1 神(?)、降臨
「というわけで、この世界に“悪役令嬢断罪プログラム”をインストールしましたぁ!」
テッテレテーンという呑気な音楽とともに真っ白なシルクハットを被った男がそう叫んだ。天に向かって右手人差し指を突き上げているその男は、帽子だけでなく全身真っ白な服を着ている。見るからに怪しげな風貌に公爵令嬢オペラは黒目を細め、じっと男を見た。
「……ちょっと、なんで無反応なのさ?」
「おっしゃっている意味がわからないのですから反応のしようがありません」
「だから、悪役令嬢……」
「“ぷろぐらむ”を“いんすとーる”したというのは伺いました。そのような言葉、初めて耳にしましたわ」
男は赤い目をぱちくりとさせたかと思えば、「あぁ!」と言ってポンと手を叩いた。
「そういやこの世界にプログラムとかインストールとかはなかったっけ。それなのにドーンと宣言しちゃうなんて、ボクったら恥ずかしいなぁ」
てへへと笑う男をオペラはなおも静かに見つめる。感情のこもっていない眼差しに気づいたのか、男が「あはは……」と力なく笑った。
「美人さんに無言で見つめられるのはちょっと怖いねぇ」
「ありがとうございます」
「あれ? 美人っていうのは訂正しないんだ」
「謙遜はときに嫌味や侮辱になると知っておりますわ」
「さっすが! 王太子妃候補のご令嬢は違うねぇ」
ニコニコ笑う男にオペラの目がますます細くなる。「なんだこの胡散臭い男は」と言わんばかりの眼差しに、男は表情を改めると「まぁ、そういうことなんで」と言ってニッと笑った。
「そういうこととは、どういうことかしら」
「きみかホワイト嬢が悪役令嬢になって断罪される世界になったということだよ」
男の言葉にオペラが初めて表情を変えた。といっても美しく整えられた眉をほんの少し寄せただけで、すました美貌はほとんど印象を変えることがない。
「悪役令嬢などと呼ばれるいわれはございませんわ」
「そうだね。きみは大勢から完璧な淑女と呼ばれる美しきご令嬢だ。そしてもう一人の王太子妃候補であるホワイト嬢も可憐な天使と呼ばれている」
公爵令嬢オペラ・ガトーオロムの名が正式に王太子妃候補として挙がったのは一年前のことだ。同時に名前が挙がったのが伯爵令嬢ホワイト・ザルツブルガートルンで、ほかにも十人あまりいたがいまはこの二人しか残っていない。オペラは由緒正しい公爵家の令嬢で王太子妃になるには申し分なく、一方ホワイトは歴史の浅い伯爵家令嬢ながら莫大な富を持つ家の娘だったため候補に残ったと噂されていた。どちらが王太子妃になるか、いま社交界でもっとも熱い話題になっている。
「きみたち二人のうち、どちらかが悪役令嬢として断罪される。これはもう決まったことだ」
「まるで神のような言い方ですわね」
「そう、この世界でボクは神様みたいなものだ。そのボクがインストールしたプログラムの強制力は半端じゃない。どんなに抗おうとも必ず悪役令嬢は誕生し、断罪ルートへと進む」
ニッと笑った男がくるりと身を翻した。オペラはそこで初めて男の服装が燕尾服だということに気がついた。上着もシャツも革靴までも光沢がある白色だからか、よく見かける服装だというのに違和感のほうが強い。「教会にある神の像とは随分違う姿のようだけれど」と怪訝な顔をしながら、自称神の言葉を反芻したオペラは、「ということは……」と口を開いた。
「王太子妃候補二人のうち、どちらかが必ず悪役令嬢になるということかしら」
「そのとおり! ご令嬢二人のうち必ずどちらかが悪役令嬢だと認定される。認定されれば王太子から断罪され、王太子妃候補から外れることになるだろう。そんなことになればきみの家もホワイト嬢の家も大変だ」
口では「大変だ」と言いながら男の表情は楽しそうだ。そんな男の態度に眉をひそめながら、オペラは「なるほど」とつぶやいた。
「では、どちらかが自ら王太子妃候補を降りた場合はどうなりますの?」
「……きみ、冷静過ぎやしないかい?」
「性分ですわ」
「まぁ、いいけどさ」
シルクハットを右手で整えると赤い目がオペラを見た。
「質問の答えだけど、どっちかが候補を降りようとしても無駄だ。それじゃあエンディング、結末にたどり着けない。ボクのプログラムは優秀でね、必ず悪役令嬢を作り出して断罪エンドまで持っていく。そうした強制力がこの物語に組み込まれたってわけ」
「物語……わたくしたちは神であるあなたの描く物語の登場人物、そういうわけですか」
「ご名答! いやぁ、きみは飲み込みが早くて助かるよ。ちょうどいまホワイト嬢にも同じ説明をしているんだけどねぇ。向こうは頭上にクエスチョンマークを浮かべるばかりで理解できているか心配していたところなんだ」
「……ちょうどいま、説明、ですって?」
「そう。あぁ、向こうは面倒になって説明を終了しちゃったみたいだけどね。ホワイト嬢、呆然としてるなぁ。そういう姿は庇護欲をそそるけどボクの趣味じゃないんだよねぇ。ボク、どっちかっていうときみみたいなクール系美人のほうが好きだなぁ」
真っ白なドレスグローブをした手で真っ白なタイをいじりながら「ま、どうでもいいことだけど」と男が笑う。
「その“ぷろぐらむ”というものは絶対なのかしら」
「もちろん絶対だ。誤作動がないように何度もテストしたからね。この世に百パーセントなんてものは存在しないけど、限りなく百パーセントに近い」
