三
「フィット嬢、本気で言っているのかい?」
私は頷く。
シシィ様も驚いて私の側へと走って来た。
「アリーチェ様どうされたの?ご自身から解消されるようにするなんて・・」
シシィ様の言葉を聞き今まで我慢していた涙がハラハラと溢れ落ちた。
シシィ様は急いでハンカチを目に当ててくれたが、我慢していた月日が長過ぎて止まらない。
まずは移動しましょう
そう言ってくれた子息の名はハンズ様。ハンズ・コールセン子爵子息。
私はシシィ様とハンズ様と一緒に中庭へと移動した。
「男性側から解消するのも同じで女性側の不貞です。ルイードル嬢がいなければこの場も不貞と言われるでしょうね」
女性は男性と違って直ぐに言われてしまうでしょうが・・
今までサリド様一筋できた私にとって、男性と話す事は挨拶以外では一度もなかった。
でも、これからは彼から解消を言ってくるように仕向けなくてはいけない。
「ですが、女性側が解消されるとフィット嬢は下手をすると・・」
「構いませんわ、もともと恩返しの為の婚約ですからお互い不本意でしたもの」
そう、不本意だったのだ。サリド様にとってこの婚約は・・
そして不名誉な形での解消は、未婚女性からしたら致命的な汚点となってしまう。
「でもまずはご両親に相談されては?」
シシィ様の言葉に顔を下げる。
きっと両親からは何も言えないだろう。だって侯爵家からの提案だったから・・
「良いのです。学園での事は私に任せると言われておりますし、話せばわかってくれますから」
この想いに蓋をして決断する。
サリド様に自由を・・
(さようならサリド様。どうか早く私との婚約を解消してください)
心の中で呟くと、相手になってくれる方を探す一歩を踏み出した。
今までは侯爵家のため、サリド様のため!と、自分を殺し偽りながら生活をしていた。
そして、そんな生活も苦ではなかった理由。それはサリド様への想いがあったから・・
「アリーチェ嬢、ちょっと頼まれてくれる?」
「ええハンズ様、今行きますわ」
あの日から何故か、ハンズ様が私のために声をかけてくださるようになった。最初こそお相手にも迷惑をかけるからと断ったけど
「幸いな事に僕には婚約者がいないんだ」
と気持ち良く?受けてくれたのだ。
シシィ様は時々わざと私たちの間に入り、あまり誤解を受けないようにしてくれている。
私としてはサリド様に誤解されなければ意味が無いけれど・・
そして今日も授業が終わった後、提出物を教員室へ持って行くからとハンズ様に声をかけられた。
提出物を先生の机の上に置き、二人して並んで廊下を歩く。
他愛のない会話でもこんなに楽しいなんて知らなかった。
「ハンズ様、ありがとうございます。そして、ごめんなさい」
「急にどうしたんだい?」
「たとえ婚約者がいないと言っても、やはりこうして私とばかり一緒にいれば・・」
「そんな事、最初から分かっててアリーチェ嬢に声をかけているんだ。気にしないで!」
「でも・・」
「だったら君のこと呼び捨てにしても良いかな?」
「えっ?」
「呼び捨てにすれば親密さが周りに伝わるかな?と思って」
「・・・それは・・」
正直私の事を呼び捨てにするのは家族だけ。サリド様にだって呼び捨てどころか名前すら・・
「!」
「どうしたの?」
「・・・」
「アリーチェ嬢?そんなに嫌だった?ごめん・・?」
私・・サリド様から名前で呼んでもらった事など一度もない・・
「アリーチェ・・?」
気付けばハンズ様に空き教室へ引き込まれ、抱きしめられていた。
「君はいったいどれだけ我慢していたんだい?どれだけの間こうして一人で泣いていたんだ?」
「・・・うっっ・・」
私は・・名前すら呼んでもらえない婚約者なんだと、知ってしまった・・
ドゥーゼル侯爵令嬢の事は マリア と呼び捨てしていたのに・・
「うっっ・・えっっ、グスッ」
「我慢しないで・・もう、一人で泣かないで・・」
ハンズ様の優しさが余計に自分を惨めにする。
もしこれがサリド様だったら・・
ハンズ様に優しくされている最中でもこう思ってしまう自分が、とても惨めに思えてしまった・・
どれくらいの時間が過ぎたのか・・
「大丈夫?」
「・・はい、ありがとうございます。そしてお見苦しい姿をお見せしてしまい・・」
「さっきも言ったでしょう?もう一人で泣かないで、と。それは本心だよ」
「えっ?」
ハンズ様はそう言いながら軽く私の目に触れると
「明日には腫れてしまうね」
「えっ?あっ、明日は学校はお休みなので一日中冷やしておきます!」
「うん、その方が良いね」
そう言って優しく微笑まれた。
ハンズ様が婚約者だったら楽しかったのかな?
家同士の家格も釣り合うし、こうして話していても気が楽で楽しい。
その後二人で空き教室から出た。まさかこの時の私たちを見ていた人がいたなんて・・
まして、こんな騒ぎになるなんて・・
この時はまだ知る由もなかった・・




