報われない仕事――カイの日常
※本作は、近日公開予定の連載
『左遷された辺境ギルド長は、戦わないのに最強でした』
の前日譚となる短編です。
本編未読でもお読みいただけます。
中央ギルド本部の会議室は、いつもより空気が重かった。
長机の上に並ぶのは、依頼書と添付資料。紙の束の端には、赤い封蝋が押されている。緊急案件――という印だ。
しかし、誰もその束に手を伸ばさない。
視線だけが、紙の上を滑っていく。
そして、次々と逸れていく。
「……報酬、これだけか」
誰かが小さく呟いた。
依頼内容は、王都近郊の小村を襲う“地中を走る魔物”の排除。被害は増え続け、井戸は濁り、家畜が消え、人が怪我をしている。だが討伐対象の正体が曖昧で、危険度は読めない。
おまけに報酬は低い。
理由は簡単だ。
村が貧しいから――ではない。中央の財務部が、予算を認めなかった。
成功しても評価されず、失敗すれば責任だけが残る。
中央ギルド長が嫌う案件として、これ以上分かりやすいものはない。
上座に座る中央ギルド長――数多くの王国ギルドのトップに君臨する壮年の男は、薄い笑みを貼り付けたまま言った。
「さて。誰が受ける?」
笑っているのに、声は冷たい。
“受ける者がいない”ことを、最初から分かっている口ぶりだった。
会議室の沈黙が伸びる。
誰も手を挙げない。
誰も「無理です」とも言わない。
言えば、空気が悪くなる。
言わなければ、誰かがやるかもしれない。
その“誰か”になる気がない者ほど、黙るのが上手い。
カイは末席で、淡々と資料に目を通していた。
中央ギルド総務局課長代理。
役職は地味で、権限も派手ではない。だが依頼の割り振り、危険度の再評価、補給線の調整――そういう“目立たない骨組み”を支える部署にいる。
彼は、会議の空気を読んでいないわけではない。
読んだ上で、優先順位を変えないだけだ。
依頼書の端に記された数字に目が止まる。
被害者数:三日で七名。
負傷:骨折二、裂傷五。
死亡:なし。
まだ死者は出ていない。
だが、この手の案件は、遅れるほど“最初の死者”が出る。
「……対象、地中移動。出現箇所が一定ではない。井戸周辺で多発……」
口には出さず、頭の中で整理する。
討伐の難しさは、魔物の強さではなく情報の欠如にある。
強いパーティでも、条件が悪ければ事故は起きる。
それでも、放置はできない。
放置すれば、被害は必ず“数字では済まない”領域に入る。
上座の男が、軽く咳払いをした。
「どうした? 誰もいないのか?」
薄笑いが深くなる。
「王都近郊の村だぞ。中央の顔に泥を塗る気かね?」
威圧というより、嫌味だった。
無理難題を投げて、誰かが引き受けて失敗するのを待っているような――そんな言い方。
カイは、ゆっくりと手を挙げた。
会議室の視線が一斉に集まる。
彼は淡々と言った。
「適任のパーティを、こちらで選定します」
「……ほう?」
中央ギルド長が、興味深そうに眉を動かす。
カイは、依頼書の余白に書き込んだメモを確認した。
・地中索敵ができる斥候
・足場が悪い環境での戦闘経験
・過去に“撤退判断”の記録があること
・治療担当が帯同可能
強さより、条件だ。
英雄より、役割だ。
「現状、候補は二つあります。『灰鴉』と『ミスト・ライン』」
「どちらも、あまりパッとしないな」
ギルド長がつぶやく。
誰かが笑った。
“地味なパーティ”という意味で。
カイは気にしない。
「派手である必要はありません。必要なのは生存率です」
その言葉で、会議室の笑いは引っ込んだ。
居心地の悪い沈黙が戻る。
中央ギルド長は、指を組んで言う。
「で? 彼らが断ったらどうする」
「断らない条件を整えます」
「報酬が低いのだぞ?」
「補給と保険の枠を調整します。あと、依頼の“評価項目”を変更します」
さらっと言ったが、簡単な話ではない。
