第14節『VS 龍!』
何事もなく、ゼクスたちは今を歩く。
1日目、2日目と過ぎ、任務は順調すぎるほど順調に進んでいた。今日中は無理そうだが、4日目の明日にはシュレイグ城へ着きそうだと思われる。
そんな3日目。天気は朝から快晴で、見渡す限りどこまでも、のどかな平野が広がっていた。
だからゼクスたちはすっかりこの、のどかな雰囲気に慣れてしまっていた。
「こう天気がいいと、なんだか眠くなってしまいますね」
「そうですね~」
ゼクスは言って大きくあくびをする。ロイドもつられてしそうになるが、慌てて両手で頬を叩いて、眠気を追い払った。
「油断は禁物ですよ、ゼクスさん」
「分かってますって」
えへへぇーと笑っているゼクスの顔つきは、誰がどう見ても緊張感が微塵もないものだった。
「でもどうせならさ、ドカンと一発龍とか出てきてくんないかなぁ~、そうすりゃ任務! って感じなのに」
「なに勝手なことをほざいてるの。龍が出てきたら、貴方なんて瞬殺よ、瞬殺」
アリスは吐き捨てるように言った。
するとゼクスはわざわざアリスのところにまで行き、「あれあれ~、アリスティアお嬢様は、まさかビビッておいでなのですかぁ~?」と憎たらしい言い方をした。そしてさらに彼女の頬をツンツンと突っつくのだった。
アリスはゼクスの指を鬱陶しそうに払いのける。
「ビビッているのではないわ。ただ事実を言ってるの。いくら私の加護が強力でも、貴方の力じゃ瞬殺だってこと。お分かり? ゼクシード・ヴァン・エルトロン君?」
「なんだとっ!」
「なによっ!」
大体から言えば、このような平原に龍が現れるなど滅多なことではない。龍は精霊の区分で、サラマンダーに属し基本的に活火山の火口付近に生息している。時たま、このような平原に現れては狩りをするぐらいだ。そしてまた人間などあまり美味しいものではないため、ほとんど襲われることはないらしい。
だから龍に遭遇する可能性など、万に一つもなかった。
しかし出会えば最後、アリスの言葉通り、瞬殺されるだろう。何せ、龍は精霊族の中でも最強に近い存在であり、神に最も近い能力を有しているとされていた。龍殺しの称号は、かつて最強の騎士団と謳われた紅蓮帝騎士団ぐらいしか賜ったことなどないのである。
アリスは龍の力を知識として持っており、その恐怖も知っていた。しかしそんなことを知らないゼクスにとって、龍とは倒せれば英雄であり、自分の父親に近付くための一歩であるようにしか認識していなかった。
「ほらほらお二人とも、何をじゃれあっちゃってるんですか! そうやって気を抜いてると、本当に龍さんに食べられちゃいますよ! 空からギャオーって」
ロイドは、任務のことなどお構い無しに、いつまでも言い合いをしているゼクスとアリスを叱咤した。
そしてロイドが擬音を叫んだところで、本当に空から咆哮が聞こえてきた。
『ギャオォォォー!!』
本物の咆哮はロイドの真似なんかよりも、ずっと迫力があって、力強く圧倒的な存在を示唆するかのようだった。
「龍か!」
「ええぇっ!?」
ゼクスとアリスは同時に声を上げた。しかし声の性質は両者で全く異なり、一方はワクワクが止まらない歓喜の声で、他方は驚きの悲鳴であった。
「そんなまさかですよね……」
ロイドは情けない声を出した。恐る恐る空を見つめる彼の視線の先には、異形の怪物がいた。
真っ赤な胴体に、直接翼がついている。大きな耳にも見えなくはないが、間違いなく翼だ。
その翼をはためかせ、ゼクスたちの目の前に迫っている。
到底、自身の巨大な体を支えることなどできそうもない、か細い足が2本。そして太くたくましい足が2本、計4本が宙にぶら下がっている状態だ。
長い首が持ち上がり、その目がゼクスたちを捉えた。蛇のような瞳だ。
頭の天辺から背中へかけて、大きな棘のような背びれが走っている。刺さったら、人間などひとたまりもないことは、火を見るよりも明らかだ。
まさしくこの世の存在とは思えない、異形の存在――魔獣だった。
「ま、まさか本当に龍……」
アリスの声が震えていた。
先ほどまでは元気一杯だったゼクスも、龍の放つとんでもない気配に気圧され、ギリリと奥歯を噛みしめる。
完全な快晴が嘘のように、真っ黒な世界となった。雷鳴が辺りに轟き渡っている。雨が降っていないだけ、幾分マシだったが、視界はあまりいいものではない。
