4 憧れは可愛い妹たちと恋の話
書き出した神の言葉を眺めながら、オペラとホワイトはいつもどおり二人きりの小さなお茶会を始めた。
(温室でお茶会だなんて、まるで小さい頃のままごとのようね)
それでもオペラにはホッとできる大事な時間だった。ホワイトも楽しんでくれている。普段のお茶会では駆け引きばかりで気の休まることがないが、二人きりのお茶会は屋敷ではできない恋の話やお洒落のことなど楽しいことばかりだ。そうした話をほかの令嬢たちとすることがなかったオペラは感慨深く思いながら楽しんだ。
しかし、今日は少しだけ違っている。やはり夢のことが気になるのか、いつもなら社交界で流行っている話をいくつも聞かせるホワイトも静かに文字を見つめている。その様子に「やっぱり不安なのね」と察したオペラは、考えていたことを伝えることにした。
「わたくし、王太子妃候補を辞退したいと申し出てみるわ」
ホワイトの手から摘んでいた焼き菓子がぽとりと落ちた。「お、お姉様?」と言いながら慌てて手を取り、「それではお姉様が悪役令嬢になってしまいますわ」と声を震わせる。
「神様がおっしゃるには自ら候補を降りることはできないということらしいのだけれど、本当にそうなるのか確かめてみようと思うの」
「確かめる……?」
「もし降りることができれば、神様のおっしゃたことは本当ではなかったということになるわ。それなら、わたくしたちはどちらも悪役令嬢にならなくて済むはず。もし降りることができなかったら、また別の方法を考えましょう」
「でも、お姉様が候補でなくなったらあたしが王太子妃になってしまいますわ。そうしたらお姉様が悪役令嬢になってしまわれるということでしょう? 悪役令嬢にならなくて済むかどうかは、後になってみないとわからないのでしょう?」
ホワイトの碧眼が不安そうに揺れる。
「あたし、そんなのいやですわ。お姉様が危ない目に遭われるなんて耐えられない。お姉様に万が一のことがあったら、あたし……想像するだけで胸が潰れてしまいそうですわ」
そう言うとハラハラと泣き出した。「泣いては駄目よ」と手を握り返しながら、「そういえばあのときも泣いていたわね」と二人の関係が変わるきっかけになった出来事を思い出した。
初めてオペラのもとにホワイトから手紙が届いたのは、すべての王太子妃候補が出そろってすぐのことだった。それまでホワイトの存在は知っていたものの、社交界で直接言葉を交わしたこともなく誰かに紹介されたこともない。家格や年齢が違うため個人的に会うこともなかった。
そんな相手からの突然の手紙にオペラは訝しんだ。手紙にはぜひお茶会に招待したく……と無難な言葉が並んでいる。「もしや敵情視察かしら」と考えたものの、そうした駆け引きばかりのお茶会に慣れていたオペラはためらうことなく参加する旨の返事を送った。 ザルツブルガートルン邸に行くと、予想どおり王太子妃候補に決まった令嬢全員が揃っていた。部屋の雰囲気や使用人たちの様子から、すぐに伯爵が用意したお茶会だと察した。
(気にしているのは伯爵様のほうというわけね)
しかし、この程度でうろたえるオペラではない。小さい頃から王太子妃となるべく厳しく教育されてきたオペラは、「虫の入ったパイやガラス片の入った紅茶でも出てくるかしら」と思いながら周囲を観察していた。
(……と思っていたのだけれど、違ったのかしら)
候補者たちを見定めるためのお茶会だとオペラは睨んでいた。ところが何も起きない。こういうお茶会では大抵もっとも身分の低い人が標的にされる。しかし子爵家の令嬢に何か起きた様子はなく、ほかの候補者たちも探り合いながら微笑み合っていた。それを見ながらオペラ自身もお菓子や紅茶を口にしたものの、想像していたような嫌がらせは仕込まれていない。
(考えすぎだったかしら)
唯一おかしな点といえば、隣にいる伯爵令嬢ホワイトだった。最初の挨拶以降、なぜかずっと隣にいる。ほかの令嬢は全員ピリピリした様子だというのに、ホワイトは終始頬を赤らめオペラばかりを見ていた。
その後、お茶会は何事もなく終了した。別の意味で呆気にとられ、「ただのお茶会だったのかしら」と肩すかしを食らったオペラが帰ろうとすると、「あの」と遠慮がちにホワイトが近づいてくる。「最後に事件が起きるのかしら」と振り返ったオペラに、ホワイトは顔を真っ赤にしながら「お、お姉様とお呼びしても……?」と上目遣いで告げてきた。
「……お姉様?」
「は、はい」
「わたくしのことを、そう呼びたいということかしら?」
「は、はいっ」
ホワイトはまるで一世一代の告白のような顔をしていた。可憐な顔を真っ赤にし、青空のような碧眼は興奮と緊張からか涙で潤んでいる。それがキラキラと瞬き不思議な魅力をかもし出していた。社交界で天使と呼ばれていることはオペラも知っていたが、目の前にいるのは紛れもない天使だった。
(なんて愛らしいのかしら)
周囲から王太子妃になるに違いないと言われてきたオペラは、小さい頃からどこに行っても遠巻きにされてばかりいた。同年代の令嬢たちからは一目置かれ、そのせいで親しくつき合うような令嬢は一人もいない。妹という存在に憧れを抱いていたオペラだが、年下の令嬢たちと触れ合うこともできず密かに寂しく思っていた。
