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エデンハイド物語   作者: Franz Liszt
王国の章『運命の選択編』
48/51

第40節『再び旅立つ日』

 時はゼクシードとアリスティアの再会より数時間遡る。



 ドン! 物凄い音が薄暗い室内に響いた。

 部屋の中ではロクシスが目の前に座る男に声を荒げ、デスクをぶっ叩いていた。


「何故、アントニオを殺したのですか! 父上!」


 紅色の瞳が爛々(らんらん)と輝く。それは怒りと呼ぶに相応しい色合いを持っていた。


「お前も目障りだったのではないのか? そのようにイドゥンから聞いたが?」


 それに対し至極冷静な態度で机に肘をつき、ロクシスを睥睨(へいげい)するかのような姿勢の男。


「確かに彼は精霊などというふざけた連中と仲良くしようなどと世迷言を言っておりました。しかし! 彼もまた我らと同じく、この国の未来を思っていた!」

「だから貴様は甘いのだ! ロクシス! 邪魔者は全て殺さねば、ダメなのだ! 妻を殺した精霊どものようにな!」


 憎しみに満ち溢れた声を上げるロクシスの父――ゲイルジア・オーガ・クレメンテ。そこに一遍の情けも残されてはいない。ただ、過去の鎖に縛り付けられた狂人のようであり、同時に闊歩する強固な意志の塊のような男だ。

 ロクシスは半ば父の答えなどわかっていたが、それでも叫ばずにはいられなかった。何故なら彼は王国の騎士であり、その望みは、願いは偏に王国と人間の常しえの繁栄だったのだから。


「父上、人間と精霊は違う存在です! 相容れぬ彼らを殺すのは仕方がなくとも、同じ人

間ならば説得はできるはずです! だからこそ、家老という地位からアントニオを排除するだけで良かった! そのようにイドゥンに命じた! それをっ!」


 今回イドゥンに命令を下したのは、間違いなく父だ。それがロクシスには完全に分かっていた。

 自分がイドゥンにあのような命令をした覚えはない。それどころか権力の剥奪を命じたはず。ならば途中で自分の出した命令が書き換えられていたとしか考えられない。

 そしてそのようなことができるのは、己の父以外を除いて他にいないだろう。


「ロクシス。お前はまだまだ青い。真の理想は、輝ける王国の未来は、犠牲なくして成り立ちはしないのだよ……」

「……くっ! 父上は……」

「そうだ。そういえばもう一つ。アリスティアとの婚約だが、破棄したぞ」


 ――思い出したように呟いた父だが、絶対に前もって言おうとしていたことだ。(とぼ)けても息子を欺けると本気で思っているのだろうか……。

 ――いや、そつのない父のことだ。おそらくそれすら承知の上でこのような演技をしているのだ。ならばここは合わせて置くのが適切か……。

 ロクシスは一瞬で思考を定め、最良の選択肢を選ぼうとした。今、何故に父がこのようなことを言いだしたのか、その本質を見極めろと自分を叱咤する。


「え? な、何故ですか!」

「もうお前にはふさわしくない、無用な駒だからだ。アリスティアはローゼンバーグ家を手中に収めるための道具だったのだ。そうだろう、お前もそのつもりであったのだろう? 道具を与えられたお前ならば理解出来るだろう?」


 ゲイルジアは息子を見下すように眺めた。傲慢の極み。これと比べればロクシスなど甘いものだ。ロクシスは認めるべきことは認める。

 しかしゲイルジアは違う。自らの価値観でしか認めようとは決してしない。

 思わず全てが氷解し、ロクシスは歯軋りをする。無力な自分を思い知らされた。そもそもイドゥンなどという怪しげな女を連れて寄越したのも父だった。


 ――何故、それを疑わなかった……。

 イドゥンは自分ではなく、父の命令で動いているのだと……。


「それにいいか、息子よ。すでにアリスティアは重罪人。一生、外の光を見る事はない」

「父上! それはあんまりでは! せめて刑罰を軽くしてやることぐらい、裁判長である貴方なら簡単でしょう! 何故そこまでする必要が!」

「ぬるい! お前はぬるすぎる! 万が一にでもアリスティアに生きていられては、いずれ復讐されるぞ! いいか、あの女は聖女(マリア・ステラ)としては歴代のローゼンバーグの中でも特に優秀だ。そんなのに反抗組織を組まれてみろ! 溜まったものではない!」