「みんな落ち着けって! アリスはファンデミンを遠くへ!」
「う、うん!」
それでもゼクスは団の中では最初に、衝撃から立ち直って見せた。すぐに冷静になるよう声を上げる。団長の指示を待つのが基本のだが、事が事だ。そんな余裕はない。
ゼクスの声のお陰で、どうにかアリスとロイドも冷静さを取り戻す。
それと同時に赤い龍の長い首が、踊るかのように動いた。
牙を剥き出しにし、地表のギリギリを這うように伸びてきた顎を、ゼクスは横っ飛びで躱す。龍は、声を上げたゼクスを狙うことにしたようだ。天空へ上昇していきながらも、その獰猛な眼はゼクスを捉えて離さない。
龍が空へ上る間に、使節であるファンデミンはアリスが安全な場所まで誘導している。
だから今この場にいるのは、ゼクスとロイドだけであった。離れているアリスが戻るまでには、もう少し時間が掛かるだろう。
自分目掛けて強襲してきた龍を、ゼクスは身体を捻ってどうにか避ける。
そのまま龍は平原を滑空するかのように移動し、やがて宙へ跳ね上がった。
翼を羽ばたかせ、ぐるんと方向転換し、再びゼクスたちに襲い掛かる。先ほど避けた際に、ゼクスとロイドの位置が重なってしまっていた。
龍はそれならば両方喰らってやる! って気で突っ込んでくる。
ロイドは足が震えるのを自覚していた。上手く腕が動かないのだ。このままでは直撃コースであるのにも関わらず、体が言うことを利かない。
「なにやってるんですか、団長!」
ゼクスは動こうとしないロイドを横目で認め、急いで服の裾を引っ張って一緒に転がった。すんでのところを、龍の牙が掠めてゆく。
転がりながらも、その勢いの反動を使ってゼクスはすぐに立ち上がり、無防備に見える龍の尻尾へ長剣を叩きつけた。
「――っ!」
ゼクスは、危うく剣を落としそうになった。
龍の鱗は想像以上に硬く、騎士見習いの支給品である長剣が悲鳴を上げ、ゼクス自身の手にも強烈な痺れが走る。
『キシャァァァーッ!!』
しかし今の一撃で、龍は怒りの雄叫びを上げた。龍の狩りとは、元来一方的なものである。龍が獲物を一方的に捕らえ、食らう。だからこそ、ゼクスが効かないけれども、確かな一撃を与えたことに憤っていたのだった。
つまり――獲物の分際で生意気なっ! といった感じだ。
「団長しっかりしてくださいって! アイツ、マジでヤバイっすよ!」
明らかな力量差にゼクスは焦りの声を、ロイドへ投げ掛けた。
ロイドもようやく足の震えが収まってきており、ゼクスの言葉に深く頷く。そして「ここは逃げましょう。我々が勝てる相手ではないです」と、団長らしく極めて冷静に指示を出した。
「はい!」
ゼクスも先ほどまでのように無謀な事は言わず、ロイドが先に走れというので、殿は彼に任せ、全力で大地を蹴り込んだ。
しかし――途中でアリスと擦れ違う。おそらく彼女は引き返していたのだが、ゼクスたちが退散を決めたことを察して、自身も方向転換していたようだ。だがアリスの足はお世辞にも速いとは言えず、このままでは龍に追いつかれるのも時間の問題だろうと思われた。
だから、ゼクスは立ち止まった。
立ち尽くす彼の横を、驚いた顔のアリスとロイドが通り過ぎた。
「ば、バカっ! なにやってんの、ゼクス! 止まるんじゃない!」
走りながらアリスが必死に呼びかけるも、ゼクスは止まったままだ。彼の黒き瞳は、龍が追いかけてくるのをしっかりと見据えている。
「そうですよ、ゼクスさん! 置いていっちゃいますよ! 早くしてください!」
ロイドの叫び声も聞こえたが、ゼクスはシカトし、一拍置いてからこう言った。
「団長とアリスは行ってください! ここは俺がなんとかします!」
アリスにはゼクスがこう言った理由が、瞬時に分かった。振り返って、龍の位置を改めて見て、理解した。
彼は――ゼクスは、私を守るために残るなんて言ったんだ。
理解した瞬間、アリスも駆け出していた。足を震えさせながらも、懸命に龍を睨み付けているゼクスの所へ。
「おいっ! バカヤロー! なに戻って来てんだ! さっさと行けって!」
「絶対に、いやっ! 貴方を置いていけるわけなんてないじゃない!」
――そうだ。私の騎士が戦うというのに、聖女が逃げ出すわけにはいかない。
アリスはゼクスの叫び返すと、すぐさま『祈り』を開始した。女神マリア・ステラへ捧げる最高の聖歌の下準備だ。
