第8話 そして、スパイは姫になる
(王女が次元スパイって、どんな国よ!?)
ひとり心の中で絶叫しながら、私は状況を整理した。
まず、民衆は喜んでいる。
そして、王は本気で感謝している。
将軍も兵士も、悪い奴は見当たらない。
でも、国は平和すぎてめちゃくちゃ脆い。
(ここがまずいのよ…)
だって、せっかくの初任務。
どうせなら物件価値を維持したうえで本社に情報を流したい。
(それにしても、王女職か……情報の集まりやすさは、悪くないのよね)
各国の使者、内部政治、民意、財政……この国のあらゆる情報が、半自動的に手に入る立場。
王をチラッと見ると、涙目になりながらすがるように私を見ている。
「吾輩には娘も息子もおらぬ!頼む!そなたをこの国から手放したくないのじゃぁぁぁ」
すると、将軍が兵士や文官をぞろぞろと連れて私の背後に膝間づいた。
「ミライ殿!いえ、王女殿下!なにとぞ我が王の申し出、お聞き入れくださいませ!」
「お聞き入れくださいませ!」
「お聞き入れくださいませ!」
「お聞き入れくださいませ!」
私は振り返り、深く息をついた。
「……仕方ないわね。ほんとに」
そして、玉座に向き直り王に静かに一礼した。
「僭越ながら、そのお話、お受けいたします」
場がざわめき、大きな歓声が上がる。
「我が国にプリンセスの誕生じゃ!!酒宴じゃ!祭りじゃ!パーチ―じゃ!!!!」
「うおおおおおおおおお………!!」
「王女殿下、ばんざーーーい!!」
(うぉぉぉぉ…はこっちのセリフだわ?)
そんなこと思ってるけど本当はちょっと、王女という響きに胸踊るミライなのであった。
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盛り上がる面々に隠れて、宮殿の太い柱の影にサッと移動する。
そして私は通信端末を指先でそっと開いた。
【DimCode連絡ログ】
送信先:本社監視管理部門
報告カテゴリ:派遣先不定期レポート
【送信内容】
・次元盗賊団…撃退済みにより損益なし
・武装状況…著しく不足
・立場向上のため、王女職を取得
(こんなの送ったら調査終了、即撤退命令だわ…ね……)
(……そして、軍事国家に売られてこの国は…)
送信ボタンを押す寸前。
どうしてもそこから指が動かない。
(……なんで、送らないのよ、私。だめよ、虚偽の報告は……)
(……でも少し表現を変えるくらいなら……問題ない…)
【送信内容】
・国民・王族の団結力…著しく固い
・武装状況…次元盗賊団を一瞬で撃退※
・立場向上のため役職付きポジションを一時取得
(※注:詳細未定、継続調査中)
(次元盗賊団を撃退した”私”が王女になったんだから、現時点ではこの国の戦力。嘘じゃない…)
そして私は眉一つ動かさず、送信ボタンを押した。
(そう。情報のため。全部、任務のためであることには変わらない…)
そう、自分に言い聞かせるように。
するとまもなく本社より返信を受信する。
【受信】ボタンを押す手が、少しだけ震えた。
【継続観察を許可する】
※当面の潜伏継続を認可。報告は簡易でよい。
(……助かった)
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王女誕生──
その一大ニュースは、瞬く間に国中へと広がった。
祝賀の準備、軽い作法にドレスの仕立て。
王宮の空気は華やかに浮き足立ち、平時とは違う慌ただしさに包まれていた。
そんな中、静かに、しかし全力で逃走中なのが、当の王女ミライである。
(見つかる前に回廊を抜けていや、裏庭経由で南棟へ……!)
すでに三度目の衣装合わせを強行されており、次を許すつもりは微塵もない。
しかし背後から、ドタドタと小走りの足音が響いてきた。
「あ、ミライ王女~!やっと見つけました~!パレードの準備、すごいことになってますよぉぉ!!」
振り向けば、見慣れた栗色ポニテの元ギルド受付嬢が王女付きの侍女になっていた。
「ちょっと。なんであなたがここに?」
「だってぇ~、ミライさんが王女様になるって聞いて!いてもたってもいられなくてぇ~!」
「……ギルドの職場は!?」
「はい!…辞めましたっ!」
(軽っ……)
そのまま勢いに乗せられて、王宮の私室へ。
机には、豪華絢爛なドレスの山。そして横には、目をキラッキラにした王。
「さあ!ミライ王女よ!!そなたにふさわしいこのドレスを……!」
「ちょっ…コホン、もうドレスは勘弁して欲しいでございますわ?」
(まさか王女になるなんて思ってなかったから王女口調は勉強不足だわ?)
逃げようとするも、ドレスを抱えて詰め寄る王と侍女(×元受付嬢)。
なんか、もう逃げ場がない。
(この国、どこまで人懐っこいの……?)
朝目覚めれば、ドアの前に銀食器と花束の花瓶。
散歩に出れば、次女が後ろから日傘。
ドレス?
それどころか、王専属の裁縫班がミライ・ラインなる採寸データを編み出していた。
「……そのうち、ミライ・コレクションでも開催されそうな勢いだわ」
小声でボソッと呟くと王の耳がそれを拾う。
「それ、良い案じゃ!!!裁縫班!ミライコレクションの準備じゃ!」
(ちょっと!勘弁して?)
そして王の溺愛は、私の想像をはるかに超えていた。
「寝冷えしてはならぬ。寝具は三重にするのじゃ」
「そなたに合うお香を王宮の蔵から取り寄せた。今夜は白檀でどうじゃ」
「朝の散歩にはこの羽織が良かろう、軽いぞ?王女用に仕立てた」
(毎日が……愛の圧)
私は圧倒されながらも、ふと疑念を抱く。
(……いや、まさか。この人、私のこと女として……?)
警戒レベルMAX!!ほら!油断したらすぐこれ!
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その思考を断ち切ったのは、ある日、控室でのことだった。
「……王が?ああ、心配なさらずとも」
隣で紅茶を注いでいた将軍が、ぽつりと漏らした。
「陛下は…いわば、男性の方にご興味があるお方でしてな」
「あ~…はい?」
「コホン…ですので、王女としての殿下に対しては、まっこと“父として”のご感情でございます」
「それは、ンッン、わたくしが将軍の名にかけて保証致します…!」
この将軍が王に関して嘘をつくわけがない。
ミライは、ゆっくりとその場で目を閉じた。
(なら私は女としてじゃなく、一人の人として認められて、そして本当に娘として愛されてる…?)
心のどこかにあった、警戒という名のトゲがひとつ、ふっと音を立てて溶けていく。
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その夜少し熱を出した私は、王女の私室の寝台で高級羽毛布団にくるまっていた。
(私とした事が、不甲斐ない…)
コンコン!
すると扉から入ってきたのは、侍女でも医師でもなく、薬を手に現れたのは王だった。
「王女といえ、振る舞いも口調も無理をするでない」
「お前のこととなると、つい気がはやってしまって……色々と心労かけてすまぬな」
そう言って丁寧に薬を差し出すその姿に、どんな欲も打算もなかった。
私は枕元から、かすかに声を返した。
「……ありがとう、お…父上…」
王はまるで宝物でももらったかのように、静かに微笑んだ。
(警戒レベル……ゼロ……)
その「父の表情」を見た瞬間、私は自分がスパイであることを忘れていた。