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辺境ギルド長シリーズ

【辺境ギルド外伝】報われない仕事――カイの日常

掲載日:2026/02/09

※本作は、近日公開予定の連載

『左遷された辺境ギルド長は、戦わないのに最強でした』

の前日譚となる短編です。

本編未読でもお読みいただけます。

 中央ギルド本部の会議室は、いつもより空気が重かった。


 長机の上に並ぶのは、依頼書と添付資料。紙の束の端には、赤い封蝋が押されている。緊急案件――という印だ。


 しかし、誰もその束に手を伸ばさない。


 視線だけが、紙の上を滑っていく。

 そして、次々と逸れていく。


「……報酬、これだけか」


 誰かが小さく呟いた。


 依頼内容は、王都近郊の小村を襲う“地中を走る魔物”の排除。被害は増え続け、井戸は濁り、家畜が消え、人が怪我をしている。だが討伐対象の正体が曖昧で、危険度は読めない。


 おまけに報酬は低い。


 理由は簡単だ。

 村が貧しいから――ではない。中央の財務部が、予算を認めなかった。


 成功しても評価されず、失敗すれば責任だけが残る。


 中央ギルド長が嫌う案件として、これ以上分かりやすいものはない。


 上座に座る中央ギルド長――数多くの王国ギルドのトップに君臨する壮年の男は、薄い笑みを貼り付けたまま言った。


「さて。誰が受ける?」


 笑っているのに、声は冷たい。

 “受ける者がいない”ことを、最初から分かっている口ぶりだった。


 会議室の沈黙が伸びる。


 誰も手を挙げない。

 誰も「無理です」とも言わない。


 言えば、空気が悪くなる。

 言わなければ、誰かがやるかもしれない。


 その“誰か”になる気がない者ほど、黙るのが上手い。


 カイは末席で、淡々と資料に目を通していた。


 中央ギルド総務局課長代理。

 役職は地味で、権限も派手ではない。だが依頼の割り振り、危険度の再評価、補給線の調整――そういう“目立たない骨組み”を支える部署にいる。


 彼は、会議の空気を読んでいないわけではない。

 読んだ上で、優先順位を変えないだけだ。


 依頼書の端に記された数字に目が止まる。


 被害者数:三日で七名。

 負傷:骨折二、裂傷五。

 死亡:なし。


 まだ死者は出ていない。

 だが、この手の案件は、遅れるほど“最初の死者”が出る。


「……対象、地中移動。出現箇所が一定ではない。井戸周辺で多発……」


 口には出さず、頭の中で整理する。


 討伐の難しさは、魔物の強さではなく情報の欠如にある。

 強いパーティでも、条件が悪ければ事故は起きる。


 それでも、放置はできない。

 放置すれば、被害は必ず“数字では済まない”領域に入る。


 上座の男が、軽く咳払いをした。


「どうした? 誰もいないのか?」


 薄笑いが深くなる。


「王都近郊の村だぞ。中央の顔に泥を塗る気かね?」


 威圧というより、嫌味だった。

 無理難題を投げて、誰かが引き受けて失敗するのを待っているような――そんな言い方。


 カイは、ゆっくりと手を挙げた。


 会議室の視線が一斉に集まる。


 彼は淡々と言った。


「適任のパーティを、こちらで選定します」

「……ほう?」


 中央ギルド長が、興味深そうに眉を動かす。


 カイは、依頼書の余白に書き込んだメモを確認した。


 ・地中索敵ができる斥候

 ・足場が悪い環境での戦闘経験

 ・過去に“撤退判断”の記録があること

 ・治療担当が帯同可能


 強さより、条件だ。

 英雄より、役割だ。


「現状、候補は二つあります。『灰鴉(はいがらす)』と『ミスト・ライン』」


「どちらも、あまりパッとしないな」


