、川や湖沼と相場は決まっている。しかし私の家は取り立てて申し上げるところの無い、至極普通の一戸建てである。これは私が河童ではない確固たる証拠ではないか。
私はそこに、一人で住んでいる。同居人はおろか、犬、猫、ネズミ、霊もいない。いや、霊についてはいないと信じたい。
念のために申しておくが、未だ両親は健在である。しかし、一昔前に流行った田舎暮らしとやらに憧れ、父の定年退職を期に南の島に移住をしてしまったのだ。それが私の一人暮らしの理由である。
一人暮らしで一戸建てというのは甚だ広く、なにより掃除が大変である。一人暮らしは孤独を感じさせるが、家の広さがそれをさらに加速させていくのも事実である。三十路手前のいい年をした男が、寂しさで泣き崩れる様は流石に些かみっともない。
その有様は強大な悪鬼悪霊魑魅魍魎すら呼びかねない、と冷静に判断し、現在は主に一階のみ使用している。
以前は二階も細やかに換気や掃除なんぞをしていた。しかし、使う事のない場所を掃除する面倒くささと無意味さを感じ、ここ一ヶ月ほどは立ち入ってさえいない。
そんな我が家で迎える今日は、土曜日、なのでである。
諸兄ご存知のとおり、社会人にとって土曜日とは安息日である。魔女の釜で煮られる様な仕事から解放される日。お釈迦様が地獄にたらした一本の蜘蛛糸。それこそが土曜日なのだ。
おりしも今日は晴天に恵まれている。
行楽、買い物、はたまた黒髪と眼鏡が似合う読書好きな女性とのデート、と、何をやるにもうってつけのである。
また街ではセールやイベントも数多く行われる。夜ともなれば沢山の人があふれ、華やいだ雰囲気になるものだ。エキゾチックな恋に酔いしれたり、運命の出会いを得ようと心ときめかす方も多いのではなかろうか。
平日休みの方には誠に申し訳ないが、私はこの土曜日の多幸感、高揚感というのは、何ものにも変えがたいと思っている。
そんなことを考えながら、私は居間でテレビゲームに興じていた。
三十路に片足を突っ込んだいい年の男が、外にも出かけず、昼日中から部屋に引き篭もり、あまつさえ女性の影なぞ微塵も感じさせず、醤油煎餅に齧りつき、テレビゲームに興じ、「おっしゃ!」などと口から発しているこの有様を、皆様はどう思われるだろうか。
ここはあえて、強く断言させていただきたい。
私はとても楽しい。これぞ土曜日の醍醐味である。
そぞろテレビゲームに熱中し、時が経つのを忘れていた。なお、繰り返し申し伝えるが、私は土曜日という安息の日を、これでもか、これでもか、と満喫しているのである。
そんな私の背中が、刺すような視線を感じた。
はて何者であろうか。
私は、視線の元は黒髪の乙女であって欲しいと切に願った。しかしそれはそれで不法侵入者であり、願ったとはいえ身の危険を感じるので、妄想を思い直した。出来れば黒髪の乙女はやめていただきたい。だからといって、覆面をし、バールのようなものを持った男は尚更やめていただきたい。
不法侵入者では無いことを祈りながら振り返ってみると、黒い塊がどかんと鎮座していた。
私は黒い塊がそこにある違和感と、覆面をした男で無かった安心感と、黒髪の乙女で無かった失望感があいまって時間が止まった。
数秒ほど経過すると、時間がまたゆっくりと動き出した。
それにしても、この黒い塊は何であろうか。再度時間が止まらないうちに、私は黒い塊の観察を開始し、現状を事細かに把握することにした。
よくよく見てみると、この黒い塊には目や口、耳がついている。そして全体的に毛だらけ毛むくじゃらである。つまりは生物と推測された。
頭をフル回転させ記憶のなかで最も近い生物を探してみると、どうやらこれは猫に近いようだ。なぜ即座には猫と断定できないかと言うと、それがあまりにも巨塊だから、という理由による。
この巨塊は、九割がた猫であろう。残りの一割は、ミュータントである。
しかし考えあぐね、可能性だけを論じていても埒はあかない。人はどこかで埒をあけ、決断をしなければ前へ進めないのである。人生もまた然り。
ゆえにこの巨塊を、勇猛果敢に猫であると断定し話を進めることとし、より一層の観察を試みる。
たっぷりと二抱えはあり、威厳すら漂わせる堂々たる体躯。その巨躯より放たれる風格は、半世紀を生きていると言われても、諸手をあげて納得せざるを得ない迫力に満ち満ちている。尻尾なぞは猫又よろしく二又なんぞは優に超え、糸こんにゃく状になっているが、歩くのに邪魔なので一塊りにしている、と、思われるほどの太さである。
私の観察に気づいたのか、私と巨猫の目が合った。睨み合いの様相を呈してきた。
私をしっかりと見据える瞳は、おおよそ普通の猫が発するであろう可愛らしさ、愛らしさを微塵も感じさせない。むしろ私が値踏みされている心持になるような、聊か鋭すぎる眼光である。
巨猫と私の壮絶を極めた睨み合いは、一進一退、竜虎相食むが如くであった。いや、まったく身じろぎはしていないので、相食むと言うのは大嘘である。
果たして、どのくらい睨み合いが続いたのであろうか。
唐突に巨猫はプイっと後ろを向き、悠々と尻尾を天にむけ、尻の穴を私に向けて立ち去っっていった。
巨猫との勝負に勝ったか負けたかは分からないが、人間としての尊厳は守られたようである。
ほっと胸を撫で下ろし、私はまたもゲームに没頭するべくテレビに向き直った。
しかし、ある違和感を感じた。
違和感の正体を探るべく、私は頭を回転させた結果、数秒ほどで気がついた。
違和感の正体とはなんであるか。
それは猫を飼っていないのに家に猫がいる、という恐るべき事実であった。
2018/09/03 加筆修正