評価項目の変更は、他部署の承認が必要だ。書類も増える。残業も増える。
それでも、カイは眉一つ動かさなかった。
「……勝手にやれ」
中央ギルド長は吐き捨てるように言い、会議は散会になった。
椅子が引かれる音が重なる。
皆、解放されたように席を立つ。
カイだけが、机の上の依頼書を丁寧に揃えてから立ち上がった。
*
交渉は、予想より面倒だった。
「村のため、って言われてもなぁ……」
灰鴉のリーダー――眼鏡をかけた斥候の男は、依頼書を指で弾いた。
「これ、危険度が読めねえ。地中移動ってのは厄介だぞ」
「そうですね」
カイは頷いた。
“だからやってくれ”とは言わない。
感情で押すのは、最悪の交渉だ。
「こちらでできる準備を提示します。まず、現地での索敵補助。井戸周辺の地質図と、過去の被害位置の記録を揃えました」
「……昨日まで無かったはずの資料だが?」
灰鴉の男が眉を上げる。
「作りました」
カイは平然と言った。
実際、村役場に連絡を取り、被害位置を地図に落とし込み、井戸の位置と水脈の経路を照合したのは昨夜だ。眠っていない。
「次に補給。移動食と治療薬は、こちらの予算で用意します。報酬は低いですが、持ち出しが無いようにします」
「持ち出しゼロ……?」
パーティの空気が少し変わる。
冒険者にとって“持ち出し”は死活問題だ。金が尽きれば帰れない。
「さらに、撤退条件を明文化します。危険だと判断したら撤退してください。責任は、こちらが負います」
「……撤退、認めるのか?」
剣士が驚いたように言った。
撤退は、恥だと思われがちだ。
特に中央は、面子を重視する。
カイは頷く。
「あなた方は“勝つ”ために行くのではありません。“生きて帰る”ために行きます。村の被害を止めるには、それが最優先です」
灰鴉のリーダーは、しばらく黙っていた。
そして、肩をすくめる。
「……変わったお人だな」
「よく言われます」
笑いはなかった。
だが空気は、決まった。
「分かった。受ける。ただし――」
「はい」
「情報は、現場で追加で出せ。隠し事はするなよ」
「しません。隠し事は、事故を増やしますので」
それが、契約になった。
*
現地は、予想以上に荒れていた。
村の井戸は濁り、地面には不自然な亀裂が走っている。
家畜小屋の床下が抜け、土が抉られた痕跡もある。
「これ、でかいぞ」
灰鴉の斥候が言った。
カイは、村長から聞き取りをしていた。
被害の時間帯、場所、音、匂い。記憶の曖昧な部分は、複数人に確認する。
それを、紙に落とし込む。
「……夜に多い。井戸の近く。雨の日に増える。地鳴りの前に水が泡立つ」
条件が揃うほど、輪郭が見えてくる。
魔物の正体は、まだ断定できない。
だが“動き”は読める。
カイは、パーティに指示を出すのではなく、情報を渡した。
「井戸を中心に、ここから半径三十歩を重点。斥候は地鳴りの兆候を拾ってください。治療役は村人を下げる。剣士は――地面が割れたら、そこだけを見ないでください。別の場所から出ます」
「……了解」
彼らが動く。
カイは前には出ない。
そういう配置だからだ。
地鳴りが来た。
土が盛り上がり、井戸の脇が裂ける。
ぬめった影が飛び出した。
「来た!」
斥候の声。
剣士が斬り込み、盾役が受ける。
魔物は強い。だが、想定から外れていない。
しかし、ここで欲を出したら事故が起きる。
勝てるかどうかではない。勝ち方の方が問題だ。
「――二分で決着しないなら撤退」
事前の作戦通り、心の中で唱える。
だが、灰鴉は決着をつけた。
魔物の腹に斥候の杭が刺さり、剣士の一撃が止めを刺す。
地面に転がったそれは、地中を泳ぐような体をしていた。
「……終わった」
村人たちが、震えた声で息を吐く。
泣き出す者もいる。
「助かった……助かったよ……!」
村長が、カイに向かって小さく言った。
「……あなたの作戦勝ちということですか?」