「しかし!」

「しかしではない! そもそもお前がアリスティアをものにできなかったのが、いけないのだろう! 甘ったれるな!」

「ぐぅ……」


 痛いところを突かれて押し黙るしかないロクシス。確かに、アリスティアを籠絡するのは計画に含まれていた。だが、それが為せなかったのは己のせいではないと思う。

 ゼクシード……あのイレギュラーな存在さえいなければ、こうはならなかったはず。


「アリスティアは本来なら死刑だが、それでもローゼンバーグの圧力を考慮し、国外追放処分が妥当だろう」


 デスクの上で手を組み、目を細めるゲイルジア。

 その瞳は暗く冷たいものだった。とても血の繋がった息子へ向けるものではない。


「国外追放……それでは死刑となんら変わらないではないですか!」

「くどい! このような腐った話をこれ以上続けるというのであれば、出てゆくがいい。とっとと私の前から失せなさい」


 ゲイルジアは是非も言わせぬ口調で言い放った。一方的な物言い。これがゲイルジアの本性なのだ。

 そしてロクシスはこの父が嫌いだった。しかしたった一人の肉親。そして自分をここまで育て、一人前と呼べるまでにしてくれたのもまた事実。

 だからロクシスに父を裏切るという選択肢は存在しなかった。


 二つ返事を言い残してから父の私室から出て、続く冷たい廊下をトボトボと歩いた。

 全て自らが至らなかったせいだ。もう自分にアリスティアを守る手段はないのだろうか……。

 その時、脳裏に浮かんだ顔は、ゼクシードだった。彼ならば、アリスティアを救ってくれそうな気がした。確信にも似た感慨。理性的なロクシスが嫌う、直感と呼ばれる部類のものである。

 が、思わずそれに縋ろうと思考が進む。それだけ心が疲弊していた。


(確かあの二人は仲が良かったはず……)


 ――いや、ダメだ!

 ロクシスは激しく頭を振るった。


(国外追放処分者に付いてゆくということは、その者も同じ扱いとなる。二度とこの王国の地を踏む事は許されない。ゼクシードは良い騎士になる。イドゥンの話が真実であれ、嘘であれ、彼の上達振りと志は本物だ。俺が認めた唯一の相手……)


 ――そんなヤツを死地へ行かせようというのか……。

 ――初めてかもしれない、友を追いやろうというのか……。


(できない。俺は……俺はいったいどうすれば……)


 ――そもそも、決して手に入らぬ女のために、動くというのか……。


(俺はそんな殊勝な男ではない!)


 ――ならば何故、こうまで焦る……?


(分からない。ただ……ここで決めねばならぬ気がする……)


 だからロクシスは決めた。姑息なやり方だと自負している。

 しかしそれを逃げだとは思わない。これが自分のしてやれる最大の事だと誇りに思う。


(決めるのは、俺のような悪役のすることではない。彼女が望むのは俺ではないのだから……)


 ――俺は悪だ。それも巨悪だ。

 全ての正義を否定して突き進む、絶対悪である。

 ロクシスは一通の手紙を(したた)め、唯一己が求めた男へ会うために歩いていった。



 ゼクスが一通りの買い物を終え、自室へ戻ってくる。今日、この部屋ともお別れだと思うと少しだけ胸に来るものがあった。最初こそ最悪な部屋だと感じていたが、今ではそれなりに使い勝手が分かり、何だか愛着さえ湧いていた。

 すでに最後の挨拶を白光祈騎士団(ルミナス・クロイツ)の仲間には済ませてある。しかし室長のアランにはまだだった。彼は任務で夕方まで帰らないらしい。

 だからゼクスは用意してあった羊皮紙に、羽ペンを走らせた。


「オッサン。今まで色々とサンキューな……。いや、ここは敢えてアランさんと書いておきます。もしなにかの拍子に会ったら、また話そうぜ! そうだ、酒でも飲もう! けっこう俺は強いからな。覚悟しろよ……。よし、これでいっか……」