「それがこの世界を導く、ということかしら」
「おお、いい言葉だね! そっか、そういうふうにホワイト嬢にも説明すればよかったのか。いやぁ、言葉って難しいねぇ」
「登場人物であるわたくしたちには抗う術がないと」
「そうなるね」
「しかし、二人のうちどちらが悪役令嬢になるかは決まっていない」
「そうそう。それを先に決めちゃうとおもしろくないからね」
「誰が?」と言いかけたオペラだが、声には出さず眉をひそめた。
「王太子妃候補の中から悪役令嬢とやらを生み出したいのなら、一年前に“ぷろぐらむ”とやらを“いんすとーる”すればよかったのではないかしら。一年前なら十人近くの候補者がいましたわ。人数が多いほうがあなたが言う“おもしろい”展開になったのではと思うのだけれど」
「うーん、それも考えたんだけどねぇ。でも対象者が多いと、ほら、万が一ってことがあるかもしれないし」
「問題が起きる可能性がある、と」
「そうそう。それに二人がバチバチやり合うのがおもしろいんじゃないか」
「わたくしとホワイト嬢がやり合うのが見たい、そういうことかしら?」
「そのとおり! 断罪ものの醍醐味はそこでしょ? 相手の隙を突いて、蹴落として、最後に生き残ったほうがすべてを手に入れる。なんならざまぁまであると嬉しいんだけど」
「ざまぁ……」
「相手を地の底に叩き落とすことだよ。それまでのドロッドロが全部覆ってスカッとするあの瞬間! 何度見返しても気持ちがいいったらありゃしない」
パチパチと手を叩く男を見るオペラの眼差しが冷たくなる。
「やだなぁ、そんな怖い顔をして。そういう目に遭いたくないのないならきみが勝てばいい」
「わたくしが?」
「そうだよ。それにきみはもっとも王太子妃にもっとも近いと言われ続けている公爵令嬢だ。社交界の半分以上はきみで決まりだと考えている。一部はホワイト嬢の逆転一発を望んでいるみたいだけど、ちょっと厳しいだろうね。なんたって向こうは爵位を買っただけの成金だ。王家としては金はほしいが権威を傷つけるような婚姻は望まない。『金がなくて成金を王太子妃に選んだのか』なんて言われるのはプライドが許さないだろうからねぇ」
男は身振り手振りを加えながら饒舌に語った。
「悪役令嬢にならないためにホワイト嬢を蹴落とし、きみが王太子妃になる。そうすればエンディングで笑うのはきみで、プログラムもそこで終了だ」
「その“ぷろぐらむ”とやらに期限はあるのかしら?」
「いいや、どちらかが王太子妃になるまで動き続ける」
「もし二人以外が王太子妃になったらどうなりますの?」
「え?」
「いまは二人でも、期限がないとなると途中で候補者が増える可能性もありますわ」
とことん冷静なオペラの様子に、男が「向こうも大概だけど、こっちも大概だな」とつぶやきながらシルクハットの位置を整えた。
「まぁ、そういうこともなくはないだろうけど……そこまでは考えてなかったなぁ。ま、候補者が増えてもボクが作った優秀なプログラムは動き続けるよ。最終的に二人が残り、どちらかが王太子妃に、残ったほうが悪役令嬢に決まるまで止まることはない」
「そうですの」
淡々としたオペラの態度に男が「きみ、肝が据わりすぎてるでしょ」と呆れたような笑みを浮かべた。
「王太子妃になるため、多少のことでは動じないように教育されてきましたから」
「それでも神様に会ったらもっと驚いてもいいと思うんだけどなぁ」
「まぁいいや」と言いながら男がくるりと回った。まるで道化師のように、それでいて社交界でのダンスのように軽やかに足を動かす。
「さぁ、目が覚めたらパーティの始まりだ。ボクが睡眠時間を削りに削って、最後は三日間も徹夜してまで完成させた悪役令嬢断罪プログラムは動き出した。きみたち二人のどちらかが断罪エンドに向かうまでプログラムは動き続ける。そう、今度こそね」
男が真っ白なシルクハットを取った。それを胸に当て、ニッと笑いながら優雅にお辞儀をする。
「オペラ嬢かホワイト嬢のどちらかが悪役令嬢として断罪される。その先は断頭台かもしれない」
まるで大衆演劇の役者のように声高に宣言した男は、青色の髪をなびかせながらくるりと宙を舞った。そのままポンと音を立てて消えてしまう。残されたオペラは「なるほど」とつぶやき、何かを決意するように右手を握り締めた。
そこでオペラはぱちりと目が覚めた。部屋はまだ薄暗く侍女が起こしに来る気配もない。普段から目覚めがいいオペラだが、今朝はそれ以上に目覚めがよかった。むくりと起き上がり、ぱちぱちと何度か瞬きをする。
(……夢だったのかしら)
夢だとしたらなんと荒唐無稽な内容だろう。この国で信仰を集めている神からはほど遠い怪しい男を神として夢に見るなんてどうかしている。目頭を二、三度揉むと、ベッドから出て勢いよくカーテンを開けた。
外はうっすらと明るく、すでに日が昇り始めている。早朝はまだいいが、陽が高くなれば今日も暑くなるだろう。まだ初夏だというのにここ数日は夏本番のような暑さだ。昇り始めた太陽を見ながらオペラは夢で見た男の言動を思い返した。
(夢ならいいけれど、もし本当に神だったとしたら……)
早く手を打たなくてはいけない。肩掛けを羽織ったオペラは急ぎ足で寝室を後にした。