さいしょのクライアント
一階から聞こえる悲鳴を聞きつけた名探偵が人間離れした速度で階段を駆け下り、一歩遅れて僕も降りる
出遅れた僕が見た光景は「名探偵が母親に殴りかかっている」という衝撃的な光景だった
「なにして」
リビングで母が壁にもたれかかり、それに覆い被さるようかがむ探偵。正確には殴りかかっているわけではなかった。そう見えただけで、実際は母の頬をかすめ、その横にある柱に向かって拳が振るわれていた。
「え壁ドン?」
壁に寄れかかる母と、覆い被さるようにその横を殴る探偵。異様な図だ。
「ん、あ、悪い!ばれちゃダメなんだっけ、でも悲鳴聞いて黙っちゃいられないよ」
被さるように腕を伸ばしていた探偵は腕を退け、体をどけてそそくさとバック走で後ろへさがる。
「あぶなっ痛っ」
そして近寄っていた僕にぶつかる。
「痛っ、ごめん」
「いや、大丈夫……って母さん大丈夫!?」
気を失ってるみたいだった。
「よかった!バレてないんだな!」
ふうとコートの裾でひたいを拭う探偵。拳が赤くなっている。
「いや、そういう問題じゃ……とにかくあなたは部屋に戻って」
「ああ、たしかに起きて見られちゃまずい」
そそくさと階段を上がる探偵を横目に、母さんの肩を揺らす。
「大丈夫?」
「ん、あ、あれ?わたしなにを」
「よかった気がついた」
「あら慶悟、勉強はどうしたの?」
「いや、お母さんの悲鳴が聞こえたから急いで駆けつけたんだよ」
「え?」
しばらくして、お母さんはフッと思い出したかのようにこっちを見た。
「あぁ、さっきネズミがいて、びっくりしてそれで倒れて頭を打ったのね」
「大事にならなくてよかった……一応病院いったら?」
「うーん、そうしようかしら。まあ、気にせず勉強しなさい」
「あ、ああ、はい」
僕も階段を上がった。
「ひっ」
部屋に戻り、目にした光景は、血みどろだった!
「おお戻ったか少年」
「いやその手」
「ん?ああこいつか、悲鳴の原因っぽかったから殴り殺しといたぜ?」
ネズミの死体が、内臓をぐちゃぐちゃにして探偵の手にべっとりとついていた。
探偵は手をぱっぱとはらって……あぁ部屋が!汚くなる!
「んじゃまあ、歴史のすり合わせはすんだし、そろそろ外にいこうぜ」
「そういえば、その案内をするって言ったんだった」
「忘れてたのか!?」
「まあまあ、細かいことは置いといてさ」
あれ、でもよく考えたら玄関は親がいて使えないし、どうやってここから出よう。絶体絶命じゃないか。
「まあいいや、んじゃいくか外!」
探偵は呑気に目を輝かせ、跳ね、まわり、コートを揺らす。こどもっぽくはしゃぐ彼女をよそに、僕は外に出る方法を考えていた。
風を感じた。
「なんで窓開」
言い切るより早く僕の手を掴んだ探偵は、そのまま窓の外へと僕を投げ出した。
「え」
息つく間もなく彼女も飛んできて、腕が僕をがっしりと、空中で抱える。
こうしてみると思ったよりも身長おおきいんだよな、このシャーロック・ホームズ。
空中にいる時間は短い。しかし謎の脚力ですっ飛び、かなり家から離れた地点へ着地した。
「そんな手荒な」
「玄関から出れないんだからしかたがないだろ」
「まあそうですけど」
「それで、話は変わる、というかかなり戻るんだがな」
「はい」
「この世界はかなり平和なんだよな」
「そりゃ簡単に人が死んだりはしませんけど、それが?」
「人死にはなくても、私の出番が以外もありそうだなと、おもっただけだ」
どういうことだ?
「あー、なんというかな、平和と聞いて、探偵しか能のない私は、最悪、本当に最悪の可能性として、元の世界に戻れなくてもこの世界で仕事が持てるのかとか考えていてね」
とりあえず元の世界に戻る気まんまんなのはわかった。
というかあの脚力、アスリートとかで余裕で食っていけそうだが。
「まあなんだ、上から見た限り、この世には困っている人がたくさんいるらしい」
見ただけでわかるのかよ。
「わかるんだな、それが」
もはや超能力の域だろそれは。
「んで、その困ってる人たちを助ける探偵として、活躍できると思ったってわけさ」
「はい、じゃあそろそろ目の前にいる女の子にふれてもらってもいいですか」
僕たちは窓からすっ飛んで、路地のような狭い道に着地した。壁があって衝撃を和らげられるとかそういう理由もありそうだが、今の話を聞く感じ、一番の理由は仕事。つまりクライアントを見つけて降り立ったということらしい。
「ひぐっ、ぐずっ」
涙を流し、鼻を啜る。そんな音を立てながらぐずぐずとちぢこまっている女の子。
「こんなところでどうしたんだい、少女」
さいしょのクライアントは口を開いた。
「おかあさんも、クマちゃんもいなくなっちゃったの!」




