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エデンハイド物語   作者: Franz Liszt
王国の章『大地の里編』
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第8節『聖女の気苦労』

 空は黄昏に染まりつつあった。もう1時間ほどすれば、西の彼方に太陽は沈んでゆくことだろう。

 ゼクスたちはシュレイグ城を出て、ノームの住まう土地――『大地の里』を目指していた。


(そろそろ村に着くころかしら……)


 朝から歩きっぱなしだったので、暮れなずむ空を見上げながらアリスは思っていた。初日から野宿というのは嫌だった。比較的人間の村やら町やらが密集しているところから野宿では、この先が思いやられるという乙女の理由が垣間見える。

 そんなアリスの心境など全く知らず、また知っていても気にしないであろうゼクスは、鼻歌を歌いながらガンドコ(ガンガンどこまでも行こう! の略) と先頭を歩いていた。騎士見習い全員に支給される剣が納まった鞘をぷらぷらやっている。


 ロイドは地図を見ながら、「そろそろのはずなのですが……」と呟いた。どうやら地図の上では村がそろそろ見えてもいい頃らしい。

 しかし村らしいものは一向に見当たらず、その代わりに野生の獣が見当たった。ふさふさとした毛が体全体を覆い、短めの足には鋭い爪が出ている。そして口から覗かせる鋭利な牙は噛み付かれたら危険そうだ。

 この獣は人間を襲う獰猛な気性であり、名を『ウルフ』という。有体に言えば、狼だ。

 ウルフは基本的に単独で行動をする。そのためゼクスたちの目の前に現れたウルフも一匹だけだった。そしてまたウルフは、自身と同じく単独で居る者を狙う。しかし相当腹が減っているのか、毛を逆立てゼクスたちに今にも飛び掛ってきそうだ。

 このような場合、やはり倒すのがベストだった。後ろから狙われでもしたらたまったものではない。


 それに――ウルフはあんまり強い精霊じゃないから、ゼクスの実践の相手にちょうどいいかも。

 アリスはゼクスには実践を積ませたいと常々思っていた。所詮、稽古などによって得られる技術には限界がある。

 しかし何故アリスがゼクスに……と思っているかというと、ゼクスには強くなってもらわねば困るからだ。強くならなければ、彼がいずれは団長となり、自分がそのパートナー(団長と所属する聖女(マリア・ステラ)の間柄のこと)になるというアリスの未来展望図は不可能のものとなってしまう。

 身勝手な理由だと自負しているが、やってもらわねば困る。


 ――きっとそれを伯母様も望んでいるから。


 ゼクスの父であるジダンと、アリスの伯母であるクリスティアンはパートナー同士だった。その遺志を継ぎ、自分がゼクスを助け、ゼクスが自分を守る。そういう関係になりたいと、アリスは常々思っているのだった。


「ゼクス。ウルフを倒してみましょう。いいですよね、団長?」


 アリスはロイドの許可を求めた。聖女(マリア・ステラ)と団長は同等の地位にあるが、それでも騎士団の総意は団長に付随するものだ。


「ええ、いいですよ。ですが気をつけてくださいね。ウルフさんはお腹がペコペコで今にも襲ってきそうなので」


 今にも襲ってきそうというわりには、ロイドは落ち着いていた。やはり団長クラスになると、ウルフ程度では全く動揺しないのであろう。


「マジッすか! よっしゃ、俺の力をついに披露するときが!」


 途端に、鼻歌を歌うのをやめ、意気込むゼクス。非常に単純な思考回路でできている。


「じゃあ、ゼクス。今補助するから、慎重に構えてて――って、おバカ!」


 アリスが言い終えるよりも先に、ゼクスはウルフ目掛けて飛び出していっていた。

 剣を振り上げて、ウルフに向かって突進してゆく。

 それを目の当たりにし、急ぎアリスは祈りを口ずさみに掛かった。

 騎士団の戦闘の基本は、聖女(マリア・ステラ)が詩を紡ぎ、それによる祝福を受けてから戦いを始めるというものだ。不意打ちやらがあれば別だが、どんなベテランや団長クラスでさえ、この基本は忠実に守っている。

