20 五度目の二人の物語
オペラがグラニーテ公の婚約者になって三カ月後、ザルツブルガートルン伯爵令嬢ホワイトとマログラッセ伯爵子息ビスケティとの結婚式が執り行われた。オペラの一件で一度は下火になった二人の噂話は、その後も何度か社交界をにぎわせたものの最終的には純愛という形で収まりつつある。
「そもそもお金目当てだなんて噂のほうがおかしかったのですわっ」
親しい人たちだけを集めてのパーティで、ホワイトが頬を膨らませながら不満を口にする。その表情に「どんな表情も可愛いわね」とオペラが微笑んだ。
「ほら、そんな顔をしては駄目よ。せっかく愛らしいドレスなのだから、いつものように天使の顔を見せて?」
「……もう、お姉様ったら……」
膨れていた顔が照れたようにふわりとほどけた。そのやり取りを近くで見ていたビスケティが顔をしかめる。それでも何も言わずホワイトを見守っているのは夫という揺るぎない立場になったからだろう。
以前のビスケティは、オペラを見つけるたびに睨みつけていた。そのことがホワイトに嫌われる一因にもなっていた。
「あたしのお姉様にしかめ面だなんて、失礼にも程がありますわ!」
そう怒っていたホワイトは、婚約してからすぐにビスケティを問い詰めた。そのとき返ってきた言葉が「きみがガトーオロム公爵令嬢と仲良くしすぎているからだよ」だったらしい。
ホワイトからそのことを聞いたオペラは「あらまぁ」と言い、美しく微笑んだ。「わたくしに嫉妬だなんて可愛い方ね」と思ったものの口にはしない。
常にホワイトを見ていたビスケティは、ホワイトとオペラが姉妹の契りを交わすほど親しい仲だとすぐに勘づいたのだろう。そして姉妹以上に親しいことに嫉妬したのだ。それだけでなく、周囲が「公爵令嬢こそ王太子妃にふさわしい」と口にするのも我慢がならなかったのだという。
「あたしに王太子妃になってほしくないけれど、お姉様があたしを押しのけて王太子妃になるのも許せなかった、なんておっしゃるのよ? 本当に困った方!」
そう言って怒ったホワイトの顔には腹立たしさよりうれしさのほうがにじみ出ていた。
(本当にホワイトは可愛いわ)
そのときのホワイトの顔を思い出したオペラがうっとりと微笑む。するとそれを見たホワイトが「ほぅ」とため息を漏らしながら、こちらもうっとりとした表情になった。その空気を破ったのは低く艶やかな男性の声だった。
「ホワイト嬢が天使なら、僕のオペラ嬢はさしずめ女神様かな」
王弟らしい服装を身に纏って現れたグラニーテ公に、「まぁ!」とホワイトがにこやかに笑う。
「さすが王弟殿下でいらっしゃいますわ。お姉様がどれほどお美しいかよくおわかりでいらっしゃいますのね」
「褒めていただき光栄の極み」
「ちょっと、ホワイトっ」
王弟を相手に遠慮のない言葉を投げかけるホワイトに顔を青くしたのはビスケティだった。「失礼だよっ」と慌ててたしなめ、「申し訳ございません」とグラニーテ公に頭を下げる。ビスケティのほうが二歳年下だが、まるで妹の面倒を見る兄のような様子だ。それもまた可愛いのだとオペラが優しく微笑む。
「ホワイト、わたくしだけでなくほかの方々にもご挨拶したほうがいいわ」
「う~……わかりましたわ。あっ、でも、どうか最後まで残っていらっしゃってね? このあとお姉様とゆっくりお話がしたいの」
「えぇ、待っているから。さぁ、ビスケティ様といってらっしゃい」
頬を赤くしながらドレスの裾を摘んで挨拶をしたホワイトが、ビスケティと寄り添いながらほかの招待客の元へと向かう。二人の背中を見送りながら「ビスケティ様はまるでホワイトのお兄様のようですわね」と微笑んだ。
「あれだけしっかりしているなら、この先のマログラッセ家も安泰だろうね」
オペラの隣で同じように見送っていたグラニーテ公が、「そういえばきみの兄上のほうはどうしているかい?」と尋ねる。
「毎日お忙しそうですわ。それに気味が悪いくらい上機嫌で、顔もだらしなく笑っていらっしゃることが多くて……王城ではしっかりなさっていると思いますけれど」
「念願叶ってのカラム殿下の側近だ。うれしくて仕方がないのだろう」
「そうでしょうけれど、妹としては少し心配ですわ」
頬に手を当てながら「ふぅ」と小さくため息をつく。
兄フリューは王太子カラムたっての希望で王太子付きの側近となった。父はもちろんのこと、一番に喜んだのはフリュー自身だ。あまりの喜びようにマディーヌをはじめとした一部の侍女たちは熱い視線で見守っている。時を同じくして王子と公爵子息の恋模様を描いた薄い本が巷をにぎわせ始めている、という噂はオペラの耳にも入っていた。
(どちらにしても、ホワイトもビスケティ様も、わたくしたちもお兄様もよい方向に進んだと言えるわ)
唯一そうならなかったのがミルフィ嬢だった。あまりに度を超した熱心さは王太子に敬遠され、オペラが王太子妃候補から降りるのと同時にミルフィ嬢も候補者から名前が外された。その後、国王とフレイズ男爵夫人の噂話はぴたりと消え、フレイズ男爵家の社交界での力や影響力も五年前に戻っている。