それが「永遠の天使」と呼ばれているホワイトに声をかけられた。本来なら敵対心を抱いてもおかしくない自分に「お姉様」と呼びかけてもくれる。オペラはにこりと微笑み、「よくってよ」と答えた。
「……ほ、本当に?」
「えぇ」
「お、お姉様……っ」
感極まったのか、ホワイトは真っ赤な顔をしたままハラハラと涙をこぼした。
(あのときの泣き顔もとても可愛らしかったわ)
目の前で泣いているホワイトもあのときと同じくらい愛らしい。胸がきゅんとするのを感じながら「大丈夫よ」と声をかけつつ、レースのハンカチで目元を優しく拭ってやる。
「わたくしが失敗すると思う?」
「いいえ、いいえ! お姉様は聡明でいらっしゃいますもの。失敗なんてなさらないわ」
「とはいえ、今回のことはわたくしにとっても想定外。失敗しないとは言い切れないのだけれど」
「……そういうお姉様もあたしは好きです」
涙を止めたホワイトは、代わりにうっとりとした顔でオペラを見つめた。そうして「あたし、王太子妃になれなくてもかまいません」と口にした。
「あらまぁ。それでは二人そろって王太子妃候補を辞退しましょうか」
「それがいいですわ! そもそもあたし、なりたくて王太子妃候補になったわけじゃありませんもの。きっとお父様がお金をたっぷりとお使いになったからに違いないわ」
ぷりぷりと怒るホワイトに「そういうことを言っては駄目よ」と注意し、ホワイトの艶やかな唇に人差し指をそっと当てる。
「二人そろって候補を降りるのは良い考えだと思うのだけれど、実際はとても難しいことね。どんな理由であったとしても王太子妃候補を降りれば名前に傷がつくわ。ホワイトにそんな傷をつけたくはないのだけれど……そういえば、あなたにはマログラッセ伯爵のご子息がいらっしゃったわね」
オペラの言葉に顔を赤らめていたホワイトから表情が消えた。
「その後、ビスケティ様からお誘いはあるのかしら?」
「お姉様の口からそのお名前、聞きたくありませんでしたわ」
いつになく低い声に顔を覗き込むと、愛らしい顔がギュッと眉間に皺を寄せている。
「ビスケティ様のこと、嫌い?」
「王太子妃候補のあたしに求婚だなんて、どうかしていますわ」
「ビスケティ様のお母上と王妃様は従姉妹同士で、ビスケティ様と殿下は幼い頃から親しくお付き合いされているそうよ。きっとご兄弟のようにお育ちになったのね。そいうご関係だから遠慮することなくあなたに告白されたのではないかしら?」
「そうかもしれませんけれど、あの自信たっぷりのお顔には腹が立ちますの。それにいつもあたしのそばにべったりですのよ? そもそもあの方のお姉様への態度、あれは何なんですの? あたしのお姉様にしかめ面だなんて、失礼にも程がありますわ!」
頬を膨らませながら怒り出したホワイトは、すぐにハッと表情を改めオペラを見た。
「だからってあたし、殿下と結婚したいなんて本当に思ってませんのよ? だって、あたしよりお姉様のほうがずっと王太子妃にふわさしいですもの。でも殿下はお姉様にふさわしくなくて、でもそうなるとあたしが殿下と……うぅ~っ」
頭を抱えるようにホワイトが小さく唸る。
「そもそもあたし、年下には興味ありませんの。ビスケティ様は二つも年下ですのよ?」
「あら、ホワイトが年下嫌いだったなんて初耳だわ」
「お姉様みたいに年上で大人の方じゃなきゃいや。あんな子どもっぽい方なんて、あたしの好みじゃないですわっ」
そう言って再び頬を膨らませるホワイトのほうが子どものようだ。しかしそうした仕草が「永遠の天使」と呼ばれる所以なのだろう。オペラも「ホワイトはどんな顔をしていても可愛いわね」と微笑みながら膨らんだ頬をぷにぷにと指先で押す。
(もっと前からこんなふうにいろんな方たちと触れあえたらよかったのに)
こうした恋の話をするだけでなく、作法や勉学など教えてやることもできた。可愛らしい妹たちに囲まれて過ごす自分を想像したオペラが「ほぅ」と甘くため息を漏らす。
(でも、わたくしがわたくしである限り、そんな素敵な時間を過ごすことはできない)
本以外で恋の話を知ることはできず、王太子妃になるために毎日ひたすら自分を磨くことしか許されない。「せめてどなたかと恋でもできたらよかったのに」と思うこともあったが、完璧で美しい公爵令嬢に声をかける勇気のある貴族子息はいなかった。
(このまま恋を知らずに王太子妃になるのかしら)
それとも悪役令嬢になって断罪されて終わるのだろうか。
(どちらも虚しいわね)
公爵家の令嬢である限り同じ貴族か王族に嫁ぐのがオペラの役目だ。そのことはわかっているが、せっかくなら一度くらい胸がときめくような経験をしてみたかった。ホワイトのように誰かに言い寄られてみたかった。
(その前に悪役令嬢になってしまってはどうしようもないわ)
社交界では二十七歳の未婚女性といえば年増と言われ始める年齢だ。それでも人生を諦めるには早い。まだ頬を膨らませたまま怒っているホワイトに「さぁ、笑って?」と焼き菓子を勧めながら、オペラは王太子妃候補を辞退するための最速の方法を考えた。