封印されし記憶
飲み会の当日。待ち合わせ場所である某駅、その改札前。私と笹山は早々に到着し、他愛も無い雑談に花を咲かせていた。飲み会の直前である。微妙に高いテンションのまま狐と狸を待った。
すると不意に、後ろから声を掛けられた。
振り返るとそこには美女が二人いた。これは所謂逆ナンパというやつか、と、私は心の中で驚嘆の声をあげていたが、美女二人の声に聞き覚えがあることに気が付いた。
美女達の声を注意深く聞いて、私はやっと正解に辿り着いた。
正体は狐と狸である。
私はその驚愕すべき現実に気づくまでには、優に五秒を数えていたが、見れば見るほど全くの別人である。
狐の目は普段の切れ長の目ではなく、大きくパッチリと開いた目であり、狸にいたっては体型が私の記憶と大きく乖離している。
私はその事実に思わず口が半開きになってしまった。少し涎も出ていたかもしれない。狐につままれるという言葉があるが、狸にもつままれることがあることはその時知った。
実際、化粧などでここまで変わるのか、とも思う。
しかし私は、これは化粧だけで成せる技ではない、と断言したい。おそらく葉っぱを頭の上に乗せてバク転一発、そしてドロン! という音とともに、変化したに違いない。まさに現代に蘇る民話、御伽噺である。民話の葉っぱを現代語に訳すと、化粧品とコルセット、そしてメイク道具に変わるようである。時の流れと技術進歩とは、かくも恐ろしい。
そんな私をよそに、二人は笹山に擦り寄り、親しげに話しかけた。笹山もまんざらではない様子だ。物の怪が変化しているとはいえ、美女二人に囲まれているのである。男子であれば、嬉しくないはずが無い。
そんな笹山と相反するように、取り残された私の心は筆舌に尽くしがたい程、ささくれ立っていった。確かに美女二人に囲まれる笹山は羨ましい。しかしなによりも腹立たしいのは、この妖怪どもは、私の前では今日のような、変化とも言うべき化粧をしてきたことなど、一度も、ただの一度も無い、という憤怒すら感じる事実である。
予約を取っている居酒屋までの道のりを四人で歩いた。
正確には三人と一人で歩いた。
私の孤独感は瘴気となり、辺りに噴出されていたかもしれない。私の肩から背中から、黒いモヤのようなものが噴出され、世の中を暗闇で満たすのである。
世界を闇で覆いつくせ!
残念ながら、私も良識ある小市民であり、一社会人である。そこまでで妄想を留めておき、居酒屋までの苦難の道のりを歩んだ。しかし、やはり眼前の事実だけは拭い難く、地獄の鬼も裸足で逃げ出すような形相だったことを明記しておく。
その後、居酒屋に到着し四人で酒宴を行ったわけだが、私はこの飲み会での記憶を殆ど持っていない。その理由の半分は酔いすぎたからであり、確かに飲んでいないとやってられなかった。しかし何よりも、記憶を封印したかったのである。
記憶を壷に入れ蓋をして、霊験あらたかなお札をベタベタと貼り、さらには鎖でグルグル巻きにして海に沈め、止めに念仏の大合唱。そのくらいの気概で、記憶が封印されているのである。
微かに残っている記憶では、酔っ払った狸が、私の髪の毛をつかんで引き抜いていた。私がまた一歩、しかし着実に河童に近づいた。その後色々あって、笹山が悲鳴をあげて遁走し、唐突な幕切れを迎えた。
残されたのは狐と狸と河童こと私。そして壊れた店の備品とオロオロする居酒屋の店員さん。ただそれだけである。
こう思い出してみて、むしろ一番封印すべき記憶を、やけにハッキリと覚えている気がしてならない。もしも願いが叶うなら、過去の自分を問い詰めたい。お前は阿呆か、いや阿呆だ、と。過去の自分が阿呆だと、未来の自分が困るのだ、と。
さて、狐と狸との出会い、そして、その後を思い返してみた。
思い出すにつれ私には段々と暗く重い、怒りの情念がフツフツと湧き上がった。得たものは無く、失ったものは時間と幾ばくかのお金。そして髪の毛。地獄の鬼でもここまで無体かつ、理外法外な取立てはしないであろう。
これは霊山にでも篭って仏法、法力を修め、この妖怪物の怪、はたまた悪鬼羅刹とも言うべき狐と狸を退治せねばならん、と思い至った。
しかし、ただ一つ懸念がある。
仮に私が仏法、法力を修めたとしても、あの妖怪二匹に勝てる気は全くしないのだ。
故に今回は霊山に篭るのを止めておく。
必ずや一矢報いるときが来るはずなので、それを待つことにする。覚えておけよ、このやろう。
第一章 狐・狸 -了-
2018/08/15 加筆修正