3 オペラの考察
「では、あなたが見たのも全身真っ白な燕尾服を着た男性だったのね?」
オペラの問いかけにホワイトがこくりと頷く。
「それに真っ白なシルクハットを被っていらっしゃって……。あっ! 最後に帽子を取った髪は青色でしたわ!」
どうやら見た目も話の内容もオペラが見聞きしたものと同じらしい。ということは、夢で見たあの男は本当に神だったのかもしれない。それにしては教会にある神の像とあまりに違いすぎる。それでも二人そろって同じ夢を見たのは神の御業以外に考えられず、偶然だと考えるには無理があった。
「あの方、自分は神様なのだとおっしゃっていましたわ。それに、ぷろ……なんとかとか、いん……なんとかとか、難しい言葉をお使いになって……」
「そしてわたくしたちのどちらかが悪役令嬢になるのだとおっしゃった」
「そうですの! あたしかお姉様が悪役令嬢になるだなんて、ひどいお言葉!」
怒りながらも碧眼が少しずつ潤んでいく。「落ち着いて」と背中を撫でたオペラが「冷たくておいしいわよ」と紅茶の入ったグラスを渡した。それに「お姉様、ありがとう」とつぶやいたホワイトの頬はほんのり赤く染まり、両手でグラスを持つとしとやかに一口だけ口にする。
「このこと、誰かに話したりしたかしら?」
「いいえ、誰にも」
グラスをテーブルに戻したホワイトは神妙な顔をしていた。一部理解できないことがあったとはいえ、口外してはいけないと感じるものがあったのだろう。
「そうね、こんなこと誰にも話せやしないわ。じゃあ、どうすべきが二人で考えましょう」
「えぇ」
鉛筆を手に取ったオペラがいくつかの単語を書き出す。紙には「王太子妃候補」、「悪役令嬢」、「ぷろぐらむ」、「強制力」といった言葉が並んでいた。そこに矢印を書き加えながらさらに文字を足していく。オペラの体にぴたりと身を寄せたホワイトは、興味津々という顔でオペラの手元を覗き込んでいた。
「お姉様、ぷろぐらむというのは何ですの?」
「よくはわからないけれど、これのせいでわたくしたちは悪役令嬢になるということらしいわ」
「そんな……」
ホワイトの眉間に皺が寄った。碧眼は潤みながらも文字を睨みつけている。オペラが「王太子妃候補」から「悪役令嬢」の文字に矢印を書く。「ぷろぐらむ」からその矢印に向かって新しい矢印を引き、そばに「完全ではない」と書き加えた。
「神様は完全ではないとおっしゃった」
しかし完全に近いとも口にした。
「王太子妃候補が二人じゃなくても“ぷろぐらむ”は止まらず、悪役令嬢が誕生するための強制力が働き続ける。そして断罪という結末を迎えるまで動き続ける……いいえ、王太子妃が決まるまで、とおっしゃっていたかしら」
矢印や文字を書き込みながらオペラがぶつぶつとつぶやく。文字を追っていたホワイトの碧眼はいつの間にかオペラに向き、頬を赤く染めながら美しい横顔をぽうっと見つめていた。
「少なくとも誰かが王太子妃になるまで、わたくしたちが悪役令嬢になる可能性はなくならないということね」
「あたし、お姉様には悪役令嬢になんてなってほしくありませんわ」
「わたくしだってホワイトをそんな目に遭わせたくはないわ。でも、誰かが王太子妃になるまでわたくしたちの悪役令嬢になる未来は続く。どちらかが王太子妃になれば、もう片方が悪役令嬢になってしまう」
「……お姉様は、王太子妃になりたいと思っていらっしゃるの?」
ホワイトの口調は尋ねるというより非難するような声色に聞こえた。ちらりと見れば眉を寄せ不快そうな表情を浮かべている。オペラは「そうね」とつぶやきながら、少し離れたところで咲くダリアの花を見つめながら考えた。
(わたくしの人生は王太子妃になるためのようなもの。物心ついたときからそうなるようにと育てられてきた)
オペラの脳裏に王太子の顔が浮かんだ。柔らかな茶色の髪に若葉のような緑眼は凛々しく、容姿も家柄も結婚相手として申し分ない。オペラが初めて王太子カラム・サントノレアに拝謁したのは十五歳の社交界デビューのときで、王太子カラムは十四歳になったばかりだった。おまえは王太子妃になるのだと言われ続けていたオペラは「この方が未来の夫なのだ」と思いながら見つめた。しかし巷で聞くような胸の高鳴りやときめきといったものは最後まで感じることがなかった。
(貴族の結婚にときめきなんて必要ないのでしょうけれど)
王太子は真面目な性格で、父王とは違い女性との噂も一切聞かない。権威を笠に無体を強いることもなく、あれほど清廉潔白な王子がいるだろうかと誰もが褒め称えた。