 ギルド長がつぶやく。


 誰かが笑った。

 “地味なパーティ”という意味で。


 カイは気にしない。


「派手である必要はありません。必要なのは生存率です」


 その言葉で、会議室の笑いは引っ込んだ。

 居心地の悪い沈黙が戻る。


 中央ギルド長は、指を組んで言う。


「で? 彼らが断ったらどうする」

「断らない条件を整えます」

「報酬が低いのだぞ?」

「補給と保険の枠を調整します。あと、依頼の“評価項目”を変更します」


 さらっと言ったが、簡単な話ではない。

 評価項目の変更は、他部署の承認が必要だ。書類も増える。残業も増える。


 それでも、カイは眉一つ動かさなかった。


「……勝手にやれ」


 中央ギルド長は吐き捨てるように言い、会議は散会になった。


 椅子が引かれる音が重なる。

 皆、解放されたように席を立つ。


 カイだけが、机の上の依頼書を丁寧に揃えてから立ち上がった。


*


 交渉は、予想より面倒だった。


「村のため、って言われてもなぁ……」


 灰鴉のリーダー――眼鏡をかけた斥候の男は、依頼書を指で弾いた。


「これ、危険度が読めねえ。地中移動ってのは厄介だぞ」

「そうですね」


 カイは頷いた。


 “だからやってくれ”とは言わない。

 感情で押すのは、最悪の交渉だ。


「こちらでできる準備を提示します。まず、現地での索敵補助。井戸周辺の地質図と、過去の被害位置の記録を揃えました」

「……昨日まで無かったはずの資料だが?」


 灰鴉の男が眉を上げる。


「作りました」


 カイは平然と言った。

 実際、村役場に連絡を取り、被害位置を地図に落とし込み、井戸の位置と水脈の経路を照合したのは昨夜だ。眠っていない。


「次に補給。移動食と治療薬は、こちらの予算で用意します。報酬は低いですが、持ち出しが無いようにします」

「持ち出しゼロ……?」


 パーティの空気が少し変わる。

 冒険者にとって“持ち出し”は死活問題だ。金が尽きれば帰れない。


「さらに、撤退条件を明文化します。危険だと判断したら撤退してください。責任は、こちらが負います」


「……撤退、認めるのか?」


 剣士が驚いたように言った。


 撤退は、恥だと思われがちだ。

 特に中央は、面子を重視する。


 カイは頷く。


「あなた方は“勝つ”ために行くのではありません。“生きて帰る”ために行きます。村の被害を止めるには、それが最優先です」


 灰鴉のリーダーは、しばらく黙っていた。

 そして、肩をすくめる。


「……変わったお人だな」


「よく言われます」


 笑いはなかった。

 だが空気は、決まった。


「分かった。受ける。ただし――」


「はい」


「情報は、現場で追加で出せ。隠し事はするなよ」


「しません。隠し事は、事故を増やしますので」


 それが、契約になった。


*


 現地は、予想以上に荒れていた。


 村の井戸は濁り、地面には不自然な亀裂が走っている。

 家畜小屋の床下が抜け、土が抉られた痕跡もある。


「これ、でかいぞ」


 灰鴉の斥候が言った。


 カイは、村長から聞き取りをしていた。

 被害の時間帯、場所、音、匂い。記憶の曖昧な部分は、複数人に確認する。


 それを、紙に落とし込む。


「……夜に多い。井戸の近く。雨の日に増える。地鳴りの前に水が泡立つ」


 条件が揃うほど、輪郭が見えてくる。


 魔物の正体は、まだ断定できない。

 だが“動き”は読める。


 カイは、パーティに指示を出すのではなく、情報を渡した。


「井戸を中心に、ここから半径三十歩を重点。斥候は地鳴りの兆候を拾ってください。治療役は村人を下げる。剣士は――地面が割れたら、そこだけを見ないでください。別の場所から出ます」