ゼクスはアリスを庇いながら、龍の前に立ちはだかっていた。そしてもう一度アリスに、「逃げろ!」と言おうとしたところで。
――詩が聴こえてきた。
魔術の呪文とは違う、聴いたことのない(覚えてないだけ)言葉によって構成された音律。
それはウルフの時とは比較にならないほど、荘厳なものだった。
最初からゼクスは自分が引き付ける間に、アリスとロイドには逃げてもらおうとしていた。しかしあのアリスのバカたれは、「絶対に、いやっ!」とか抜かしやがった。
いやはや、まったくもって、彼女らしい。
だけど――いくら俺でも、龍と俺の差ぐらいは分かる。
正直に言って、一撃でも喰らえばそこで終わりだろう。今だって足がガクガク震えている。だが前を、龍を睨み付けるのだけはやめない。
気持ちだけは負けてはならないと、姉に教わった。聖女を守れと父に言われ、そういえばアリスにも言われた気がしたから。
ドクン――と何かが大きく鼓動したのを、ゼクスは確かに感じた。
その時――ふわっと身体が軽くなった。まるで羽が生えたかのように軽くなって、それから全身の感覚が精錬され、剣の重みが消え失せ、底知れぬ力が漲ってくる。
ドクン――己の中の何かが、激しく暴れまわり、慟哭していた。
何故かは知らぬが、首筋が激痛を放ち、止め処ない涙が頬を伝った。
――ああ、懐かしい。どうしてかは分かんないけど、ただ、懐かしくて……何より愛おしかった。
『Amazing grace how sweet the sound. That saved a wretch like me. I once was lost but now am found, Was blind but now I see.』
(大いなる女神の恩寵、なんと甘美な響きであろう。女神は、私のような罪深き者まで救ってくださる。かつて私は失われ、今、女神に見出され。あの時は見えなかった恵みが、今は見えるのです。)
其れは――祈りが紡ぐ、祝福の旋律。
其れは――女神が授ける、大いなる恩寵。
其れは――忠節なる騎士へ送る、聖女の愛。
「あれは……」
ロイドがゼクスたちのところへ走り寄りながら呟いた。声には若干の驚きと、若干の戸惑いと、若干の歓喜が入り混じっている。
聖女の歌が、たった今、完成した。
アリスの体が暖かなぬくもりに満ち溢れ、白く輝く光が彼女から発せられる。
そのうち体が宙に浮かび上がって、暗き闇を白く照らしだした。長い黒髪がふわりと風もないのに広がり、ライラックを思わせる薄紫の瞳は虚空を見つめている。
続いて、神々しいまでの輝きで、世界が覆われた。
凝縮の限りを尽くしたような濃厚な光は、ぐるぐると渦を巻くかのようにうねりながら、ゼクスとロイドの身へ降り注いだ。
瞬間、ロイドはその光に背中をそっと押されたかのように、凄まじい脚力を発揮した。瞬きすら許さぬ間に、ゼクスたちのところまで到達する。
彼が来るまでの間に、飛びながら迫り来る龍の牙をゼクスは剣でぶっ叩いていた。
するとガキッという音が聞こえ、龍の強固な牙が折れた。そしてさらに、空いている手で拳を作り、龍の側面を殴打してやった。鱗の一部が吹き飛んでそこから出血する。
負傷した龍はよろけたように軌道を逸らし、ゼクスとアリスの横を通り過ぎていった。
先ほどまでは歯が立ちそうになかったのに、聖女の祝福によって、これだけのことが可能となったようだ。恐ろしいまでの能力増幅効果である。端的に言えば腕力、脚力、眼力、集中力、精神力などの力を大幅に増幅させているのだ。
『グォォォォー!!』
龍は牙を折られた激痛に見舞われ、けたたましい咆哮を上げながら、一度は逃げるように天へ昇ってゆく。
「よっしゃぁー! 龍を撃退してやったぜ!」
ゼクスは渾身のガッツポーズを決める。一旦とは言え、見事に龍を撃退したのだ。喜びも分かる。
だが、その拍子に剣も折れてしまった。支給品だけあって、強度はあまりないようだった。聖女の力は剣にまでは及ばない。
及ぶとすれば――それはきっと……魂から創られた剣だけであろう。
「おわっ、なんだよコレ。なまくらじゃんか!」
ゼクスが剣を顔の近くまで持ち上げ、半眼になる。すでに首筋の痛みは消え失せていた。
それと同時に光の奔流が治まり、アリスの髪がふたたび襟元へふんわりと落ちる。
