食い、語り、飲み、飲まれる
続けて、赤鬼の食事について述べよう。
彼はその巨躯に見合った大食漢健啖家であり、エンゲル係数120%、借金してでも飲んで食うという噂である。
鯨飲馬食、鯨のように飲み、馬のように食うという言葉があるが、間宮のためにあるといっても過言ではない。むしろ、鯨を飲み込み馬を食らうといっても、間宮であれば強ち嘘に聞こえない。
大体私達普通人の二日分を、一日で平らげると思っていただきたい。ご飯をジャーからしゃもじで食べていたという目撃情報もあり、そのほどが伺われる。ちなみに目撃者は貧乏神であるが、どんな状況でそれを見かけたのか。どのような理由にせよ、さぞや迫力満点な光景であったであろう。
以前テレビで巨漢タレントが、カレーは飲み物、と、のたまっていたが、いやはや間宮にしてみれば、親子丼くらいまでならば、飲み物の範疇ではないかと思われる。
しかし酒にはめっぽう弱く、やはり強めの酒をおちょこ一杯飲んだ程度で赤ら顔がさらに真っ赤になる。いや、むしろ赤というよりも赤銅色になる。酒の弱さは私とどっこいどっこいだ。
さて唐突に間宮の紹介が始まったのは、私たちが「居酒屋きんぴらごぼう」に入ったとき、間宮がいたからである。
河童と貧乏神、そして赤鬼で期せずして、酒宴が行われることとなった。
気心の知れた友人というのは、一緒に飲んでいて気楽なものである。三人が互い互い十年以上の付き合いであるから、どんな人物で何が好きで何を言ってはいけないのか、学生時代の失敗談も失恋話も、全てを知っているし分かってもいる。
貧乏神が次のイベント企画を、身振り手振りを交えて朗々と語れば、私は唇を家鴨のように尖らせ、あーでもないこーでもないと茶々を入れていく。
赤鬼が厳つい赤ら顔に笑みを浮かべて、うれしそうに唐揚げを口に運んでいれば、貧乏神が負けじと赤鬼から奪い取ろうとし、頭を小突かれる。
私が過去の失敗を思い出し、心の深遠に飲み込まれそうになると、赤鬼はそっと哲学の話題などを提供し私に議論を吹っかける。そして内容が分からない私は自分の学の無さを呪い、更に深遠に近づいていく。
それらは長き歳月繰り返されたものであり、一種の様式美である。
それが一通り終わると、次は皆で様々なものに向けて呪詛を吐くのである。
仕事の同僚、部下、上司へ。
不甲斐ない政治へ。
振られた女性へ。
大盛りを頼んだのに全然量の足りない飲食店へ。
バグだらけのゲームを発売したゲーム会社へ。
等身大仏像に対して。
不甲斐ない抜け毛と毛根へ。
しかし私たちは呪詛を吐く間は、必ず笑いを入れることにしている。
呪詛をただ吐くだけでは鬱屈した気持ちになるだけだからであり、なおかつ仕事で強固に塗り固められた心を解くためには笑いが必要であるのだ。笑い話にしようとして滑るときも多々あるが、まぁ滑ってもいいじゃないか。酒の席なのだから。
二時間ほど語ったところで私たちは心から満足をした。
酒は百薬の長というが、それは友人との語らいがあって言えるものだと切に思う。それほどまでに私たちは飲み、笑い、呪った。
間宮も気分よくなったのか、赤ら顔がさらに赤くなっていた。
しかし我々は一つ失敗を犯した。
間宮がいつも以上に酒を飲んでいることに気づかなかったのである。
それではさようならと、「きんぴらごぼう」を出たときより、赤鬼の様子がおかしくなった。
うなだれ、首の据わっていない赤子のように、頭が前後左右に揺れている。いや、赤子の首を振り回してはいけないが、傍から見ても明らかに酔いすぎた風情である。
赤鬼の家まではここから徒歩で二十分程度だそうだが、この様子では無事帰宅できるか些か危うい。おそらく家に着くまでに、どこかで打ち揚げられたあざらしのように倒れるか、頭をそこかしこにぶつけ、鬼も惚れ惚れとするような立派な角が出来上がるか、のどちらかであると思われた。
これは危ないと万が一を考え、塚田がタクシーを呼ぶこととなった。
タクシー会社に電話をいれ、手配を終える。
タクシーが到着するまでのその間、赤鬼の首は動きっぱなしであり、その有様は怪奇映画の様であったことは明記させていただく。
程なくタクシーが到着し、赤鬼を乗りこませた。
間宮を無事に自宅まで送り届けるべく、私と貧乏神は同乗することにした。
運転席には運転手さん、助手席に私、そして後部座席に赤鬼と貧乏神という布陣である。本来は後部座席に三人じゃないのか?と思われた方もいらっしゃるだろうが、そこは間宮の体格を考慮していただきたい。
不意に後ろを振り返れば、首を振っている赤鬼がまず目に入った。いやすでに顔色が変色し、赤鬼は青鬼となっていた。
その横には、だらしなく涎をたらしている貧乏神がいた。こいつも酔っ払っているのか。
そして、我々は五分ほどで間宮の家に到着した。
2018/12/19 加筆修正