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エデンハイド物語   作者: Franz Liszt
王国の章『大地の里編』
17/51

第12節『窓の向こうの夜空』

 アリスが目覚めた時、そこには誰もいなかった。


「ん……ううん。……ここは――」


 そうだ。自分は宴の席でお酒を飲んで――その後、どうしたんだっけ……?

 記憶にない。ここまでどうやって来たのかすら、全く分からない。分かるのはここがベッドの上だということと、部屋が先ほどまで宴を開いていた場所ではないということぐらいだった。

 それに先ほどから頭がガンガンと痛むし、非常に気分も悪い。アリスは二度と酒など飲まないと、深く心に刻み込んだ。


 辺りを見渡すにおそらくここは長老の客室で、自分は酒を飲んでぶっ倒れ、ゼクスあたりに運んでもらったのだろう。

 さすがは長老の屋敷の客室だけあって、ベッドの大きさは普段自室で使っているものと同じくらいの大きさだった。ここ数日は宿を転々としていたため、ろくにぐっすり眠れなかっただけに、今夜こそはゆっくり眠れそうだと思うと、自然と笑みが零れてきた。

 だがしかし熟睡するためには、このガンガンとうるさい頭痛を何とかせねばとも思う。またそれと同時に、何か自分は大切なことを忘れているように感じた。しかし中々思い出せないので、仕方なく一旦諦める。

 そこで、やることといったら決まっていた。着替えだ。寝る前の着替えは、乙女にとって必須だった。アリスは布袋の中から代えの下着を取り出すと、それを(おもむろ)にベッドの上に置く。そして厚ぼったいローブと、お気に入りであるワンピースタイプの白いサマードレスを脱ぎかけたところ、ドアがノックされたので一度手を止めた。

 小さくため息を洩らすと、ドア越しに声を掛ける。


「……誰?」

「あのさぁーアリス。俺だけど……」

「ゼクス? 何かあったの?」


 アリスはドアを少しだけ開けた。声しか聞こえなかったが、アリスの想像通り、ドアの前にはゼクスが立っていた。


「明日のことを連絡に来たんだけど」

「あ、そうだった。すっかり忘れてたわ。ありがと……って、おい! 勝手に入らないでよっ!」


 思わず『おい!』などと言ってしまう、お嬢様のアリス。何せ、彼女が感謝しようとしていた時には、すでにゼクスは彼女の部屋の中へ入っていたのだ。乙女の部屋に勝手に入るなど、言語道断である。

 アリスは急いでゼクスを追い抜かすと、ベッドの上に置いてある下着を乱暴に引っ掴んだ。


「いいじゃん、別に。気にするなって。俺は気にしないから」

「アンタが気にしなくても、私が気にするのっ!」


 下着を背中に隠しながら、アリスは憤った。

 しかしそんなことに気付きもしないゼクス。キョロキョロと部屋の中を見回していたかと思うと、いきなり大声を上げる。


「お! なんだよ、アリスのベッドだけでけぇ! 俺のは滅茶苦茶ちっちゃかったのに!」


 アリスはそんなゼクスに嘆息しながらも、指でドアを指し示して見せた。要するに、「出て行け」と言っているわけなのだが、そんな高等な内容がゼクスに分かるはずもなく、それどころか、ガバッとベッドへダイブしていた。


「ば、バカっ! なにやってるの! ベッドなら自分の部屋のを使いなさいよ!」


 アリスの言葉などお構いなしに、ゼクスはゴロゴロとベッドの上を転がりまわる。


「そりゃあるけど、見てみて、これなんだ? 答えはクロールね。こんなことも俺の部屋のじゃできねぇーほど、小さいんだぜ。ひいきじゃんかよぉ~」


 言いながら、不満げに足をバタつかせるゼクス。本人は泳いでいるつもりだろうが、アリスの目にはどう頑張っても溺れ苦しんでいるようにしか見えない。

 と、今は目の前の馬鹿に付き合っている場合ではないのだと思い至る。


「知らないわよ。そんなこと。私は今着替え中なの。分かる? だからさっさと――」


 そこでアリスは気付いた。気付いてしまった。ゼクスがその手に掴んでいるものを。


 慌てて自分の手の中を確認する――ない! ないないない! ないったらない!


 どこをどう見ても、なかった。あるはずのものがなかったのだ。そしてそれはゼクスが、「なんだコレ?」と言いながら引っ張っているもので、絶対に間違いない。

 ガラガラと音を立てて、アリスの中で何かが崩壊した。


「あ、あ、あなた……そ、そそ、それ……」

「ん? なんだコレ? 変なの。ビヨンビヨン伸びるぜ。なんかおもしれぇ~」


 ゼクスが持っているのは、アリスのパンツだった。結ぶタイプのそれは男が見慣れてなくても当然で、それが何なのか分からなくても全く不思議ではない。


「ば、バカぁ! バカバカバカバカバカぁ! ゼクスのエッチ! いやらしいっ! 変態めっ! コンチクショー! 死ねぇ! 死んでわびろっ! もうアンタにはそれしか残っていない! さあ、早くっ!」