がくりと、彼女の膝が落ちそうになった。急いでロイドが手で彼女を支えた。
「はぁはぁ……ふぅ。ちょっとゼクス! まだ倒したわけじゃないんだから、とっとと逃げるわよ!」
荒く息を吐き出しながら、アリスはゼクスに注意する。
龍は討伐されたわけではない。プライドが高いことでも有名な龍のこと、少し時間を置いて戻ってくるはず。戻ってくる前に逃げ出さねば、マズイことになる。
至高にして、天上の聖歌――『アメイジング・グレイス』。中途半端な祝福の詩を歌って魔力を消費するより、一発逆転を狙ったほうが良いとアリスは判断したのだが、この詩を歌ってしまった今、もう一度アレを歌うのは非常に困難。
いや、不可能だった。
そもそも『アメイジング・グレイス』を歌うことができるのは、騎士団に配属されている聖女の中でもほんの4人しかいない。その内の1人が新人のアリスである。彼女ほど若くして、この詩を歌えた者はいない。そのためアリスは正真正銘の天才として、またローゼンバーグ家の次期当主として、世間ではそれなりに知れ渡った存在だった。
しかしそんなことを露も知らず、知ったとしても変わらないであろうゼクスは、注意してきたアリスに笑顔で頷いた。
「おぅ!」
ロイドは取り敢えず、アリスを抱きかかえようと、手を伸ばした。こうした方が速いと思ったからだ。
だがそれをアリスは手で制して。
「結構です、団長。団長の手を煩わせる必要もありません。ゼクス、私を抱きながら走って。できるわよね?」
「あ、ああ。分かったけど……」
妙に刺々しい言い方だったと感じたので、思わずゼクスはロイドの顔を見やる。
「私のことは気にしないでください。ゼクスさん、お願いしますね」
そう言ったロイドの顔は苦しげで、アリスの表情も硬いものだった。
ゼクスは何が何だか分からなかったが、今は考えてる場合じゃないと割り切り、アリスを抱えて走り出す。ロイドはその後を追いかけるように走った。
走り出してから、ちょっとだけ時間が経って――。
「ちょっとゼクス。どこを触ってんのよ!」
「は? どこって知るかよ、今は逃げるのに手一杯だって!」
「ひゃんっ! ちょっとぉ! この手をどけなさい! この! このっ!」
腕の中で、アリスが暴れ始めた。抱えながら走っている身の上には、多大な影響を及ぼすこと必死だろう。さらにはゼクスの白い髪の毛を引っ張ってくる。
「うわっ! やめろって! 落っこちるぞ!」
本当に落っことしそうになったので、慌ててアリスを抱えなおすゼクス。まったくこの『お嬢は自分の状況が分かってんのか?』という思いだった。
そして、何だか前にも似たようなことがあったようなぁ……と既視感を感じていた。
「むぅ……。後で覚えときなさいよ」
恨み言を言いながらも身の危険を察知したのか、この場は大人しく引き下がったアリス。しかし許したわけではない。今の台詞と、彼女の頬が風船のように膨らんでいることが何よりの証拠だろう。
「へーい、へい。忘れなかったら覚えてますよぉ~」
「貴方は本当におバカね。いい? 忘れないことを、覚えているというの。分かった?」
先生口調になって、偉そうにアリスが言った。やはり我慢や言わないのは性に合わないと分かったようだ。
分かるのはこれだけではない。全身の力を抜きながら言う台詞ではないということも、大いにアリスには分かってもらいたいと、第3の視点は物語る。
いつもだったら喧嘩になりそうな展開だった。
「はーい。分かりましたよ、アリス先生」
だがゼクスにアリスと――きっとアリスにとってもだが――喧嘩をしている暇などなかった。
今は一刻でも早く、村なり町なりに入らないと行けない。村や町には、何故か魔物は襲ってこないのだ。これは人間と精霊との運命の協約に基づくものだが、今のゼクスたちがそれを知る由もないし、知る必要もなく、ただ走ればいい。
こうしてゼクスたちは途中で使節のファンデミンと合流し、ギリギリのところを潜り抜けて、無事に小さな町へ到着するのだった。
ドラゴンとの一戦です。ゼクスは覚醒しませんが、それだけアリスの詩がすごいという感じで纏めました。
誤字脱字、感想等々ありましたらどしどしください。待っております!
ではでは~
親睦会の準備を手伝わされ、やっと開放されたFranzより