6 作戦①王太子妃候補の辞退……を妨害するのは事故?
ガトーオロム公爵邸は、いわゆる貴族たちのみが住むことを許されている貴族街の一画にある。城下町の喧噪を嫌う貴族たちは、王城を見下ろさない程度の小高い場所を切り開き自分たち特権階級専用の居住地を作った。ほどよく離れた城下町や王城に行くには馬車を使うのが一般的で、オペラも公爵家の馬車に乗り貴族街を出て城下町へと向かっていた。
ところが、しばらくすると馬車が止まり動かなくなった。耳を澄ませば、いつもよりざわざわとした人の話し声が聞こえる。
(どうしたのかしら)
カーテンを開け窓の外を覗いた。どうやら止まっているのはオペラが乗っている馬車だけではないようで、王城の正面門に続く大通りには大小様々な馬車が連なっている。それどころか騎士が乗る馬や荷馬車さえも止まっていた。
「どうしたの?」
小窓を開けたオペラは馭者にそう尋ねた。少しして「どうもこの先で荷馬車が横転したみたいで……」と馭者の隣に座っていた従者が答える。
「いつ動くかしら」
「トマトを摘んでいた荷馬車が横転したようで、ちょうどすれ違った荷馬車の馬がそれに驚いて暴れたようでございますね。少し先を見てきましたが、あれは潰れたトマトを片付けるだけでも大変じゃないかと……。ほかにもいろんなものが散らばっていたんで、それなりに時間がかかるのでは……」
従者の言葉にオペラが眉をひそめた。
(まさか、これも強制力とやらのせいかしら)
荷馬車が横転したのは偶然かもしれない。しかし兄の一件を考えると偶然とは思えなかった。
(迂回して……いいえ、この状況じゃ難しそうね)
広い王都には王城を起点に一本の大きな道が通っている。その道から枝を伸ばすように小さな道があちこちに延びているが、貴族の馬車が通れるほど大きく整った道は数本しかなかった。ほかの大きな道に迂回しようにも前後を馬車に挟まれていては抜け出すことすら難しい。だからといって徒歩で行くわけにもいかない。行ったところで文字どおり門前払いされるだろう。
(そのために貴族の馬車には家紋を付けているのだし)
家紋は一種の通行手形で、何もついていない馬車は門の中に入ることができない。もちろん貴族が徒歩で王城を訪れることは体面という意味でもあり得なかった。しばらく考えたオペラは、再び小窓を開け従者に声をかけた。
「急いで屋敷に戻り、お兄様に事の次第を説明して王城に使いを出すように伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
そう答えた従者は、あっという間に通りを走り抜けた。こうした不測の事態が起きたときのためについてきているとはいえ、あまりの足の速さにオペラが「まぁ」と目を見開く。そのまま澄んだ青空を見上げ小さくため息をついた。
(思っていたよりも“ぷろぐらむ”とやらは手強い相手のようね)
この状況も青い髪の神は天上から見ているのだろうか。オペラの黒目がわずかにきらりと光った。
結局オペラが王城に到着したのは指定された時間を十分ほど過ぎた時刻だった。本来なら一時間前には到着し、控え室でお茶を飲みながら身だしなみを整えるのだがその時間はない。胸元のレースや髪を急いで整えていると、トントンと扉を叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼いたします」
入ってきたのは王太子付きの侍従だった。何度か顔を合わせている年配の侍従が眉尻を下げながら「申し訳ございません」と頭を下げる。
「ただいま殿下は来客中でございまして、日を改めてほしいとのことでございます」
「兄からの使いは来ていなかったかしら」
「事故の件は伺っております」
「そう」
理由があり、さらに十分しか遅れていないにも関わらず会わないというのは機嫌を損ねてしまったのかもしれない。そうだとすれば、穏便に王太子妃候補を辞退するのが難しくなる。そう考えたオペラは王太子が機嫌を損ねたのか確かめるべく口を開いた。
「時間に遅れたのはわたくしですもの、仕方ありませんわ」
眉尻を下げるオペラを気の毒に思ったのか、侍従が「お時間のせいではございません」と答えた。
「と、おっしゃると?」
「じつは昨日、ボンボール領からの使者が本日到着する旨、連絡がございまして」
出がけに兄フリューから聞いた内容だ。
「午後と伺っておりましたが急きょ二時間ほど前に到着されたため、殿下はそちらに」
ボンボール領というのは王弟グラニーテ・サントノレアの自治領の名だ。グラニーテ公から何かを国王に届けるためやって来た使者だろうが、拝謁中に王太子が乗り込みでもしたのだろう。
王太子カラムが叔父であるグラニーテ公を兄のように慕っているのは社交界でも有名な話だった。もしかして使者は王太子にも何か届けたのかもしれない。そのまま話に花が咲いているのか、グラニーテ公からの贈り物に夢中になっているのか……そう推察したオペラは「これも強制力ということかしら」と考えた。
(本来午後に到着する予定だったのに早く到着した使者。そして到着したのは二時間前。つまりわたくしとの面会に指定された時間の前ということ)
おそらく荷馬車の事故がなくても王太子はオペラに会わなかっただろう。王太子にとっての優先順位は、好意を寄せていない王太子妃候補のオペラより小さい頃から慕っているグラニーテ公のほうがはるかに高い。やって来たのがたとえ本人でなくてもオペラを優先するとは考えにくい。
「申し訳ございません」
「いいえ。それに事故とはいえ遅れてしまったのはわたくしのほうですもの。また兄から使いを出してもらいますから、殿下にはどうぞよろしくお伝えくださいませ」
「承知いたしました」
控え室を出たオペラは、馬車まで案内する侍従の後ろを“ぷろぐらむ”について考えながら歩いた。
(神様のおっしゃることが本当だとして、これだけで引き下がるわたくしではありませんわ)
今回は強制力とやらを甘く見ていたため王太子との面会が叶わなかった。これは自分の落ち度だ。“ぷろぐらむ”とやらに絶対に叶わないと決まったわけではない。強制力を実感したオペラは落ち込むことなく次の一手を考え始めていた。王太子妃だとか悪役令嬢だとかいうことより、神の力にいかに抗おうか考えるだけで胸が高鳴る。
(こんなに気力が満ちたのは生まれて初めてかもしれないわ)
黒い瞳がきらりと光った。受け身になるしかなかった人生とはまったく違う道へと踏み出すように王城の廊下を颯爽と歩く。美しく凛々しいオペラの姿はまるで物語に登場する美しき戦乙女を思わせるもので、それを見た侍女たちが「ほぅ」とため息をつきながら惚けたように見送った。
社交界ではしばらくの間、このときの凛々しいオペラの様子が尾ひれをつけながら大いに話題となった。