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2 王太子妃候補の二人

 朝食前に一筆したためたオペラは、侍女マディーヌに手紙を渡し急いで先方に届けるように頼んだ。手紙の受け渡しをすっかり心得ているマディーヌは、主の顔を見ていつもと違うと感じたのだろう。小さく頷くとすぐさま屋敷を出た。

 一方、オペラはいつもどおり両親や兄と一緒に朝食をとり、侍女たちの手を借りて身支度を整えた。その際、バスケットに冷たい飲み物と焼き菓子の用意を頼むのも忘れない。「お飲み物はおかわりの分もご用意いたしますか?」と尋ねるベテランの侍女に「えぇ、お願い」と答えたオペラは、紙と鉛筆を大きなハンカチに包み「お昼まで静かにしておいてちょうだい」と侍女たちに伝えた。


(さて、これで考える時間ができたわ)


 侍女が持って来たバスケットにハンカチで包んだ筆記具を入れ、部屋を出る。美しい黒髪をなびかせながらオペラが向かったのは庭の端にある温室だった。


(まずは夢の話を整理するとして……ホワイトに説明するのが先かしら)


 亡き祖父から譲られた温室は広い庭の片隅にあるため人目に付きにくい。ここを訪れるのはオペラと庭師くらいで、今日は庭師が手入れをする日ではなかった。だから飲み物とお菓子を用意するように頼んだ。

 五歳のときに温室を手に入れたオペラは、それからというもの自分だけの隠れ家のように温室を使ってきた。小さい頃はままごとのための食器類や相手役になるくまのぬいぐるみを持ち込み、少し大きくなってからはお気に入りのガラス細工や本、クッションや羽織物を持ち込んだりもしている。

 屋敷にいるときのオペラは忙しい。ダンスに勉学、作法や社交界で顔を合わせるだろう貴族たちの一覧、それに主要な貴族たちの領地に関することなど覚えることが山積みだった。そうしたことから離れ、静かな時間を過ごせる場所は温室しかなかった。オペラが一人きりの時間を楽しんでいることを知っている侍女たちは決して温室を覗こうとしない。もともと温室に興味がない両親や兄が訪れることもない。

 つまり、秘密で何かするにはうってつけの場所ということだ。


「お姉様!」

「しぃっ、静かに」


 温室に近づくと、木陰から大きなつばの帽子を被った女性が走り寄ってきた。顔を隠すための帽子かもしれないが、それがかえって目立っている。相変わらずの様子に苦笑しつつ、「さぁ、入って」と温室の扉を開けた。

 中は思ったよりも暑くない。急激な高温は温室育ちの植物にとっても毒になるのだと庭師に聞いたのは数日前だ。だから換気窓を少しだけ開けているのだろう。何カ所か開いている換気窓を見たオペラは、植物のためもあるだろうが自分のためでもあるのだろうと察した。


(わたしが頻繁にここを使うようになったから気を遣ってくれたのね)


 週に一度は温室を訪れていたオペラだが、正式に王太子妃候補に決まった一年前からは週に二、三回は使うようになっていた。そのためか温室内の手入れも以前より行き届いているように見える。


(こうして秘密のお茶会を開く回数が増えたからなのだけれど)


 本当の理由は知らなくても主のためにと侍女や庭師が常に整えているのだろう。おかげで快適な空間で考え事ができそうだ。

 温室の奥に大きな帽子の女性を案内し、クッションが置かれたベンチに腰掛けるよう促す。テーブルにバスケットを置いたオペラは慣れた手つきで中身を取り出すと、二つのグラスに冷たい紅茶を注ぎ入れた。その脇に持って来た筆記具を置く。


「お姉様もあの夢、ご覧になったのでしょう?」


 帽子を取った女性は肩を触れ合わせるようにぴたりと座った。そうして不安そうに碧眼を揺らしながらオペラを見つめる。


「ホワイトも覚えているのね」


 問われてこくりと頷いたのは、もう一人の王太子妃候補であるホワイト・ザルツブルガートルン嬢だった。帽子を脱いだ状態のまま自慢のフワフワな金髪を整えるでもなく、膝に置いた華奢な手をギュッと握り締めている。

 自称神だと名乗った男は、オペラとホワイトが悪役令嬢にならないために互いに蹴落とし合うのが楽しみだと口にした。しかし、そうなるための根底がそもそも間違っている。


(神だとおっしゃったのに、わたくしたちの関係はご存じなかったのかしら)


 まるでいまの社交界のようだ。社交界をはじめ周囲のほとんどはオペラとホワイトが犬猿の仲だと信じて疑わない。王太子妃候補同士はそういうものだと昔から言われているからだ。実際、いまの王妃は複数いた候補者を蹴落としてその地位を手に入れた。そうした話は昔から山のようにあり、社交界では宝石並に好まれる話題でもある。


「お姉様、どうしましょう」


 二十二歳と花盛りのホワイトは二十七歳のオペラを年増だと蔑んでいる、社交界ではホワイトがそうした悪口をあちこちで話しているともっぱらの噂だ。しかしオペラを見るホワイトの碧眼は縋るような眼差しで、むしろ慕っているように見える。

 幼い頃から王太子妃になるべく育てられてきたオペラは、ポッと出のホワイトを見下していると社交界では噂されていた。成金の令嬢に負けては公爵家の名折れだと口にしているとも噂されている。しかしホワイトを慰めるオペラの表情は穏やかで慈愛に満ちていた。


「ほら、そんな顔しないで。そんな表情は永遠の天使にふさわしくないわ」


 ホワイトは社交界で「永遠の天使」と呼ばれている。十二歳で社交界デビューを果たした当時から天使のようだと言われ続けた結果だ。


「永遠の天使だなんて、女神のようなお姉様の前ではあたしなんて霞んでしまいますわ」

「あら、わたくしはホワイトのことを本物の天使だと思っていてよ?」

「……お姉様ぁ」


 頬を赤く染めたホワイトが感極まったと言わんばかりにオペラに抱きついた。二十二歳の令嬢にしては幼い仕草だが、それもまた可愛いのだとオペラは思っている。


(わたくし、こういう妹がほしかったのよね)


 王太子妃になるのがおまえの役目だと口うるさい兄ではなく、ホワイトのように可愛い妹がよかった。口を開けば「王太子殿下のために」と口にする兄フリューを思い出し、心の中で「はぁ」とため息をつく。


(わたくしとホワイトはこんなにも仲良しだというのに)


 そう、二人は犬猿の仲ではなく姉妹の契りを交わすほど仲が良かった。しかし社交界はおろか互いの家族さえそのことを知らない。知っているのは手紙のやり取りを手伝っている互いの侍女二人だけで、二人には口外しないように言い含めていた。そうしなければ家同士の諍いに発展しかねないと判断したからだ。


(我が家は公爵家としての意地だと躍起になっているし、向こうは成金を払拭するため何がなんでも王太子妃にしたいと思っているようだし……困ったものね)


 再び胸の内でため息をついたオペラは、可愛いホワイトの背中をポンポンと撫でながら「さて、どうしたものかしら」とつぶやいた。

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