電子メールによる招集令状
私の中ではつい先日、「ハッピーニューミレニア~ム!」「いや21世紀は来年からだから」というやり取りをした気がする。私の気をよそに、現在はもう21世紀となっており、そしてそれから結構な年月が過ぎ去っている。
私にとっての21世紀とは、「未来」を表す言葉であった。
同年代の方には、この心境がご理解いただけると思う。同年代の基準としては、先ほどの「ハッピーニューミレニア~ム!」のやり取りの意味が分る、ということをあげさせていただきたい。
現在は21世紀であり、私はあの頃の未来に立っているのは間違いないのだが、私の空想とこの現実世界とは、ずいぶんと隔たりがあるように思える。
私にとっての21世紀とは、車が空を飛び、銀色のピタッとした服を身につけ、腕時計型のトランシーバーで連絡を取りあい、よくわからない光線の出る銃を携帯し、街はバリアーに守られている、そんな世界である。
無論、未だ車は空を飛んでいないし、銀色のピタッとした服は前衛芸術としか思えないファッションショー以外で見ることはかなわない。トランシーバーは言葉自体が骨董品として埃を纏っているし、光線銃やバリアーに至っては「一体何と戦うつもりだったんだ?」と、私自らがツッコミを入れたくなる始末である。
他にもたくさんの空想をしたはずであるが、私とて恥をさらしたくはないので、ここまでとさせていただきたい。
ところで、そのような空想をしていた時分、私は麒麟児と呼ばれていたはずである。今改めて思い返してみて、自分が本当に麒麟児であったかどうかが怪しく思えてき、暗澹たる気持ちとなった。
気を取り直しつつ話を戻すが、私の珍妙極まりない空想妄想をよそに、現実の技術進歩は極めて合理的に、そして全く健やかに成されたのだと思う。
しかし、私の脳内イメージとあまり変化がなく、かつ現実に使用されているものもあるにはある。
それは電子メールである。
これは子どもの頃に思い描いたイメージとあまり変わりがない。連絡をしたい相手に即座に届く手紙、これは私の中での未来ツールである。
現実と空想が違う点といえば、メールを開封した瞬間に立体ホログラムが現れて話しかけてはこない、ということくらいか。しかしこれは、近い未来に誰かが成し遂げてくれるもとの信仰している。絶対に同じような空想した人がいるはずであるから。
電子メールというのは大変便利なものである。
その便利さにあ様々な要因があるが、なによりも相手の都合をあまり考えずに送ることが出来る、というのが大きいのではないか。電話がかかってきてしまうと少し厄介である。恋人との愛の語らい中でも、トイレで過去に例を見ない強敵との戦闘中でも、その場で対応を迫られる。
しかし電子メールであれば、暇であれば即座に返信し、忙しければ後に回しせばよい。電子メールを送る方も、もしや愛を語らっているのではないか?トイレで魔王とも言うべものとの戦闘を繰り広げているのではないか?と気を回す必要がない。
さらに同じ文面をまとめて複数人に遅れるのである。これは会議の招集などにはもってこいとことさら強調して思える。
ここまで読まれて勘の良い方は、「あぁ、またあの痛い会議をやるのか。」と思われたかもしれない。そしてその予想は極めて正しい。
前回の独身貴族円卓会議より、独身貴族の面々は頻繁に連絡を取り合うようになっていた。
連絡を取り合うというか、頭に浮かんだ珍奇な妄言を相手に送りつける行為が頻繁になった、というのが正確なところか。例えば一番最近私に入ったメールといえば、中村からの「生キャラメルって、何が生なんだ?」という内容であった。無論そんなことは知らないし興味も無いので黙殺している。
かような非生産的、かつ非合理で不健全なことに電子メールを使うのは、文明の利器、ひいては技術進歩をもたらした科学者技術者の皆さんに対する冒涜ではないかと思う時もある。
しかしである。もしかすれば、先ほどの「生キャラメルの生とは何か?」から新しいビジネスアイデアが生まれるかもしれず、もしや本を出版する方も出てくるかもしれないではないか。全て可能性ではあるが、ないとは言い切れない。この世に無駄なものはないことの証明だ。
さりとて、詭弁というのは自覚しているので、触れてはいただかないよう、伏してお願い申し上げます。
そんな、私が誰に何をどう弁護をしているかよくわからないことをしていようとも、電子メールは唐突に飛んでくるのである。
携帯から着信音がなり、画面に送信者と件名が表示される。
送信者を見れば、塚田にキャメルクラッチをかけた林である。
件名は「招集令状」とあるが、なんとも形容しがたい言葉のチョイスと言わざるを得ない。
林は他の面々に比べて妄言が少ない。
それを鑑みれば、メールの内容は普通に考えて独身貴族円卓会議の招集であろう。またもやあのメンバーで不毛でろくでもなく、時間をドブに捨てるような会議を創造しようというのか。