第31節『剣痕を持つ者』
『よく言ったな、ゼクシード――ゼクスよ……』
頭の中に直接流れ込んでくるかのような声。
首筋も焼けるように熱い……。いったいどうしてしまったのか……。雷に撃たれ、頭がいかれたのか……?
『そうではない』
(な、なんだ、コレ……アリスじゃ、ないのか……?)
『今は訝しんでいる場合ではないのだよ、ゼクス。黙って、俺の言うことに、耳を傾けなさない』
(は? いったい誰なんだよ!)
焦るゼクス。心の奥底から湧き上がってくる不可思議な声を聞いて、平常でいられるはずもない。
『俺はお前であって、お前ではない者。そしてお前に守り抜くための力を教え、聖女を――アリスティアを共に救う者だ』
心に響く声に対する怪しさは尽きる事はなかったが、『アリスティアを共に救う』という部分で、ゼクスには他の全てがどうでもよくなっていた。
だから、どうでもよくないことだけを尋ねる。
(どうやって救うんだよ?)
『滅す。お前と俺ならば、あの雷龍を撃ち滅ぼすことができる』
(なにぃ! それはホントかっ!)
『ああ、知っている。倒せることを俺は知っている。そしてお前が俺に似て、大人しさの欠片もないところも知っているが、しかし無駄話ができるほど時間を引き延ばす事は、今の俺では難しい。だから簡潔に言う。よく聴きなさい』
心の声は焦らず、冷静で。
まるでゼクスの全てを知っているかのような口ぶり。
そしてどこか優しい声音だった。
(……分かった)
『いい子だ。ではいいかい、ゼクス? ただ闇雲に、人形のように剣を振り回すのではなく、一筋一筋に、剣の軌跡を感じなさい』
(剣の軌跡?)
『そう、俺はこれから、お前に見せるための闘いを斬り結ぼう。だから考えるのではなく、この闘いの剣の軌跡をただ、あるがままに見つめ、感じなさい』
(あるがままに見つめ、感じる……)
『お前には、もうそれができるはず。さぁ、感覚を研ぎ澄まして……。ゆくぞ――』
突如ゼクスは歩き出し、そして風となった。
身体は自分のものなのに、自分ではない何かが身体を動かしているようだった。足は羽が生えたように軽く、大剣はでかいのに、剣珠が嵌ってからというもの全く重みが感じられなかい。
現に、今では大剣を片手で握りながら走っている。
「ぜ、ゼクス?」
アリスは驚いたように、ゼクスをのことを見つめていた。呆然として、何が起こったのか分からないといった風だ。
対して雷龍は危険を敏感に察知し、すでに動き出していた。口からはバリバリと雷鳴が洩れ轟き、その余波で木々がざわめく。
それは雷龍が本気になった証だった。
「あぁ、ついに……ついに覚醒したかえ、ゼクシード」
倒れているウィンリアーヌは目を見張りながら、食い入るようにゼクスだけを捉えていた。
雷龍の口から、特大の雷弾が放たれる。
『薙ぎなさい』
巨大な雷弾が迫り来るが、声に従ってゼクスはそれを大剣で水平に薙ぐ。いや、実際には声の主がゼクスの身体を使って薙いでいるかのような感じだ。
流れるが如く、真っ直ぐな剣線が曳かれた。
するとあっけなく、雷弾は完全に消失してしまった。雷弾の中央を完璧に捉えた刃が通り抜ける、場所。そこからエネルギーが霧散しているかのようだった。
ロイドの大剣でさえ振り回されるように斬っていただけだったが、それよりも一回りは大きいこの大剣を今のゼクスは完全に使いこなしている。
「うそ……」
アリスは信じられないものを見たとばかりに、呟きを洩らした。薄紫の瞳がこれでもかってほど大きく開かれている。
だが次の瞬間には、すでに雷龍の鋭い爪が振り下ろされた。凶悪な刃が、今まで以上のスピードで襲いくる。
『剣を斜めに下げ、左へ飛びなさい』
その爪を、飛んで躱しきるゼクス。
『剣を地面に突き刺し、雷龍の方向へ転換しなさい』
流れる水のような感覚。
かつてないほどスムーズに身体が動く。
ゼクスは大剣を地面に突き刺して駆ける勢いを殺し、すぐさま身体の向きを変え雷龍へ突進した。
しかし雷龍も黙っちゃいない。雷龍は尻尾を使ってゼクスを打ちつけようとした。