(だからこそ、大慌てで王太子妃候補なんて話が出たのでしょうけれど)
王太子には女性との噂がなさすぎた。このままでは妃の一人も迎えないのではないだろうかと周囲の人間は違った意味で心配したに違いない。だからこそ一年前、突然王太子妃候補を選出するというお触れを出したのだろう。もともとオペラを王太子妃にと考えていた公爵家は驚き抗議したものの、王命だと言われ一旦は引き下がった。結果的にオペラも候補者の一人として名が挙がったのだから裏で何か掛け合ったに違いない。
そうして選ばれた十人あまりの候補者のうち、最終的に王太子が選んだのはオペラとホワイトの二人だった。
(選ばれたことは喜ぶべきことなのかもしれないけれど……)
王太子と結婚したいのかと問われると即答するのは難しい。「悪い方ではないのでしょうけれど」の後に続くのは「でも物足りないのよね」という言葉だった。何が物足りないのかはわからない。しかし何か違う気がする。幼い頃から思い描いてきた結婚相手はもっと大人びていておもしろい人物だと思っていた。
(どうしてそう思うようになったのかしら)
とにかく見た目や人柄とは別の何かが物足りなくて心を動かされないのだろう。
(そもそも結婚なんて考えたこともなかったわ)
オペラに課された役目は「結婚」ではなく「王太子妃になること」だ。
「王太子殿下にお姉様はもったいないですわ」
誰かが耳にすれば不敬罪に問われかねないことをホワイトがぽつりとつぶやいた。
「そのようなことを口にしては駄目よ」
「だって、こんなに美しく聡明でお優しいお姉様に、あんな冷たい方がお相手だなんて全然お似合いじゃありませんもの!」
頬を膨らませるホワイトの様子から、オペラは数カ月前の社交界のことを思い出した。あの日、曲がワルツになったところでオペラのほうから王太子に声をかけた。声をかけられるのが苦手そうだと感じていたものの、「なんとしても王太子と踊れ」と睨む兄の無言の圧力に負け、渋々「一曲お相手いただけますでしょうか」と近づいた。
しかし王太子の答えは「断る」のひと言だった。しかも、そのままプイと顔を背けると控え室に戻ってしまった。
(あのときはお兄様のほうがしょげていたけれど)
オペラ自身は「あらまぁ」としか思わなかったものの、社交界では「オペラ嬢が窮地に立たされている」という噂が広がった。完璧な淑女の汚点はお菓子の蜜より甘い。貴族たちは舐め回すように噂し、一時期は「王太子妃候補から外れるのでは」という噂まで流れた。
そんな噂に人一倍怒り心頭だったのがホワイトだ。実際に二人のやり取りを見ていたホワイトは、オペラと二人きりになった途端に「殿下はなんてひどい方なの!」と憤慨した。それをなだめすかしたのはオペラだ。
「それなら、ホワイトが王太子妃になるのがいいかしら?」
「あたし、あんな方はいや。お姉様に冷たくする方に嫁ぐなんて絶対にいや」
そう言ったホワイトがオペラにぎゅうと抱きついた。それを優しく受け止めながら「前提となるわたくしたちの気持ちも間違っているのよね」とため息をつく。
オペラもホワイトも王太子妃になりたいとは思っていない。それでも候補者であることを受け入れているのは役目だと心得ているからだ。
互いの家は「我こそは」と息巻いているものの、家としての自尊心の表れでしかなかった。そもそも、王太子自身が本当に二人のうちどちらかを王太子妃に求めているのかもわからない。候補が二人に絞られて三カ月が経つが、王城からは何の知らせもなかった。そのことも社交界をにぎわせていた。
オペラの艶やかな黒目が書き込んだ文字をじっと見る。「王太子妃候補」が「悪役令嬢」になるというのが神を名乗る男の言葉だった。それならやはり「王太子妃候補」でなくなるのがよさそうだ。自ら候補を降りることはできないと話していたが、本当にそうなのか確かめてみる価値はあるのではないだろうか。
(一つずつ試してみて、本当に駄目なのか確かめなくては先に進めないわ)
社交界では淑女と褒め称えられ、ホワイトには何でもできる完璧な令嬢と思われているオペラだが、これまでは多くの時間を受け身で過ごしてきた。やらなければいけないことが多く流されるように生きることしかできなかった。
そんなオペラにとって神の言葉の検証は初めて挑戦することばかりだ。周囲から与えられるものとはまったく違う。まるで物語の中の冒険者のようだと密かに思い、そんなことを考える自分に苦笑しながら「王太子妃候補」という文字に丸を付けた。そうして「焼き菓子でも食べましょうか」と言ってホワイトの背中を優しく撫でた。