「うわぁ、ちょっ、アリス! 落ち着けって! どうしたんだよ、いきなり!」


 アリスはゼクスに襲い掛かった。ベッドの上に未だ居座る変態に、天誅を下すべしと意気込んでアリスもベッドへダイブ。ゼクスの首を片手で絞めながら、もう片方で頭をポカポカ殴り始める。ついでに胴部へ蹴りも入れておく。


「いたぁ……っ! なにするんだよ! いきなり、どうしたんだよ!?」

「うるさい、うるさい、うるさーい!! これはもうアンタを殺して、私は生きるしかないわね」

「え? いやその台詞なんかおかしいだろ、絶対! そこは『アンタを殺して、私も死ぬ』……だろ!」

「なんでアンタを殺して、私が死なないといけないのよ! 意味分かんない!」

「意味分からないのは、どっちだよ!」


 ギュウギュウ、ポカポカポカポカ――こんな弱い首絞めと軽いパンチで人は死ぬものなのだろうかと、言いながらにゼクスは真剣な疑問を感じてしまった。やはり首を絞めるには両手でなければ意味はなし、というか正直、彼女の手が完全に首を回っていない。

 やがて絞め殴り疲れた様子のアリスが、ベッドの上で停止した。肩で息をしているあたり、かなり本気でやっていたのだろう。そう思うと、ゼクスには何だか笑えてしまった。


「ひぃ、ひぃ、ふぅ……ひぃ、ひぃ、ふぅ……。いい? 貴方はさっき見たものを、即刻忘れなさい。そして一旦、外に出る。オーケー?」


 出産時のような声を上げるアリス。誰にこんな呼吸法を教わったのだろうか……。ふと、語り部の脳裏にあのお気楽で娘バカなご家老の姿が浮かんだ。


「あ、ああ。分かったって」


 と、それは置いといて……。

 顔を上げてきたアリスがあまりにも近付きすぎで、ゼクスはちょっとだけ恥ずかしさを覚えた。いつものローブ姿じゃなく、ドレス姿の彼女は肩と腕も太ももとかも丸見えで、何となく直視しづらかった。だから視線を逸らしながら、大人しく一旦はアリスの部屋を出ることにした。

 部屋を出て、アリスが着替え終わるのを待つ。結局、ゼクスにはアリスが怒ったわけがいま一つ理解できなかった。きっと部屋に勝手に入ったから怒ったのだろう、と結論付ける。

 やることがなく、ただぼんやりしていると、部屋の中から衣擦れの音が聞こえてきた。 一定の規則に従って奏でられるそれは、どこか心臓をドキドキさせる効果を有するものだった。

 ほどなくすると、アリスが「入ってもいいわよ」と声を上げた。

 ようやくか、と思いながらゼクスが部屋へ入ると、そこにはいつものアリスがいた。ローブまでちゃんと羽織っているあたり、徹底している印象を受ける。

 アリスはゼクスが入ってきたのを確認すると、床をビシッと指差した。

 もちろん『そこに正座』という意味である。しかしそんな高等なことがゼクスに通じるわけもなく、彼はまたもベッドの上に寝転がった。少し酔っているのかもしれない。


「やっぱ、お前のとこのベッドはなんか違うんだよな。柔らかいし、デカイし」

「……はぁ」


 アリスはため息を一つ洩らし、もう諦めた。大事なものは全部仕舞い込んだから、もう二度とあのようなことになることもないだろう。後は話を聞き終えるまでの辛抱だ。


「それで、話ってなに?」

「おぅ、それそれ。明日は――」


 ゼクスの説明を直接頭に叩き込みながら、アリスは聴いていた。きっと彼のことだから全部が全部合っていることばかりではなさそうなので、自分なりに補足も入れておくのを忘れない。

 聞き終わってから1、2分脳内の情報を整理した。

 そして頭の中で明日の予定の整理が完了したところで、ベッドの上にいるはずのゼクスを見やった。


「分かったわ、ありがと。もう私は寝るから――って、おい! 寝るなぁ!」


 アリスが見やった時、すでにゼクスはベッドの上で寝息を立てていた。


「なんて寝つきの良さ……。アンタは子供か。おい、ゼクス! 起きなさい!」


 最近のアリスは、『おい』が定番化しているようだった。しかもゼクスにだけだ。

 しかしいくら揺すっても、声をかけても、(はた)いてみても一向に起きる気配がないゼクス。元々酒を飲んでいたから、熟睡してしまったのだろうか……。


「ダメだ。完全に寝てしまっていやがりますよ、このおバカ。人の部屋でいきなり眠り込むなんて、どういう性格をしてるんだか、コイツは……。デリカシー無さ過ぎ。信じらんない、まったく」