『態勢を後ろへ倒すような感じで、下に屈むことで爪を避け、そのままに斬り上げなさい』
声が響く。
バシュー! 重心を落とした状態から立ち上がる力を利用して、跳ね上がるみたいに大剣を振り上げる。綺麗な銀の弧が宙に浮かぶ。さらにその途中で微妙に切っ先を斜めにし、袈裟にする。そうすることで、雷龍の尻尾と翼の一枚が見事にちょん切れた。
変幻自在に剣が動かせる。
どこに切っ先があって、今何を斬っているのか手に取るように分かった。大剣を扱いながらも、流れるような剣捌きはまさしく柔の剣だ。通常大剣などの大きな武器を扱うと、どうしても剛の力になってしまうものだが、今のゼクスにはそれが感じられない。
叩き潰すのではなく、完全に斬り込んでいるのだ。
『ギャオォォォォォォオオーーー!!!』
あまりの痛みにのた打ち回る雷龍。初めて雷龍が空中ではなく、地面に倒れこむ。翼を斬られたことで一瞬だが、浮力を失ったらしい。
ゼクスはそれを追撃する。
しかし雷龍は瞬時に雷弾を生み出し、ゼクスへ放った。即興で作ったからか、それほど大きなものではない。
『上へ飛んで躱し、剣の重みを利用して雷龍のところまで一気に行きなさい』
雷弾をジャンプして躱し、ゼクスは空中で大剣を小刻みに振るうことでバランスを取り、一気に雷龍との距離を詰めた。
そこでもう一度小さな雷弾が飛来する。
『剣を逆手に持ち替え、自身を中心に円を描きなさい』
ぐるぐると回る大剣。綺麗な弧を描きながら、剣戟のバリアを張った。このバリアはいとも簡単に雷弾を弾く。
雷龍の蛇のような眼が、大きく見開かれた。初めて、焦りというものを感じているのだ。生まれながらに、強者である龍。その上位種が、小さな人間に恐怖を感じたのである。
『常に相手の動きに注目し、手の向き、足の向き、顎の向き、尻尾の向き、眼の向き、そして身体から発せられる、大きな流れを肌で感じなさい。ほらゼクス、もうお前にも見えるだろう』
感覚がどこまでも澄み渡ってゆき、詩で強化された時に似た圧倒的な全能感が身に押し寄せ、周りの景色全てがとてもクリアな状態で頭へ直接流れ込んでくるかのようだ。それだけに情報量は異常なほどに多い。
しかしゼクスは、その全てをくまなく理解する。
故にゼクスは声の指示無しに、雷龍の次の攻撃を読むことができた。
相手の爪先が微かに震え、怯えを孕みながらもまだ諦めていない眼がこちらの足を見つめている。
瞬間――ゼクスは自らの意思で、足を空中で引っ込めた。直後、ちょうど足があった場所を雷龍の鋭い爪が通過する。
ゼクスの眼前には、無防備な雷龍の姿だけが残った。
『そう、それでいい。さぁ、ゼクス。これがお前にとっての、初めの一歩となる』
心の中の声は、どうすればここまで優しくなれるのだろうかと思うほどに、優しくゼクスの心へ響いていた。
「ハァァァァァアアアーーーッ!!」
全身をバネのようにしならせ力を溜めてから、がら空きになった頭部に渾身の一撃を穿ってやった。
鮮やかな血が宙に舞い、雷龍の頭をゼクスの大剣が深々と貫いている。雷龍は声を発する間もなく絶命し、かつて黄色かった眼は今や生命の光を完全に失っていた。
バリバリと音を絶えず鳴らし纏わり付いていた雷も消えており、雷龍の巨躯が傾き始めたかと思うと、大きな音を立てて地に沈んだ。
「か、勝った……のか」
ゼクスは半ば心ここにあらずといった様子で呟いた。
『ゼクス、よくやったな。これで……お前は目覚めた……』
声の主が笑っていると、漠然と思った。
『また会お……う、愛し……き我……が剣痕を……継……ぐ者よ――』
激しいノイズが走る。
(は? おい! どうしたんだよ! まだ聞きたいことが山ほどあるのに!)
いくら心の中で呼びかけても、それっきりあの声が再び聞こえることはなく。手を見ると、いつの間にか大剣が消えていた。
しかしどうすれば大剣を再び手に出来るのか、それが手に取るように理解できた。いや、理解できたのではない。最初から、知っていたのだ。
☆
こうして龍との一戦を終えたゼクスたち。
しかしこれで事が終るわけではなかった……。