 書き終わった手紙の内容に頷きながら、ふと思った。やはりこれだけじゃ味気ない。

 自分がアランと一緒にいて滅茶苦茶楽しかったってこと、まったく分からないんじゃ意味もない。


「やっぱ俺とアランといったらこれだよな……。追伸、良い育毛剤手に入ったら送るぜ、ハゲ! 俺はハゲと同じ部屋で、マジで良かったって思ってる!」


 今度こそ良い内容に纏まった。

 ゼクスは手紙をアランの机の上に置き、近くに落ちている重石を乗せておいた。

 さてこの部屋とも本当にお別れとなったわけだ。

 もう一度だけ、感慨深げに部屋全体を見渡した。熱い何かが頬を伝いそうになったが、ゼクスはそれをすぐに堪えて顔を輝かせた。


「よっしゃ! いつか必ず俺の名を世界に轟かせて、この部屋に住んでいたって宣伝して、それで、それで……ぜってぇーこう言わせてやる!」


 あらゆるものを振り切って、ゼクスは腕を振り上げ天を突いた。


「この部屋には昔、英雄が住んでいたってな!」


 ドアの外に出る。秋っぽい郷愁の念がこみ上げるが、それを心の奥底に仕舞い込む。


 もう――後戻りはできない。


 覚悟はとうの昔に決まっている。

 握りこぶしを作ってゼクスは力強い足取りで廊下を歩いていった。



 もう誰にも会うことはないのだと思っていた……。

 しかし大きな城門の前にはたくさんの人がいるのが見える。幻想なんかじゃない。白光祈騎士団(ルミナス・クロイツ)の仲間に、クローシェに、なんとアランまで……。


「なんでいるんだよ……?」


 言葉が湿り気を帯びる。


「なに言ってやがる。お前の門出を祝うために速攻で任務を片付けてきてやったんだよ」


 ゼクスに向かって、ハゲを夕日に煌かせたアランがニッと笑いかけた。光がツルツルの頭に乱反射していてとても眩しい。

 だからこれはきっとそのせいだ。この頬を伝う熱いものは絶対に眩し過ぎるせいに決まっている。


「なんだ、ゼクス。泣いてやがるのか?」


 意地悪そうな笑みを見せるアランだったが、その目からは大量の汁が出ていた。ひょっとしたらゼクス以上に涙もろい奴なのかもしれない。


「うっせ! 泣いてねぇよ! これはハゲが眩しいからだ!」

「だぁー! だからハゲじゃねぇ! ……って、ホントお前ってヤツはよ、最後の最後まで……。だがよ、これでまた俺一人の部屋になっちまったじゃねぇか、はぁ早く新人こねぇかなぁ~、それもどこかのバカで礼儀知らずなヤツがよ!」

「前は嫌だって言ってたくせに……」

「気が変わったんだよ。しょうがねぇだろうが……。ああっと後もつかえてるからこの辺にしとくか。んじゃ、楽しかったぜ、ゼクス」


 言って手を差し出してくるアラン。その大きな手をゼクスは力一杯握り返した。


「ゼクス。この私が言うのも本当に何だが……アリスティア様を頼む!」


 続いてクローシェが前に出てきて頭を下げてきた。


「分かってるって! 任せとけよ!」


 断言できる。そのために自分は行くのだから……。


「ああ、お前なら任せられる……」


 クローシェも涙を目に溜めながら、懸命に言葉を紡いだ。

 そんな彼女を見つめ、ゼクスは大きく頷いてやった。アリスを想う気持ちで負けるつもりはないが、それでもクローシェの想いも十二分に伝わってくる。

 クローシェとゼクスはいわばアリスの騎士同士だったのかもしれない。彼女は団長で騎士を預かる立場の者だ。この国の一大事に抜けることなど許されない。

 だからせめて、気持ちだけは共に連れてってやるよとゼクスは思った。


「ゼクス」

「クレスにソフィア」


 クローシェの次に来たのは団の仲間であるクレスとソフィアだった。中でもクレスは剣を一番教えてくれた師匠でもある。クローシェやロクシスもそういった意味では師匠なのだが、たぶんクレスに言う師匠とは違う。

 クローシェはさっき言った同志の通りだし、ロクシスにいたっては好敵手であり、たぶん……友だった。


「ゼクス君。貴方一人だけに任せっきりにしてしまい、本当にごめんなさい」


 今この国をアリスのために出てゆくということは、それすなわち未来永劫このシュレイグ王国には帰れないことを示している。つまり、肉親だろうが、親友だろうが、彼らが会いに来てくれない限り会えないし、そもそもほとんどの確立で死に直面することになる。

 これをもってアリスについて行けるという人間は、限りなく0に近い。


「ソフィアは悪くないよ。僕が……」

「クレスもソフィアもどっちも悪くなんてねぇよ! 普通はついて行かないって。でも俺はアイツに誓っちまったからさ。絶対に守ってやるって」

「ゼクス君……」

「ゼクス……」


 二人ともが悲しげとも嬉しさともとれる複雑な表情を作った。

 その複雑さが彼らの苦悩をこれでもかというほど露わにしていた。だからゼクスもニッと笑ってやるのだ。いつだって仲間たちは心の中にいるし、離れていたってきっと繋がっている。