「……了解」


 彼らが動く。

 カイは前には出ない。

 そういう配置だからだ。


 地鳴りが来た。


 土が盛り上がり、井戸の脇が裂ける。

 ぬめった影が飛び出した。


「来た!」


 斥候の声。


 剣士が斬り込み、盾役が受ける。

 魔物は強い。だが、想定から外れていない。


 しかし、ここで欲を出したら事故が起きる。

 勝てるかどうかではない。勝ち方の方が問題だ。


「――二分で決着しないなら撤退」


 事前の作戦通り、心の中で唱える。


 だが、灰鴉は決着をつけた。


 魔物の腹に斥候の杭が刺さり、剣士の一撃が止めを刺す。

 地面に転がったそれは、地中を泳ぐような体をしていた。


「……終わった」


 村人たちが、震えた声で息を吐く。

 泣き出す者もいる。


「助かった……助かったよ……!」


 村長が、カイに向かって小さく言った。


「……あなたの作戦勝ちということですか?」


「いえ。やったのは彼らです」


 カイは、灰鴉の面々を見た。


 冒険者たちは、疲れた顔で笑っている。

 皆、充実感に溢れた、いい顔をしていた。


 村人たちが頭を下げる。

 拍手が起きる。


 カイは一歩だけ後ろに下がった。


 自分がここに立つのは、事故を減らすためだ。


 賞賛は、あいつらが受ければいい。


 仕事は終わった。

 いや、終わっていない。


 報告書が山ほど増える。


*


 中央に戻ったカイを待っていたのは、労いではなく、嫌味や妬みだった。


「で? その“村の事件”とやらは片付いたのかね」


 中央ギルド長は、執務室で椅子にもたれ、面倒そうに言った。


「はい。被害は止まりました。死者も出ていません」

「ほう。運が良かったな」


 褒めていない。

 運の一言で片付けるのは、成果を認めないときの手口だ。


 カイは、報告書を差し出した。


「現地の地質と被害の相関をまとめました。次に同様の案件があれば、初動が――」


「要らん。そんな紙束」


 ギルド長は手も伸ばさず言った。


「君は、妙に“現場”に肩入れする癖があるな」


「必要だからです」


「必要?」


 鼻で笑われる。


「君の仕事は、中央の体面を守ることだ。村人の涙を拭うことではない」


 カイは、それでも表情を変えなかった。


 体面が守られても、人が死ぬなら意味がない。

 そう言い返すのは簡単だ。


 だが、ここで言っても変わらない。

 変わらない相手に、言葉を投げて残業を増やすのは非効率だ。


「失礼します」


 カイは一礼し、執務室を出た。


 廊下の先で、別の男が腕を組んで立っていた。


 総務局長。

 中央の秩序と統制を握る、あの部署の頂点。


 カイの前に立ち塞がると、低い声で言った。


「君が余計なことをした、と中央ギルド長が言っていてね」


「余計なこと、ですか」


「……そうだ。面倒が増えた、と」


 総務局長の目には、苛立ちがあった。

 ギルド長に嫌味を言われたのだろう。責任を押し付けられたのだろう。


 そして、その矛先が最も安全な場所――張本人であるカイに向く。


「君は、人気取りでもしているのか?」


「まさか」


「ならなぜ、そんな案件を――」


 カイは答える代わりに、報告書の端を軽く指で叩いた。


「死者を出さないのが仕事だからです」


「……君は」


 総務局長は一瞬言葉を詰まらせ、吐き捨てるように言った。


「自分の立場というものを、もう少し考えたまえ」


 それは忠告ではなく、脅しだった。

 目を付けた、という宣言。


 カイは頷いただけで、通り過ぎた。


 立場は考えている。

 だが、優先順位は変えない。


 廊下の角を曲がると、背中に視線を感じた。


 振り返らない。

 振り返る必要のある相手ではない。


*


 人がいなくなった廊下の陰で、レオンハルトは息を吐いた。


 中央ギルド内でも評判の良い若手。

 整った身なり、整った言葉、整った経歴。


 彼は、今しがたのやり取りを、最初から最後まで見ていた。


 カイがどういう男かも知っている。

 成果が自分のものにならない仕事を、黙って引き受ける男。


 誰もやりたがらない案件を、進んで黙々と片付ける男。


 そして、その結果――

 残業が増えるだけで、評価が下がる男。


 普通なら、愚かだ。

 普通なら、損だ。


 なのに。


 村は救われた。

 死者は出なかった。


 それが、どうしても腹立たしかった。


 レオンハルトは、唇の端を歪める。


「……偽善者め」


 誰に聞かせるでもない独り言だった。

 言葉にした途端、胸の奥が少しだけ楽になる。


 ――そうだ。偽善だ。

 ――あいつは“いいことをしている自分”が好きなだけだ。


 そう思えれば、救われる。

 自分があの案件に手を伸ばさなかったことも、正当化できる。


 レオンハルトは背を向けた。


 廊下の向こうで、カイはもう次の書類の束を抱えている。

 誰も見ていないところで、誰かを救うための準備を始めている。


 それがまた、気に入らない。


 けれど、その背中に追いつく方法を――

 レオンハルトは、まだ知らなかった。

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