二次元への片道切符
塚田が男地獄で刑罰、キャメルクラッチを受けてから、さらに一週間が経過した。
林から必殺の関節技を喰らった後の塚田は、それはもうぐったりとしていた。まるで浜に打ち捨てられた秋刀魚のような有様と言えた。そんな様になりながらも、左足だけが天を突いていたのは唯我独尊的な、心意気だったのであろうか。
塚田は必殺技を食らったわけであるが、体はその後何も無かっただろうか。心は合わせガラスの強度でありながらも、体は不健康そのものであるため、心配にならぬといえば嘘になる。そう思っていた矢先、中村からメッセージが飛んできた。
中村は塚田のことを話題に乗せた。中村によれば、塚田はその翌日から毎日のように接骨院へ通っている、とのことである。なんでそんなことを知っているのか、と中村に問いただしたところ、中村の勤務先はその接骨院なのだそうだ。こいつは患者の個人情報を守る、守秘義務という言葉を知らないのか、と思った。しかしまぁ、悪縁極まる独身貴族内のことだからよしとしよう。
それにしても接骨院に通うことになるとは、キャメルクラッチの威力とはかくも凄まじいものか。肉が唸りを上げ、骨が軋んだのかもしれない。林、少し自重しろ、手加減しろ。
しかし中村によれば、塚田は初日こそ目に見えて体が悪そうであったが、翌日からは受付の女の子に鼻の下を伸ばしに伸ばしている、ということであった。なんだそれが目的か。分りやすさのこの上ない。
その塚田の分かりやすさは尊敬、賞賛に値するが、中村は憤っていた。同じ職場の女性に声をかけられたことに対する憤りか、と思われたが、「現実世界の女に鼻の下を伸ばすとは、独身貴族の風上にも置けない」と、違う方向で怒り心頭らしい。
別に独身貴族はいわゆる二次元の住人ではないそ、と突っ込みたくなったが、発言者がフィギュア好き、二次元に片足を突っ込んでいる中村である為、意識的に放っておく。これは突っ込んだら負けだと思われるが、皆様どう思われるか。
中村について記す。
中村は一言で言うならオタクである。それ以外の何物でもない。
外見はといえば、ぽっちゃりとした体型。甲虫を連想させるテカった黒髪。牛乳瓶の蓋に揶揄される黒縁メガネ。中身の方は、三十分アニメのあらすじを一時間にわたり解説してくれるその知識。時間短縮のため恐ろしい速度で回る口と舌。好きなものに対するその偏愛、などなど、語れば語るほど、絵に描いたようなオタクである。
中村が得意とするジャンルは、マンガ、アニメ、ゲームであり、そのどれをとっても一級品の知識を持っている。そして、ケンカはからっきしの三級品である。
そんな彼は、無論アニメやマンガはよく見、そしてゲームもたくさん消化する。しかしものすごい量を購入するため、全てを消化しきることは出来ずに、部屋の中に平積みされている。その積み本積みゲームはちょっとした山のようであり、中村山古今に比類なし、と古今和歌集にも詠われたほどである。踏破するのも一苦労の、うず高い山と言える。
そして、もう一つ収集しているものはフィギュアである。
ロボット、美少女、アメリカンコミックなど、何から何までフィギュアを集めるのが好きなのだ。これもまた恐ろしい量を購入し、部屋に飾り散らしている。飾り散らしているとは凄まじい表現であるが、フィギュア保管の為だけにアパートを借りていることから、私の表現は決して行き過ぎではない。そこまでやるのが中村である。
普通そこまで金を突っ込めば、親類縁者からストップがかかるものであるが、中村の場合はどこからもストップがかからない。なぜならば、生活費から趣味の金、とにかく何から何まで全部自分で稼いでいるからである。定職についてもいるし、なによりも彼は一時期はそこそこ儲かっていたデイトレーダーであった。そのため年のわりに、たくさんの預貯金がある。株券が紙くずになった私とは、雲泥の差だ。
金はあるのだが先述のとおり、現実世界の女に興味は無い、と公言するような、恐るべき硬派な男、中村。中村は、他の独身貴族どもとは少し違い、もう現実の女性とは結婚できない男なのである。いっそ清々しい。いやむしろそれを貫通して禍々しい。
中村についてはおおよそご理解いただけたかと思うので、話しを現実に戻そう。
2018/12/31 加筆修正