小説はなぜ流行っている言葉を多用しないのか
若者たちが多用する若者言葉にはたくさんのものがある。
例えば「エモい」という言葉は 感動した、切ない、懐かしいなど複数の感情が交じった「言語化しにくい状態」を一つにまとめたような言葉らしい
他にも「やばい」や「すごい」なども複数の意味で使われているらしい。冷え固まった大人の言葉からは懸け離れているがそれがまたよいのだろう。
ただ、流行りの言葉を多用し小説を書いてると何年後かに読んだ時に分からなくなってしまった。という状況になるかもしれない。
その定型的といえるのが「尊い」だろう。
もともとは非常に価値が高い、神聖である、という言葉で使われていたがいつしか推しやアイドル、キャラクターなどが言葉にできないほど素晴らしいという意味を持つ言葉として広く使われるようになった。
しかし、テレビなどでみているとその「尊い」という言葉すら使われなくなったように感じる。「メロい」や「〇〇界隈」などもそうだろう。
SNSは人気のクリエイターやインフルエンサーにより数多くの言葉が生まれる。そのスピードはあっという間だ。
かけたお金や時間に対する効果「コスパ」「タイパ」を重視する意識も浸透している。また最近は、感情を正確に理解したり伝えたりする難しさから、あえて感情を出さない態度が定着しつつあるという。
日常の会話などで使われなくなり、通じなくなった言葉や言語「死語」が生まれる。
数カ月前に流行っていたものが「もう遅れてる」という時代だ。
だから 何年も読まれている文豪たちの小説はこうした言葉を多用しないのかもしれないな。