 そう、信じられる。


「俺たちは同じ団の仲間だ。きっとどこかで繋がってるって信じてる。だって空はどこまでも繋がってるんだからさ!」


 両手を大きく広げるゼクス。見ている者たちには、そんな彼が翼をもってして羽ばたいているかのように思えた。


「ははっ、本当に君ってヤツは……ゼクス。君と一緒に任務ができて楽しかったよ」

「おう! 俺も楽しかったぜ。それにクレスは師匠みたいなもんだしな。色々、ホント、お世話になりました!」


 ゼクスは一度大きく頭を下げた。

 いきなりの出来事にクレスはたじたじだった。何せゼクスがこんなことをするなんて思っても見なかったのだ。

 しかしそんなクレスを見かねたソフィアが肘で突っついた。腹黒な彼女らしからぬ、本当の微笑みを携えながら。

 だからクレスは大きく頷いて。


「ああ。こちらこそ、良い弟子を持てて誇らしいよ」


 ゼクスとクレスの二人は拳を作り、同時に打ち合わせた。


「ゼクス君。コレを持って行ってください」


 言ってソフィアが分厚い紙を手渡してくる。見るとそこにはびっしりと文字が書き込まれていた。これはやはり、アレだろうか……。


「みんなで作ったんです、寄せ書き。これぐらいしか、できないから」


 白光祈騎士団(ルミナス・クロイツ)の仲間たちからの言葉で埋め尽くされた寄せ書き。それを大事そうにゼクスは背負い袋の中に仕舞い込んだ。


「サンキュー、みんな!」

「おうよ!」

「しっかりやんなさいよ、ゼクス!」

「絶対に死ぬんじゃないぞ!」

「アリスティア様を頼んだぞ!」

「あいよっ!」


 皆の挨拶と激励にゼクスは力強く答えた。

 そして最後に出てきたのは団長である、ロイドだった。彼は目を涙で一杯一杯にしながら歩いてきた。ウルウルと光る目がちょっと可愛らしい。


「ゼクスさん。わたくしから言えることはこれしかありません。どうか、ご自分が信じた道を進みなさい。どんな馬鹿げたことも行動しなければ、なにも獲得できはしないのですから。貴方なら、きっと大切な人を守れます。そう確信しております」

「団長……」

「わたくしたちは必ずや、シュレイグ王国を良い国にし、皆が豊かに暮らせるよう尽力します。そしていつの日か、精霊との友好も成してみせますよ!」


 ロイドは彼にしては珍しく語気が強い。静かに強かった。それはどんな大声で叫ばれるよりも、ゼクスの心の奥底まで溶けるように響いてゆく。

 ゼクスは思わず、団長の顔をマジマジと見つめた。彼の表情はとても優しそうで、しかしどこか険しいものだった。

 決意を固めた男の顔とでもいうのだろう。


「その粋ですよ、団長! 俺もフリーダインで頑張ります!」

「はい、頑張ってください。それと……アリスさんに、これを。よろしく頼みます」


 ロイドは確信していた。ゼクスならアリスを救えると。

 故に手紙を託すのだ。

 あの忌まわしき事件の、全ての真実がそこには記されている。


「任せてくださいよ! アリスは絶対に俺が助けます」


 そう言ってくれるゼクスに笑顔を返しながら、ロイドは彼の心の臓に人差し指を押し当てて――。


「ゼクスさん。貴方との時間はとても楽しいものでした。厳しい任務をまるで遠足のように感じさせてくれるのです」


 ロイドの言葉に想うところがあるのか、白光祈騎士団(ルミナス・クロイツ)の面々がそれぞれに頷いている。


「だからこそ、大切なものは全部、貴方の心の中にあります。我々はいつだって貴方のことを応援しています。違う星々が輝く遠い空の下、いつだって。もしもくじけそうになった時や、悲しかった時、思い出してください。皆が貴方を想っていることを……」