 アリスは困ったような、呆れたような顔つきで、しばらく立ち尽くした。


「……………………どうしよう」


 だがこのままいつまでも突っ立っているわけにもいかず、仕方なくアリスは、ゼクスが身に着けている騎士装束から、部屋の鍵を探すことにした。その際に眠っている者の身体から鍵を抜き取るのは、泥棒のようで抵抗がある。それでもやるしかないと決意し、アリスはそっとゼクスの胸元へ手を滑り込ませた。


「なんだよ、アリスぅー」


 不意にゼクスが声をあげた。


「ひゃわわぁ! ごめんなさ――」


 慌てて手を引っ込めるアリス。息を殺して全身を硬直させた。ところが当のゼクスは、相も変わらず気持ちよさそうに寝息を立てている。


「な、なんだ、寝言か……。って、どうして私が謝らないといけないの! 悪いのはゼクスじゃないっ!」


 アリスはやり場のない怒りに、頭がくらくらする思いがした。いっそのことぶん殴れば起きるだろうかと、聖女(マリア・ステラ)らしからぬ恐ろしいことも考えてみた。

 そんなことを考えていると、ゼクスがまた寝言を口にした。


「いちいち、言われなくたって分かってるって。アリスはほんと、うるさいんだから……世話が焼けるなぁ」


 アリスは一瞬ポカンとしていたが、すぐにムッとなった。そんな彼女の現状を知る由もないゼクスは、気持ち良さそうに寝返りを打った。


「もうやめた。やってらんない」


 何だかバカバカしくなってきたので、アリスはこれ以上鍵を探すのを諦めた。考えてみれと、事情をちゃんと説明すればいいだけの話ではないか。そうすれば新しい部屋が用意されるだろう。これだけ広い屋敷なのだから、空き部屋の一つや二つあるに決まっている。

 アリスは荷物を纏めると、ゼクスの足元を通り過ぎてゆく。するとまたゼクスが寝言を発した。


「アリスってば、そんなに急いで食べなくたって、俺が食べてやるから。もっとゆっくり食べろよ。行儀が悪いなぁ、ほんと」


 何がそんなに嬉しいのか知らないが、ゼクスの寝顔はニヤニヤとご満悦だ。アリスはこれほど幸せそうな顔をして寝ている人間を見たことがなかった。いやまあ、それほど多くの人間の寝顔を見たことがあるわけでもないが。


「一体、なんの夢を見てるんだか。それに私は急いで食事をしないし、マナーもできているわよ。できていないのは、貴方でしょうが」


 いつもの癖で、ゼクスの寝言にさえ言い返してしまった。

 こんな調子でしばらくゼクスの寝顔を眺めていた。すると、何だか部屋を移動することすら、どうでもよくなってしまった。結局、アリスは荷物を床に下ろした。

 そしてまずゼクスが握りこんでいる二枚の毛布から一枚だけ優しく抜き取って、ずれた残りの毛布をゼクスの身体全体に行き渡る様に直してやった。夏だからといって、万が一、風でもひかれたら目覚めが悪い。


 アリスはこれら全てを終えてから、今度は窓際に置かれた椅子へ向かった。そしてその椅子に座り、抜き取った毛布――本当は自分のだが――を身体に掛け、窓から外の世界を眺めた。

 窓越しの世界は夜で、空には三日月が輝いていた。

 そしてまた鉄を打つ音やら、地面を掘る音やら、機械が動く音やらが聞こえてくる。こんなに騒がしい場所で眠ることも、今までに一度もなかった。

 里はまだ宵の口に入ったばかりのせいか、そこらかしこに明かりが灯っている。皆が動いている証拠だと思うと、不思議と心が温かくなった。

 アリスはふと、昔よく考えていたことを思い出した。



 ――私は聖女(マリア・ステラ)の名家、ローゼンバーグの者として生を受けた。幼い頃から聖女(マリア・ステラ)となるために厳しい修行を積み、シュレイグ城から出る事など滅多になく、出たとしても城下町を散策するぐらいだった。そんなだから友達なんかいた(ためし)がない。

 また、夜は決まって一人だった。私の家はこういうことに厳しく、自立の心を早くから叩き込まれ、甘えなど許してはくれなかった。唯一許してくれたのは甘いお父様と、あまり記憶には残っていないがとても尊敬している伯母様ぐらいで。お母様や、お婆様、そしてお爺様は決して甘えを許さない人だった。

 だから幼い頃は、暗い夜がとても怖かった。そこで、毎晩同じであっても何かが確かに違う――夜空を眺める習慣がついた。同じ窓から見える夜空はそれほど代わり映えのしないものだったが、私は毎晩その空を見上げては思ったものだ。


 ――この窓とは違った窓から見る夜空は、いったいどんなものなのかと。綺麗だろうか……。月はどこか違うように見えるのだろうか……と。


 そんなことを空想していた。

 だから実際に、初めて違う窓の向こうの夜空を見てみた。

 しかし、今見ている夜空は期待していたほど違っては見えなかった。それでも何だか、いつまでもこうして眺めていたい気持ちになって、私はずっと窓の外を眺めていた。

 もう頭痛はしていなかった……。


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