「いえ。やったのは彼らです」
カイは、灰鴉の面々を見た。
冒険者たちは、疲れた顔で笑っている。
皆、充実感に溢れた、いい顔をしていた。
村人たちが頭を下げる。
拍手が起きる。
カイは一歩だけ後ろに下がった。
自分がここに立つのは、事故を減らすためだ。
賞賛は、あいつらが受ければいい。
仕事は終わった。
いや、終わっていない。
報告書が山ほど増える。
*
中央に戻ったカイを待っていたのは、労いではなく、嫌味や妬みだった。
「で? その“村の事件”とやらは片付いたのかね」
中央ギルド長は、執務室で椅子にもたれ、面倒そうに言った。
「はい。被害は止まりました。死者も出ていません」
「ほう。運が良かったな」
褒めていない。
運の一言で片付けるのは、成果を認めないときの手口だ。
カイは、報告書を差し出した。
「現地の地質と被害の相関をまとめました。次に同様の案件があれば、初動が――」
「要らん。そんな紙束」
ギルド長は手も伸ばさず言った。
「君は、妙に“現場”に肩入れする癖があるな」
「必要だからです」
「必要?」
鼻で笑われる。
「君の仕事は、中央の体面を守ることだ。村人の涙を拭うことではない」
カイは、それでも表情を変えなかった。
体面が守られても、人が死ぬなら意味がない。
そう言い返すのは簡単だ。
だが、ここで言っても変わらない。
変わらない相手に、言葉を投げて残業を増やすのは非効率だ。
「失礼します」
カイは一礼し、執務室を出た。
廊下の先で、別の男が腕を組んで立っていた。
総務局長。
中央の秩序と統制を握る、あの部署の頂点。
カイの前に立ち塞がると、低い声で言った。
「君が余計なことをした、と中央ギルド長が言っていてね」
「余計なこと、ですか」
「……そうだ。面倒が増えた、と」
総務局長の目には、苛立ちがあった。
ギルド長に嫌味を言われたのだろう。責任を押し付けられたのだろう。
そして、その矛先が最も安全な場所――張本人であるカイに向く。
「君は、人気取りでもしているのか?」
「まさか」
「ならなぜ、そんな案件を――」
カイは答える代わりに、報告書の端を軽く指で叩いた。
「死者を出さないのが仕事だからです」
「……君は」
総務局長は一瞬言葉を詰まらせ、吐き捨てるように言った。
「自分の立場というものを、もう少し考えたまえ」
それは忠告ではなく、脅しだった。
目を付けた、という宣言。
カイは頷いただけで、通り過ぎた。
立場は考えている。
だが、優先順位は変えない。
廊下の角を曲がると、背中に視線を感じた。
振り返らない。
振り返る必要のある相手ではない。
*
人がいなくなった廊下の陰で、レオンハルトは息を吐いた。
中央ギルド内でも評判の良い若手。
整った身なり、整った言葉、整った経歴。
彼は、今しがたのやり取りを、最初から最後まで見ていた。
カイがどういう男かも知っている。
成果が自分のものにならない仕事を、黙って引き受ける男。
誰もやりたがらない案件を、進んで黙々と片付ける男。
そして、その結果――
残業が増えるだけで、評価が下がる男。
普通なら、愚かだ。
普通なら、損だ。
なのに。
村は救われた。
死者は出なかった。
それが、どうしても腹立たしかった。
レオンハルトは、唇の端を歪める。
「……偽善者め」
誰に聞かせるでもない独り言だった。
言葉にした途端、胸の奥が少しだけ楽になる。
――そうだ。偽善だ。
――あいつは“いいことをしている自分”が好きなだけだ。
そう思えれば、救われる。
自分があの案件に手を伸ばさなかったことも、正当化できる。
レオンハルトは背を向けた。
廊下の向こうで、カイはもう次の書類の束を抱えている。
誰も見ていないところで、誰かを救うための準備を始めている。
それがまた、気に入らない。
けれど、その背中に追いつく方法を――
レオンハルトは、まだ知らなかった。