「……はい、団長」


 ゼクスは涙で濡れた顔を笑顔でより一層(きらめ)かせた。

 いつだって忘れない。忘れてなんかやらない。

 記憶は風化するものだが、それをゼクスは許さないだろう。バカだけど、バカなりに思い出すのだ。


 永遠(とわ)の絆を信じ――。


 これで彼らの絆は永遠のものとなった。

 (たと)え世界が変わっても、変わらないものがそこにはあるのだから……。


 ゼクスは皆に背を向ける。悲しくなんかない。

 この胸の中には、確かな絆があるのだ。恐れるものなど何もなかった。想うことを忘れずにいれば、いつだって皆との絆が自分を立ち直らせてくれることだろう。

 大切な事は全て心の中にある。

 だからもう振り返らない。守るべき人が自分を待っているのだ。

 時間は十分にある。後は彼女がいるであろう牢獄を目指すのみ……。


 しかし――。


「大変だ! 聖女(マリア・ステラ)様の刑執行が急遽早まったらしい!」


 シュレイグ城から走り出てきた兵が知らせた内容は驚くべきことだった。


「なにっ! なんで!」


 ゼクスは声を荒げ問い詰める。アリスが国境に運ばれるのはまだのはずだ。刑が早くなるなど聞いたことがない。

 これはロクシスの父、ゲイルジアの策略だったのだがそのことに思い至る者は誰もいなかった。


「ゼクスさん。今はそんなことに構っている場合ではありません。急いで出立しなければ、すべてが無駄になってしまいます!」

「そうでした! んじゃ、みんな。さよならは言わないぜ! またなっ!」


 最初から最高速で駆け出した。もうなりふり構っている場合ではないのだ。

 慌しい別れになってしまったが、ゼクスの頭はアリスのことで占められていて、そんなこと全く考えてもいなかった。



 転がるようにしてシュレイグ王国の外へ出る。

 そこに、彼はいた。赤い髪を風で揺らしながら、不動のように佇んでいる男は――。


「ロクシス……」


 意外な人物だっただけに思わず立ち止まり、その名を呟いてしまった。


「てめぇ……今更どの面さげて――」


 ロクシスの家である、クレメンテ家。かの家が裁判を執り行い、不正とも言える速さで閉廷させ、自分たちが立ち入るのを一切許さなかったのだ。

 その怒りをゼクスはロクシスにぶつけてしまった。彼が悲しげに顔を曇らせているのに気がつかぬまま。


「すまない……」

「そんな言葉だけ許されると思ってんのか! お前はアリスのこと知ってたんじゃんなかったのかよ! 婚約者じゃなかったのかよ!」


 力任せに胸倉を掴み、詰め寄った。アリスの婚約者だと聞いた時、胸が張り裂けそうなほど痛かった。それでもロクシスならば、もう少し態度を何とかすればアリスとお似合いだと思って割り切ったのだ。

 それをロクシスは裏切った。ただそのことから来る怒りだけに、ゼクスは支配されていた。


「本当にすまない……」


 掠れた声で謝罪するロクシス。言い訳をしようとは思わない。全て、己が至らなかったからこそ。甘んじて受け入れるしかすべきことがないのだ。


「さっきから謝ってばかりじゃわかんねぇよ! お前はアリスのことが好きじゃなかったのかよ!」

「好きだったさ! 誰よりも好きだった! だけど、その気持ちは俺には向いていなかった!」


 だがこれにはさすがのロクシスも言い返さざるを得なかった。

 どんな罵倒も甘んじて受けようかと思っていたが、それでもこの言葉だけは否定せねば気が済まなかったのだ。


「だからアリスを見捨てたってのか?」


 互いに相手のことを思うことを忘れていたのかもしれない。

 本音を言うのが先走ってしまったために……。


「違う! 俺は……ふははっ、そうだな。俺は見捨てた。もうあの女に利用価値は無くなったからな」

「なに……?」


 でもロクシスは途中で本音を言うのを止めにした。こんなところで貴重な時間を浪費させるわけにはいかない。

 ならばここは自分がムキになって言い返すより、肯定して怒らせ構わなくなればそれが一番良いだろう。冷静で計算高い脳がそのように割り出す。


「俺にはもっと従順な女が似合うんだ。あんな胸糞悪い女、しかも殺人者。たまったものではないよ。だから消した……それだけだ」


 胸が焼けるほどに痛い。

 他人を罵倒しているだけなのに……これほど痛いなんて。

 ロクシスにとって人をバカにするのは日常のことだった。自分より無能な者を見下し、下賎なものを蔑視してきた。しかし唯一の愛する……いや、『した』者と、認めし者までも欺くことがこれほどの痛みを伴うものだと初めて知った。

 これからは人に優しくしよう。素直にそう思えた。人は過ちなくして、何も獲得できはしない愚かな生き物なのだ。


「てめぇ、ロクシス……本気で言ってやがるのか!」

「ふっ……どうでもいいが、行かなくていいのか?」


 だが、その愚か者にも出来ることはある。

 だからこそ精一杯にヒュポクリシスを演じてやるのだ。

 ロクシス・ベルゼ・クレメンテの悪は生半可なものではない! 