(こうしたことも“ぷろぐらむ”が沈黙した影響なのかしら)
いまも沈黙したままなのか、オペラにはわからない。グラニーテ公は「プログラムが沈黙したことで何か変化が起きるかもしれない」と話していた。これまで何かが起きるたびに“ぷろぐらむ”の力で悪い方向へと噂が広がっていたが、沈黙したことで逆の作用が起きているのかもしれない。
(“ぷろぐらむ”は考えていたよりずっと強い影響力を持つ相手だわ)
グラニーテ公は馬車での一件以来、かつて経験したことについて再び話すことはなかった。オペラから尋ねることもない。そのほうがいいと判断したからだが、あのとき聞いた内容から想像以上の力を持っているのだという想像はついた。それに打ち勝てたのは奇跡だったのかもしれない。
(次もまた奇跡を起こせるかしら)
いつまた“ぷろぐらむ”が動き出すかわからない。オペラの胸に一瞬不安がよぎった。しかしすぐに「大丈夫よ」と力強く思い直した。もし一人で立ち向かっていたのなら足がすくんでしまったかもしれないが、オペラは一人ではない。傍らには“神”の存在を知り“ぷろぐらむ”に抗ってきたグラニーテ公がいる。
「きみは何も心配することはない。この先何が起きてもきみは僕が守る」
「……殿下」
相変わらずグラニーテ公は自分が考えていることを察するのが早い。婚約者となってから、ますますそうなった。そんなグラニーテ公に接するたびにオペラは胸を高鳴らせ、いまでは間違いなくグラニーテ公を慕っているのだと自信が持てるまでになった。
(わたくしがそう思えるようになったのも、すべては殿下のおかげ)
毎日のように愛の言葉を囁き、態度でもそれを示してくれる。いまや社交界ではこの国一番の夫婦になるに違いないと噂されるほどだ。そんなオペラとグラニーテ公の結婚式がひと月後に行われることも決まった。
「わたくし、“ぷろぐらむ”とは関係なく殿下のことをお慕いしておりますわ」
「ありがとう。その言葉を聞くだけで天にも昇る気持ちだよ」
「あら、もう天に昇ってしまわれるなんて、わたくしの気持ちはこれからますます強くなりますのに」
「おっと、我が奥方は僕を喜ばせるのが上手だ」
にこりと微笑んだグラニーテ公の右手がオペラの腰に回った。そうしてグッと引き寄せながら左手で頬を撫で、耳を撫で、そうしてさらけ出されたうなじを優しく撫でる。
「殿下、」
「大丈夫、誰も見ていない」
そう言いながらうなじや耳元をくすぐるように撫でた。途端にオペラの体が火照ったように熱くなる。こうした接触はグラニーテ公が初めてで、首に触れられるのが弱いと知ったのもグラニーテ公がきっかけだった。
「愛しい僕のオペラ嬢」
「……殿下、」
耳元で囁かれ背中をぞくりとしたものが駆け抜けた。興奮しているのか頭が少しぼんやりする。「ふぅ」と小さく息を吸ったところで薔薇の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。それがますますオペラの心をとろけさせた。
グラニーテ公が愛用している薔薇の香水は、もとはオペラがグラニーテ公に贈ったものだった。その香りに近い薔薇を王城のあの部屋の庭に植えたのは二度目のときだったと教えてくれたのはグラニーテ公だ。
(殿下の顔に何度も既視感を覚えたのは、カラム殿下に似ていらっしゃったからではなかったのだわ)
オペラの中にかすかに残っていたかつての記憶がそう思わせたに違いない。そう考えてしまうほどオペラはグラニーテ公に夢中だった。
「わたくし、恋をしないまま一生を終えるのだと思っていましたの。でも違いましたわ」
「それは僕に出会ったからかい?」
そう言いながらグラニーテ公の顔が頬に近づく。「口づけは結婚の誓いのときに」と言ったグラニーテ公は唇に口づけることをしなかった。代わりに頬に口づけ、「結婚式が楽しみだ」と言うのが口癖になりつつある。
(殿下はとても誠実な方だわ)
そうした性格もオペラが慕うところの一つだ。
「生涯一度だけの恋のお相手が殿下で、本当によかった」
「そう言ってもらえるだけで、やはり僕は天に昇ってしまいそうだ」
「まぁ」
グラニーテ公が頬に優しく口づける。それにうっとりしていると、首に吐息を感じハッとした。慌てて「殿下」とたしなめたオペラだが、許さないとばかりに腰を抱くグラニーテ公の力が強くなる。そうして驚くオペラを気にすることなく首筋に口づけた。
「んっ」
漏れた甘い声に驚いたのはオペラ自身だった。すぐに唇を噛み締めたものの軽く吸われ肩が震える。
「きみは二度と僕から逃げることはできない」
初めての快感に意識を奪われていたオペラは、耳元で熱く囁かれたグラニーテ公の言葉を聞き取ることができなかった。
「五度目でようやく叶ったよ」
オペラの体がふるりと震える。それは愛しい人と結ばれる未来への期待か、それとも囁かれた声にほの暗いものを感じたからか、オペラ自身もわからなかった。




