第5話 そして、スパイは王と会う
ギルドを出た私は、ひとまず次の課題に頭を切り替えた。
(潜伏先の確保……まずは宿ね)
通りの先、小さな木製の看板が目に入る。
《地熱温泉ゆやど》
(……まあ、悪くなさそう)
私はその宿に決め、手早くチェックインを済ませた。
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部屋は質素だが清潔で、窓からは湯気越しに町並みが見える。
荷物を軽く置き、まずは浴場へ。
湯煙の立つ木の湯船に、私は静かに体を沈めた。
「っあぁ~~~……」
思わず声が漏れる。
地熱温泉は想像以上に心地よく、筋肉のこわばりと任務の緊張がじんわりとほどけていく。
(……これ、任務忘れそう)
そして、私は湯の中で静かに目を閉じた。
体を休めた後、私は湯上がりの格好に着替えて町に出た。
「……とりあえず、何か食べられるところを探そう」
湯気の立ちこめる石畳を歩くと、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
屋台からは焼き物の匂い、食堂からは煮込み料理の湯気。
と、そのとき。
「おぉっ!嬢ちゃん、あんたシャークオーガをやっつけた子だろ!?」
通りすがりの肉屋の親父が声をかけてきた。
「ほら、これ持っていきな!」
手渡されたのは、ホカホカの肉串。
「いや、別に……」
「いいからいいから!助かったぜ!」
さらに進むと、肉まん屋のおばちゃんに呼び止められた。
「あんた!あんがとね!これでも食べな!」
手渡されたのは、ずっしりふっくら肉まんだった。
(……まあ、断るのも不自然か)
私は無言で受け取り、そっと頭を下げた。
「飯屋に入らなくても腹が満たされた、わね…」
そうしてたどり着いたのが、町外れの小さな甘味処だった。
(……甘味処?)
湯気に霞む町並みを歩いていると、木造の小さな店が目に留まった。
軒先には、色褪せた暖簾。そこに描かれているのは、手描きの丸っこい団子の絵だった。
(……別に、興味ないけど。調査も必要、よね?)
私は周囲に気配を探りながらさりげなく足を向けた。
中はこじんまりしていたが、素朴な木の香りとほのかに甘い匂いが漂っている。
「いらっしゃい!」
元気なおばちゃんの声。カウンターの奥には、串団子や餅菓子がきれいに並べられていた。
(地元の流通調査。そう、情報収集)
私は無表情を保ったまま、そっと棚を眺めた。
「お嬢さん、どれにする?」
「……じゃあ、これを」
私は最も無難そうな、白玉団子を指さした。
「おまけだよ!」
おばちゃんはさらに小さな桜餅を添えてくれた。
心の中で静かに歓喜の悲鳴をあげながら、私は無表情を装って受け取った。
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人気のない路地裏で、私はそっと串団子にかじりついた。
(……っっ、あまうま)
柔らかくほんのり甘い。焼き目の香ばしさと、もちもちの食感が、じんわりと心をほどいていく。それにこの桜餅ってやつの絶妙な風味ったら…!
(……うん、調査継続。あくまでも調査よ)
またしても誰に言い訳するでもなく、私は二口目にかじりついた。
餅菓子を堪能した私は人気のない路地裏に残り、ついでにっと端末を起動した。
《次元転送報告プラットフォーム:DimCode 本社ライン接続中》
端末の画面が淡く光り、すぐにログインが完了する。
私はいつものように無表情のまま、現地調査の要点を打ち込んだ。
【派遣先状況:初見報告】
・BADLAND(灼熱危険地帯・特級危険指定)
・現地観察:敵性活動、戦闘痕は現時点未確認
・住民:潜在的武装集団、反政府勢力の存在については引き続き調査中
・魔物発生:想定以上の個体戦闘力を確認
【備考】・調査継続中。引き続き潜伏及び情報収集を行う。
送信ボタンに指を止めると、画面の上部に「報告完了」の文字が表示された。
(ふぅ。まずは、これでよし)
*********
その数刻後。私は宿の一室で、お茶を飲んでいた。
そこへ、宿の主人が血相を変えて飛び込んできた。
「お、お嬢さん!大変だ!王宮から謁見の申し出が来とる!!」
「……は?」
頭の中で一瞬だけ、警報音が鳴る。
(王族と接触……!?これはイレギュラー)
「国王陛下が、魔物討伐の件で直接感謝したいとのことらしいですぞ!」
だが、避ける理由はまったくない、いやむしろ歓迎。
(いきなり王宮の情報が得られるのは、正直デカい)
*********
翌日、私は城の謁見室にいた。
白石の柱と金の装飾、だが過剰さのない品の良い空間だった。
「おぉ、そなたがシャークオーガを討伐したというミライ殿か!」
豪快に笑う王。一見その態度に傲慢さはなく、心からの敬意と歓迎がにじんでいた。
(いや、こういうのに限って腹黒い。この国の急所、暴かせてもらうわ)
「心から礼を言いたい。Bathlandの民を救ってくれた」
(……Bath、ランド?)
思わず耳を疑った。
「うむ!我が国は“Bathland”癒やしと平穏の世界じゃ」
「……ちょっと待って、それって」
(Bathland?→Batland→Badland!?まさかの誤字?)
私は頭を抱えかけた。……だが、国王の言葉は続く。
「この国は戦争もなく飢えもなく争いを嫌う民の集まる地。ゆえに魔物など危険生物の対処がからきし苦手でなぁ」
(灼熱地帯もただの温泉!?っは、まさか武装等級:Sって”SMALL”のSだったの!?)
私はその場では無言を貫いたが心の中では、はっきり思った。
(……完全に、優良物件…。国盗りの軍事国家にとってお宝では……)
目の前の王は私の素性を知らぬまま、まるで古くからの友に接するような顔で、私の手をしっかりと握った。
「そなたが良ければ末永く、この国で暮らしてくれ」
周囲の臣下たちが穏やかな拍手を送ってくる。
(呑気な人達…)
私の報告一つで、別次元の軍事国家に狙われて、侵攻されれば一晩で乗っ取られるというのに。
しかし、私は今この国の住人の普通の女の子…にしては、ちょっと強いけど。
(そこは気にしてないみたいだし、好都合だわ)
「光栄です、王様!」
本心を隠した私は見事な町民スマイルを浮かべ、丁寧に一礼した。