第9話 そして、スパイは祝われる
(私は自分がスパイであることを忘れていた…ですって?)
そんなことは到底許されない。初任務で、それは。私の信用がガタ落ちだ。
(……いや、待って?)
手練れのスパイは「自分がスパイであることすら忘れる」って言うのよね?
(私も一人前のスパイになった……そういう事にしておこう)
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ぐっすり寝て、いっぱい食べて、そして体調は万全。
今日は、Bathland全土を挙げての王女就任パレード。
(あぁ……これが避けて通れないのは正直ツラい……)
私は、絢爛な長袖ドレスに身を包まれながら、神輿のように担がれた玉座の上に“立たされて”いた。
「王女様~!!ばんざ~い!!」
「ミライさまーっ!!これ!焼き芋〜〜!」
(なによ焼き芋って……意味がわからない)
視線を感じる。拍手の音。風に乗って舞う紙吹雪。人間と獣人が仲良く平和に暮らすこの国。人々は、本気で私を歓迎してくれているらしい。
(……悪くない…が)
しかし、私はドレスの袖の下、手首にしっかりと“それ”を固定していた。
──アームバレット。
任務中の解除はしない。いかなる時も。
(どんな時も、油断は命取り)
手の振り方なら知ってる。肘を固定して手のひらを細やかに左右に振る、だ。もちろん王女スマイルで!
東西南北満遍なく王女スマイルを撒き散らしていたら、人混みの隙間に不自然な動きを見た。
数秒の観察。腰の動き、手の流れ、警戒と周囲への意識……。
(……スリ)
私は、神輿の上から静かに照準を合わせた。
風に紛れるように腕を持ち上げ、手首の内側をわずかに押し込む。
──パシュッ!
無音のボルトが、観衆の間をすり抜け、スリの持つ小さなナイフの柄を正確に撃ち抜いた。
「ぎゃっ!?」
男の手から小さなナイフと婦人用の財布が落ちた。
「なんだ今の!?」
「ああ!コイツ!ひったくりだー!!」
スリは即座に転倒、周囲の民衆と兵に取り押さえられた。
私は、何事もなかったように、片手を小さく振って笑顔を振り撒く。
(……どんな国にもいるのね、悪人って)
笑顔で拍手を送る子どもたち。
私を見上げて「すごーい!」と叫ぶ声。
(……ほんと、世話が焼ける国)
そう思いながらも、作り笑顔はいつしか本当の笑顔に変わっていた。
*********
祝賀パレードは、クライマックスに差しかかっていた。
神輿の上、ミライは王女として笑顔をつくりながらも、周囲への警戒は解いていない。
──と、そのとき。
「よっ……元気そうじゃねぇか、王女サマよぉ?」
前方の花道、騎馬隊の列がざわめく。進路のど真ん中に神輿を遮るように立ちはだかる異質な影。
濡れたような黒皮の巨体。サメの頭、そして鍛え抜かれた筋肉。
(あれは…カイエン!!)
「おぬしは乱暴者のシャークオーガ!王女にやられてまだ懲りておらんのか!」
神輿上から王が叫ぶ。
「ったくよォ……人がちょっと湯治してりゃ、国ん中ひっくり返して王女様ってか?」
観衆がどよめく。兵士たちが警戒して取り囲むがミライは片手を上げて制止した。
「みんなは下がって。先に……あなた、何の用?」
カイエンはニカッと笑う。
「返しに来たんだよ。あの日の借りをなぁ!」
次の瞬間、彼は地を蹴った。ものすごい勢いで神輿に向かって跳躍!
「リベンジマッチだぁぁぁぁッ!!」
群衆が悲鳴を上げる。
だが、ミライの手はもう動いていた。
「ファントムシュート!!」
右腕のアームバレット、照準をわずかにずらし、弾道を撓らせながら、回避地点の“脳天”へトリッキーな軌道で射出する。
「秘技!空中スライド!お前の攻撃はすでに見切っ………」
──ドスッ!!
