悪縁奇縁、数あれど
物の怪たちの一例をあげる。
大宮、高島という女性二名の話をしよう。二人とも年のころは二十代半ば。妙齢の淑女らである。
大宮は、長身でスラリとした体型である。見ようによってはモデルさんのように見えるかもしれない。その体型に合わせた細身のいでたちが多く、狐のような艶やかな茶色の髪と、細いつり目が特徴的な女性だ。
対して高島は、小柄で若干ずんぐりした体型である。そのフォルムは、背が低いというよりも、背が短い、といったほうがしっくりと来る。そして狸と言われるほど、目の下のクマが濃い。高島と知り合った人は、どことなくユーモラスな印象を受けるだろう。
女性を分類する無礼を承知で言えば、大宮は「綺麗な人」、高島は「可愛らしい人」である。
私がこの二人に出会ったのは、今から遡ること半年前のことだ。あまりにもひどい出会い方をしたので、ことさら忘れられない過去と言える。
ある統計によると、私の住んでいるこの町は日本有数の鉄鋼製品生産量を誇るのだそうだ。確かに鉄に関わる工場が多く建ち臨んでいる。
またそこに勤める工場職人を当てにしているのか、居酒屋や飲み屋が極めて多い土地柄であり、ひいては酔客の一大産地とも言える。
居酒屋飲み屋に限らないが、同じ商売の店が多ければ競争が激しくなるのはこの世の常であり、まさに弱肉強食である。そして、その熾烈な競争に勝ち残る手段として、素っ頓狂なことをやり始める店も当然のように存在する。
そんな店の一つに、自然映像を流しているバーがある。
その店の壁には大きなテレビモニターが掛けられており、ゆったりとした音楽と風光明媚な景色を提供している。酒だけでなく癒しを提供する。それがその店のとった営業戦略であった。確かに川のせせらぎや雄大な山々見ていると、とても心が安らぐ。仕事で疲れた社畜には、大自然の抱く安らぎが必要なのだ。
マスターも初老の男性で、数千年を経た屋久杉のような深い優しさと、慈しみを感じさせる紳士であった。
そこは私にとってなんとも居心地がよく、好んで通いつめていた。私はその営業戦略、術中に見事にハマったのである。
そのバーの名前は「風光明媚」という。恐ろしいまでにそのままな名前だな、と思ったことは明記させていただく。
そのバーで、前述の狐と狸との奇縁が生まれてしまった。
半年前のその日、いつもどおり私は一人で「風光明媚」にいた。
マスターと話すわけでもなく、カシスオレンジなんぞをチビチビとやっていた。私は翌日、有給休暇をとっており、それをいかに有意義に過ごそうかと考えていた。休暇の前日、社会人にとっては至福の時であろう。深酒しようとも、誰に文句を言われることもない。
そんな至福の真っ只中、突如やってきたのが狐と狸であった。
二人はなにやら私の聞いたことの無いカクテルを注文した。そして、出てきたそれをゆるゆると口に運びながら、二人ともモニターを見てボーっとしていた。
今思えば、精神を開放していたのかもしれない。仏教で言う空の心である。
しかし程なくしてそれも終わり、どちらからとも無く会話が始まった。年頃の女性らしく、恋愛の話だとか仕事の愚痴だとか、ともかく話の種は尽きないのだろう。
私自身の名誉のために言っておくが、決して聞き耳を立てていたわけではない。店にいるのは、マスターと私、そして先ほど入ってきた狐と狸だけである。つまり話し声がそこからしか出ておらず、また単純に彼女らの声が大きいのもあり、嫌でも会話が耳に入ってしまうのだ。
そして不幸は突然運命を絡めとる。ああ無情とは、この時のためにある言葉ではないかと思う。
ここから先は身の毛もよだつ話であるため、箇条書きにて失礼する。決して文章を考えるのが面倒だからではない。
狸が狐に何かを耳元で囁く。
突如大声を発し、怒り出す狐。
してやったり顔の狸。
やおら飛び交う椅子とビンタ。
何故か、とばっちりで椅子を食らう私。
狐が嘶き、狸は鳴き出す。
赤銅色の鬼が一匹出現。どうやらマスターである。
髪を引っ張られ著しく河童化が進む私。またもやとばっちりを食らう。
狐と狸を一喝し、腕を組み地を踏みしめ、二人を睨みつける赤銅色の鬼。まさに仁王立ち。
正座する狐と狸。
俯き茫然自失の私。
何かを書かされ店を叩き出される狐と狸。
そして、二人に迷惑料代わりに、と食事に誘われる私。
そう、これがこの二人との縁の始まり、その一部始終である。
悪縁奇縁は数あれど、ここまで酷い縁は見たことも聞いたこともないし、想像すらしていない。しかも出会ったのが、何の冗談か河童と狐と狸。民俗学者であれば、手を叩いて喜びそうな取り合わせである。
その後、これも何かの縁と思い、私は二人と幾度か一緒に酒を飲んだり食事をしたりした。そしてそこで、色々な話を聞くことが出来た。
なんでも保育園からの同級生とかなんとか、ともかく付き合いは古いらしい。いわゆる親友悪友同士ということか。しかしどうにも仲がいいやら悪いやらで、「風光明媚」での一件もよくあることに過ぎないそうだ。誠に迷惑千万な妖怪どもである。妖怪物の怪というよりも、悪鬼羅刹と言った方が正しい、とさえ思える。
喧嘩をする理由を聞いてみると、やはり年頃の女性らしいものであった。つまりは恋愛が絡むと諍いが起こるそうだ。ようは男の取り合いである。
ここまでで次の展開が分かった読者諸兄は、慧眼の持ち主と確信できる。
悪縁を得てより二ヶ月後のことである。狐と狸による、我が後輩、笹山の争奪戦が行われることとなったのだ。
ご都合主義的展開と言ってしまえばそれまでであるが、事実なのだからご勘弁願いたい。
笹山について大雑把に記す。
笹山は私よりも一歳若年で、私の大学の後輩にあたる。眉目秀麗、とまではいかないが、そこそこ顔立ちの整った男前である。昭和の香りがする好男子、といえばわかりやすいだろうか。そして長身で細身、筋肉質の体型。さらに言うならば勤め先は銀行で、生活的にも将来的にも硬い。つまり非の打ち所の無い、いい男なのだ。
こんな笹山は、いわゆる結婚適齢期の女性たちにとって格好の獲物であろう。
狐と狸はひょんなことより笹山と出会ったそうだ。
そして、どこから嗅ぎ付けたものか、私が笹山の先輩にあたることを知った。野生動物の嗅覚と強引さは感嘆せざるを得ないものであり、あれよあれよという間に笹山を含め、四人で酒でも飲みに行こう、と相成ったのだ。
しかし、ここで私は愚を犯したのだ。
それは風光明媚での一件を失念したことである。人間とは、かくも過去に学ばないものなのであろうか。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶという。しかし経験からすら学べない私は、愚者を通り越して阿呆なのではないかと思われた。
2018/08/15 加筆修正