 しかしゼクスは突っ込んでゆく。基本なんてはなから無視上等だった。最初に『待て』としっかり言っておくべきだったと、アリスは後悔した。聖女(マリア・ステラ)に気苦労を掛ける騎士など聞いたことがない。

 詩の前に女神へ捧げる祈りを省略形でちゃっちゃと終え、前を見るとウルフもゼクスの突進に倣うかのように駆け寄ってきていた。もうほとんど両者に距離はない。


「あーもー! あのバカは!」


 歌いながらアリスは額を手で押さえる。正直、頭が痛い。簡易な詩ならば会話ぐらい同時にこなせるが、この頭痛だけはどうにもならなそうだ。

 しかし急を要しそうなのでそうも言っていられず、すぐさま集中して詩を歌い始めた。それほど大掛かりな祝福は必要ない。素早く唱えられ、それなりの効果があるヤツで十分だ。

 そう判断し、アリスは身を入れて歌う。聖歌を紡ぐときの、あの感覚がやってくる。


 ぞくりと背中から全身へ駆け回ってくるのは、聖なる魔力の奔流。

 この魔力を掻き集め、纏めるようにして詩と成す。


『Holy, holy, holy ――Lord Goddess Almighty.』


(聖なる、聖なる、聖なるかな――全能なる女神の主よ)


 詩の上位のものである聖歌であっても、熟練次第では短縮が可能となる。『聖なる、聖なる、聖なるかな』は聖女(マリア・ステラ)にとって、基本レベルだ。効果の対象はただの1人だけで、その効果も純粋な力の上昇だけ。身の守りなどは一切なく、素早さも脚力の増加からくるものでしかない。

 しかしそれゆえに、この聖歌は即興で歌え、またアリスは短縮で歌うことができた。


 詩による聖なる力はすぐにその効能を示す。ゼクスの全身を淡い光が包み込み、光は彼の手と足に流れるかのように流動していた。


「うおぉ! なんか力がでてきたぜ!」


 ウルフを眼前に捉え、急に軽く感じた剣をゼクスは思いっきり振り切った。しかしそれはウルフが横に素早く移動したため、空振りとなる。もう少し見極めてから振れと言ってやりたい。

 しかし実際にはそんなことを言っている暇などなく、すでにウルフはゼクスの背後へ回りこみ、その牙を剥いていた。


「ちょっとゼクス! 後ろ!」


 アリスが慌てて声をあげるが、ゼクスの反応は到底間に合いそうもない。


「まったく、本当にしょうがないわね――フラッシュ=ディア!」


 聖女(マリア・ステラ)のもう一つの技能、韻律(いんりつ)。簡単に言えば、聖女(マリア・ステラ)が扱う魔術のようなもの。しかしやはり聖女(マリア・ステラ)が扱う魔術は、攻撃ではなく、時間稼ぎのためのものや、特殊な通信をするためのものばかりだった。アリスが結団式の際に、ゼクスに使ったシークレット=サインもこれの一種である。

 今しがた使用されたフラッシュ=ディアとは閃光のこと。眩い光を敵に浴びせることで、目くらましの作用を与えることができる。また聖女(マリア・ステラ)が敵だと認識したもの以外には効果はないので、それなりに使える。


『キャン!』


 可愛い悲鳴をあげ、ウルフが地面に倒れこんだ。


「ゼクス! さっさと片付けないさい!」


 余計な一言をきっちり言ってから、アリスはこれ以上の関与はしまいと心に決めた。聖女(マリア・ステラ)が戦闘のために韻律を使用する事は、滅多にない。たとえ使ったとしても聖歌を紡ぐための時間稼ぎ、もしくは自身の最低限の身を守るためぐらいだ。

 魔力はそれなりに消費するし、効果はそれほどでもないし、と韻律には詩ほどメリットがあまりないのだ。

 だから騎士を手助けするためのものでも、本来はない。今の場合はしょうがないとしても、あまり手助けしては、ゼクスは一向に上達しないだろう。厳しさも時には必要だし、極度の甘やかしは不要だ。