ダーツ型ボルトが、カイエンの頭部にと深々と突き刺さる。
「ぐおおおおおおおおお!!またしても!なんだその卑怯な技!!!」
彼は空中で体勢を崩し、そのまま街路樹にドスンと落下。
兵士たちが駆け寄ろうとするが、ミライは手を上げて制止した。
「奇襲しておいて、卑怯もくそもないわ!」
ミライのその言葉を受け、刺さったボルトもなんのその、カイエンはゆらりと立ち上がる。そして、神輿を見上げてニッと、牙の折れた歯を見せて笑う。
「あんたミライってのか!やっぱ、強ええな!」
そして、去り際にくるりと振り返り──
「王女就任、おめでとさん!」
カイエンは、自慢の脚力で高笑いしながら飛び去っていった。
騒ぎが静まり、民衆がまた彼女を見上げる。
拍手と歓声が、再び舞い始める。
王はもう大興奮。
「うちの娘じゃ!」とか「かっこいいのじゃ」とか。それ、親ばかになっちゃうからやめて?
ミライは小さくため息をついて、手を振りながらも去り行くカイエンを見ながら心の中で呟いた。
(どいつもこいつも世話が焼けるんだから…)
***********
DimCode本社
「ちょっとフェイ!やっと終わったの~!?遅いってば!」
地球星(Terrestra)任務帰還フロア。
DimCode本社のロビーで、ナミが腕組みしながら足を鳴らしていた。
「も~、私はとっくに片付いたのにぃ~。地球星、アッサリしすぎて拍子抜けだったんですけど~?」
「……うるさいわね、ナミ。こっちはね、ターゲットの懐に入り込むのに違法スナックのママを三日三晩やらされたんだから。胃、荒れたわよ」
本社の任務帰還フロアにいるナミと通信トークしているフェイが神崇星のソファでぐったりと沈み込む。その手の端末には、任務完了の報告書と胃薬が。
「ったく……あの女のせいよ。ミライ。あいつが来るはずだった【神崇星】がこんなにめんどくさいなんて!」
「えー、でも!あっちは【特級危険指定】だよぉ?あの子がどんだけ地獄見てるか想像したら、プッ……って感じ~」
ナミがニヤリと笑う。だが、フェイは鼻を鳴らした。
「でも、万が一よ?そこで順調に成果上げて、昇進しました♡とかやられたらマジ腹立たない?」
「えー、それって超ムカなんですけどぉ」
「勝手にナミの任務すり替えといて、なんで評価されてんのって話よ」
胃薬を持ったナミの表情が、じわじわと曇る。
「ちょっと様子見に行こうよ?ほら、“どんな地獄味わってるのか確認”ってことで!」
「もし、順調なら邪魔しちゃえばいいし~」
フェイがふっと笑う。ナミも、すぐに笑い返した。
「あたしらって天才~!」
二人は笑いながらDimCodeゲート前に向かって歩き出す。
「いざ、ミライがボロボロになってるとこ、見届けに!」
「いざ、ミライがボロボロになってるとこ、見届けに!」
二人の高笑いとヒールの音が遠ざかる。
*****
その声が完全に消えたあと柱の影、警備端末のパネル裏。
誰にも気づかれない場所で、ひとりの少女がじっと立っていた。
青い髪、細身の眼鏡、制服の袖を強く握る小さな手。
その目は、ナミとフェイの背中をずっと見ていた。
(……あの子達、また、ミライに何かする気だ)
そう分かっていても、声をかける勇気はない。
自分が何も言えなかった、あの過去がまだ重く胸に残っているから。
アサシン養成所時代。
誰よりも努力して、誰よりも静かに強かったあの子、ミライがあの姉妹に絡まれていたとき。
(わかってたのに。止めなきゃって……思ってたのに)
何もできなかった。怖かった。自分が、情けなかった。
(それでも、ミライちゃんは……全部ひとりで進んでいった)
そして、今も。こうして何もできない自分に腹が立つ。
「ダメ、このままじゃ。変わらなきゃダメ!」
彼女は小さく息をついて、転送希望申請の履歴を確認した。
【3級SP ナミ Badland 派遣補佐申請】
【3級SP フェイ Badland 派遣補佐申請】
「……今度こそ、ちゃんと守るから」
【新規】申請手続き…
【2級SP カコ Badland 派遣補佐申請】
「待ってて、ミライちゃん…」
少女はそう小さく呟いて、廊下の影に溶けていった。