 善と悪がこの世に存在するならば、間違いなく己は悪だと知っている。

 巨悪を見せるのだ。


「もうそろそろあの殺人鬼は惨めな最後を遂げていることだろう……。餌か、家畜としてそのまま拉致られたかもな。くっはははっははははははー!」


 悪意に満ちた薄い笑みを刻みながら、残酷な事実を告げてやる。


「くっ……」

「もうどうせ間に合いはしない。だがせいぜい足掻いて、みっともなく絶望することだな。ほらっ……」


 ロクシスは言って持ってきていた手紙をゼクスへ放った。手紙にはアリスが運ばれることとなる場所が記してある。父が本当の情報を公表するわけがない。

 すべてを疑って掛かった息子を騙すことなどできはしないのだ。


「なんだ、コレは……」

「そこにアリスティアは運ばれる予定だ。公表されたのは嘘ってことだな……」

「なんでお前がそんなことを知ってやがる!」

「誰が裁判をしたと思っている、バカが! そんなことより……ハッ」


 ついあまりのバカさに本音を言ってしまいそうになった。


「ま、まぁ信じるか信じないかは貴様の自由だ。せいぜい足掻いてくれたまえよ、ゼクシード」


 バレないうちに戻ったほうが良さそうだ。ロクシスはそれだけ言い終えると、シュレイグ城の方角へ歩いてゆく。

 ゼクスは封を開け、さっそく手紙を読んだ。

 公表されたオルフェウス地方ではない。綺麗な字でアポローン地方へ繋がる国境が記されていた。周囲の地形や、馬などの貸しうけをしている場所、気をつけるべきことまでも書いてある。

 本来ならば、あんなことを言う男など信用できない。しかし不思議とゼクスはロクシスを信じられた。


 ――だってわざわざこんなに細かく書いたり、封をしたりするか……? 


 いくら人間が足掻くところを見たいからといって、普通そんなことまでしないだろう……。


(もしかしてロクシスのヤツは……)


「お、おいロクシス! 待てよ!」


 思い至った瞬間には呼びかけていた。


「……さっさと行け! このバカが! 何度言わせれば気が済むんだ! お前がみっともなく足掻くのを――」

「ああ、そうだな。そういうことにしとくぜ! ロクシス!」


 振り向いたロクシスが見たのは、晴れやかなゼクスの表情だった。


 ――やはり分かってしまったか……。


 さすがにバカでもあれだけ不自然な挙動では分かってしまうようだ。

 自分の青さをロクシスは痛感した。

 しかし――。

 走り行くゼクスの背中を見て、ロクシスはそっと微笑みながら呟いた。決して届かぬほど小さな声で、密やかに。


「頼んだぞ……我がただ一人の友よ……」


 と。

 それにしても今までこれほど澄み渡った笑みを、ロクシスはしたことがなかっただろう。それほどまでに綺麗な笑みだ。

 そしてこの呟きは本来なら聞こえないはずのゼクスの耳に、しっかりと届いているのだった。きっと尋常ではない力が働いたのであろう。

 だから。


 ――任せとけって、友よ!


 心の中でゼクスとロクシスは、互いに友にして最大の好敵手(ライバル)である相手と永遠の決別した。もう二度と道が交わらないだろうと、確かに感じていた……。

 この日からロクシスは変わることとなる。精霊を差別したり、身分の低い者を見下したりすることはなくなったのだ。

 そして彼は目指した。かつて家老が目指し夢見た理想の国家を……。父に知られぬ範囲ながらに、必死になって追い求めるのだった。


 しかし世界は捻くれている。

 彼らがどう思おうが、感じようが、その全てを捻じ曲げるほどに……。

 故に近い将来、ゼクシードとロクシスは再び合間見えることとなる。己の宿命を背負い、決して負けられぬ想いを心に刻みながら……。


 だが未来がどうであれ、今は彼の旅立ちを素直に祝福しよう。

 そう、再びの旅立ちを経て、最後の舞台へ上がるまで。

 ワタシハオマエヲシュクフクシヨウ。


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