独身貴族円卓会議
独身貴族円卓会議について記す。
世間一般で言う独身貴族とは、家庭を持たず独身、独り身で気ままに暮らしている人、を指すと思われる。最近はあまり目や耳にしない所を見ると、おそらく死語なのかもしれない。
しかし我々仲間内でいうところの独身貴族とはその意味では無い。言うなれば、彼女が欲しいのに出来ない人、のことを指す。そんなモテない男達が、ここで言う独身貴族である。
この呼び名は我々が高校生の時に思いつき、おおよそ十年以上を誇る、無駄に歴史ある呼称である。
当初はモテない男たちである我々が、自分自身に発破をかけるために、やや自嘲気味に名づけたものだ。一秒でも早くこの不名誉な称号を外そうと、自らに活つをいれるのが目的であったが、一年もすると当初の目的は忘れ去られ、私たちの思考的遊び場へと変貌していった。しかし十年以上も昔の高校生時分から、モテないと自負しているのだから大したものである。読者諸兄より惜しみない拍手を賜りたい。
貴族というからには公爵伯爵など様々な名称の爵位が存在する。順に並べると、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、である。
しかしながら、我ら独身貴族においては、爵位の名称は意味を成さない。もともと意味の無い、ただの毒の沼地なのだから当然である。
ちなみに「なんとなくかっこいいから」という理由で伯爵が大人気である。なお私はここでもマイノリティを気取り、子爵を拝命した。阿呆かどうかは各自判断されたし。自覚はしている。
なお、得恋によってこの独身貴族の称号は、剥奪されると定められている。称号剥奪とは大変不名誉な事態であるが、社会的にも世間的にも剥奪されたほうが名誉である、ことは言うまでも無い。御伽噺よろしく、亡者亡霊潜む地獄に引きずり込まれた主人公は、恋人によって救い出されるのである。
独身貴族についてはご理解いただけたと思うので、次は、独身貴族円卓会議についてである。
端的に言えば、独身貴族の拝命を受けた、私達たちだけを集めた会合が行われる。それが独身貴族円卓会議である。
誰かがやりたいといえば、それで会議は成立であり、後は集まるだけである。集まる場所は同じように誰かが勝手に決める。そう、それは今回のように独断的に。
なお円卓会議というが円卓で行ったことはない。円卓と名前が付いているのは、その方がかっこいいから、である。ふと思ったのであるが、今の世の中、円卓なんぞあるのであろうか。テレビドラマ以外で見たことなんぞ無いので、どなたか情報をお持ちであればお知らせ願いたい。
話しが脱線したので元に戻す。
さて、単なるモテない奴らの会合、と侮ってはいけない。そこでは腐りきった世の中に対し、正義の鉄槌を与えるべく、極めて崇高な話し合いが行われているのである。ちなみに腐りきった世の中とは恋愛至上主義な現実に対してであり、政治的理念は一切無い。世に溢れる恋愛至上主義に対し、明確に反旗を翻し、独身貴族のあるべき姿を話し合うのである。
会議では議事録もちゃんとつくり、印刷して各自に渡される。そして各自そっと机の引き出しかゴミ箱にしまうのである。一切行動に移さず、口外せず、本当にひっそりと行われる独身貴族円卓会議。誰にも迷惑をかけないという恐ろしく健全な、行動としては不健全かつ非建設的、そしてやたらと内弁慶な会議なのである。
最後に行われたのが今から十年前、その時に円卓会議の無期限停止が全会一致が可決された。というのも、二十歳を目前に彼女がいない、という理由で集まるのが、余りにも痛々しくなってきたからである。心も悲鳴をあげるのだ。
さて現実に戻って考えてみれば、やはり謎ばかりである。
なぜ今、またもやこんな痛々しい会議を、復活させるのであろうか。鎌鼬の一件で気でも触れたか、はたまた自棄にでもなったのであろうか。そして、何故牛丼にはこれほどまでに、紅生姜が合うのであろうか。
さて現在、眼前に広がる光景をご説明すると、むくつけき男七人が部屋で車座になりながら、牛丼をかっこんでいる。部屋に広がる牛丼の芳香と咀嚼音。
もし仮にこの世に男指数というものがあったとしたら、今現在それは120%を超えているであろう。その指数が何を表すのかは全くの謎であるし、考える気にもならない。しかし120%には違いない。細かいことは問わないでいただきたい。
それにしても何であろうか、この男だらけの部屋は。色で表すなら灰色か茶色一色の世界である。なんとも色も花も無い。
右を向いたら男。左を向いても男。上を向いたら天井。下を向いたら食べかけの牛丼。なんという有様だ。悲観して考えれば、ここは地獄ではないだろうか、と疑問を持たずにはいられない。
男地獄。そう、ここは男地獄である。
2018/12/25 加筆修正