 ウルフはすぐさま体勢を立て直してきたが、それでも目が眩んでいるようで動きは先ほどより格段に遅い。素早さが売りのウルフにとって、これは致命傷だった。

 ゼクスは強化された筋肉をフル稼働させ、渾身の一撃をウルフの横っ腹に叩き込んだ。肉を切り裂く確かな感触があった。

 すぐさま剣を引き、次の挙動に備えるゼクスだったが、今の一撃で致命傷だったようだ。

 鳴き声も上げる間もなく、ウルフは小さな音を立てて地に伏した。


 ゼクスは剣を持っていないほうの手を握りこんで、ガッツポーズを取った。どうやら決めポーズらしい。


「よっしゃぁー! 倒したぜ!」


 言葉通りに満足そうな顔のゼクスを見たアリスは、近寄っていきついつい言ってしまっていた。


「なにが『よっしゃー』なのよ、ぜんっぜんダメダメじゃない。あれだけ講義で、聖女(マリア・ステラ)のサポートを待つようにって言っておいたでしょ!」


 言って、詩を歌ったことと韻律を使用したことによる疲労感がどっと押し寄せてくる。


「でもさ、でもさ。勝ったんだし、細かい事はいいじゃん」


 お気楽な台詞を吐くゼクスをアリスは睨み付ける。


「よくないっ! 私が疲れた。もう一歩も歩きたくない。ゼクス、村に着くまでおぶっていくこと。いい? これはお願いじゃなくて、命令ね」


 ずっと歩き通しだったのと、今しがたの疲労で、気だるさが半端ない。まだ歩けるには歩けるが、もう歩きたくなかった。


「しょーがないなぁ~アリスは。もっと体力付けろよ」


 体力には自信があるゼクスは、しなだれかかってくるアリスを背負う。

 そしていざ背負って再び歩き始めると、想像していたよりもアリスは重くなく、というよりも力を抜いているにしては軽すぎて、ゼクスはちょっと驚いた。


「お前軽すぎじゃね? ちゃんと食ってんのか?」

「食べてるわよ」


 気だるそうに答えが返ってくる。


「パン一日何個だよ?」

「3個。朝に1つ、お昼に1つ、夜に1つね」

「うっわぁーありえねぇー! 俺なんか一日20個は食ってるぜ。それでよくもつな?」

「貴方みたいな大食いと一緒にしないで」


 ぐいっとアリスが顔を近づけて言ってきた。無理に体を前に押し倒しているせいで、アリスの体のラインがゼクスには丸分かりだった。

 出るとこは、ちゃんと出ていた。むにゅりと背中で潰れている柔らかな物体の感触が確かにある。


「でもけっこう胸はあるのな」


 素直に褒めたつもりのゼクスだったが、途端に、手が顔面に叩きつけられた。

 パッチーンといい音が鳴って、ゼクスの頬が赤く染まった。


「な、な、ななななんてこと言うのよ! アンタは! 降ろせ! いいからさっさと下に降ろせぇ!」


 ジタバタとアリスが暴れだす。アリスの頬はゼクスとは別の意味で赤く染まっている。

 そんな時に、前を歩くロイドが歓声を上げた。


「ゼクスさん、アリスティアさん。村にようやく着いたようです!」

「だってさ、アリス。もうちょっとだから、乗ってろよ」

「い・や! さっさと降ろしなさい!」

「いいじゃん、いいじゃん! 感謝の気持ちだって。レッツ・ゴー!」


 そう言って駆け出すゼクス。


「ちょ、あぶなっ! いきなり走らないでよ! 舌噛みそうだったじゃない!」


 衝撃が背中越しに伝わり、アリスは必死でしがみ付いた。舌を噛まないように気をつけながらも、最後の暴言をきっちり吐いてから、口をしっかり閉じておいた。

 もう諦めて、宿に着くまで待とうと思ったようだ。聖女(マリア・ステラ)の気苦労はこれからも耐えなさそうである。

 しかしまあ、こうして一行は無事に宿へ辿り着くのだった。





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