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エデンハイド物語   作者: Franz Liszt
王国の章『大地の里編』
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第7節『アリスの父、アントニオ』

「いいですねぇ~、アリスティア様! もう少しですので、しばしのご辛抱を」


 真っ白い部屋の中央で、アリスは豪奢な椅子に腰を下ろしていた。座ると床に届きそうな髪なので、今は纏めてアップにしてある。見た目だけは一級品で、深窓の令嬢のような雰囲気を醸し出している。

 しかしそれはどうでもよく。問題なのはアリスの表情だ。ずっと不機嫌そうに、ムスッとしていらっしゃる。

 なぜなら――。


「お父様。明日は任務で早いのです。ですからこのようなことは……」

「分かっておるよ、アリスティア。だからさぁ、前を向きなさい」


 アリスの目の前には、スマートな笑みを浮かべる男がいた。彼の名はアントニオ・ハンス・ローゼンバーグ。正真正銘、アリスティア・メルカトーレ・ローゼンバーグの父親だ。

 体型と頭脳は非常にスマートなのだが、性格は娘馬鹿のダメダメ。

 アリスはよく、容姿だけならまぁまぁだとしても、何故に母がこのような性格の男を夫としたのか疑問に思い、そして父の性格には似なかったことを女神マリア・ステラに感謝したものだ。


 女神マリア・ステラとは聖女の語源であり、この女神の力を借りて聖女(マリア・ステラ)は特殊な詩を紡ぐとされている。それゆえに、アリスたち聖女(マリア・ステラ)の信仰対象でもあった。


「全然分かっていないではありませんかっ!」


 アリスはカッと目を見開くと、父に詰め寄った。しかしそんな彼女をアントニオはどうにか押しとどめ、


「これもローゼンバーグ家の次期当主として立派な任務なのだ。さぁ、アリスティア。しっかり務めを果たさねばならんぞ」


 と諭した。


「ささっ、アリスティア様、こちらを――」


 画家も早く終わらせたいのか、きっと父に強引に頼まれたのだろう。可哀想に。

 アリスはしょうがないと割り切って、前をしっかり向いた。


 やがて絵が描き終わり、アントニオは大変満足そうな顔をしている。


「うむ、良い出来だ! さっそく部屋に飾らねばっ!」

「ふぅー、やっぱりお父様が欲しかっただけじゃないか……」


 アリスはそんな父の横顔を見つめながら、小さく嘆息した。


「そういえばアリスティア、明日は初任務だね」

「ええ、まぁ」

「よし、城を出るときは私が見送りに――」


 アントニオが言い終えるよりも先に、アリスがそれを遮った。


「来ないでください」


 しかもちゃんとタイミングを計っていたのか、アントニオがちょうど「行こう」と言うところでキッパリ言い切った。


「アリ――」

「絶対に! こ・な・い・で・く・だ・さ・い! お父様が来ると気が散ります」


 アリスは語気を強くして父を丸め込んだ。


「う、うむ。ではね、お休み――アリスティア」


 アントニオは渋々諦め、アリスの部屋から出て行った。しかし彼は本当に諦めたわけではない。ここは一旦、戦略的撤退をしただけだった。

 それを何となく分かっているアリスは、深くため息をついてから、ゆったりとベッドに向かう。ベッドの中で彼女は、お気に入りのぬいぐるみを抱きこむようにして眠りについた。



 ゼクスは明日からの任務のことを考えると、ドキドキとワクワクで興奮が収まらず夜も眠れないのではないかと心配していたが、いつの間にかぐっすりといつも異常に熟睡してしまった。本人が思っているほど、ゼクスという男は繊細にはできてはいないのだ。

 というわけで、ゼクスはアランに叩き起こされるまで一度も目が覚める事はなかった。起こされなかったら、昼間で眠っていたこと必死だろう。


「やっべぇー! 急がなきゃ遅刻だ! アラン、何でもっと早く起こしてくれなかったんだよぉー!」

「いや、普通は自分で起きろよ。俺は今日非番なんだぞ。起こしてやっただけでも有難く思え」

「うわっ! ハゲは寒風摩擦で早起きって決まりなんじゃ……」

「何の決まりなんだ! ってか、俺はハゲじゃねぇっ!」


 電球の光をピカピカの頭で乱反射しているアランから逃げるように、ゼクスは集合場所であるシュレイグ城の正門へ向かった。もちろん全力疾走で。

 しかしそれでもゼクスが着いた時には、すでに正門前にはロイドとアリスの姿があった。


 アリスはいつものドレス姿の上に、ゆったりとしたローブを羽織っている。夏なのに滅茶苦茶厚着である。そんな寒がりアリスは門の前で腕を組み、目を閉じたままふんぞり返っていた。よくあれだけふんぞり返っていて、背骨が折れないと感心する域だ。

 対する隣のロイドはどこか居心地悪そうに佇んでいたが、ゼクスの姿を確認すると、ホッとしたように顔を和らがせた。


「おっはよぉーございまーす!」

「おはようございます、ゼクシードさん。ふぅ。もう少ししたら呼びに行くところでしたよ」


 遅れながらも、人一倍大きな声で挨拶をするゼクス。そんなゼクスに触発されてか、ロイドも朗らかに挨拶を返した。


「このまま夜になってしまうかと思ったわ」


 しかしアリスはゼクスに苛立った表情を向け、挨拶代わりだとばかりに嫌味を言った。

 その表情がとても気に入らなかったゼクスは、アリスのローブに付いているフードを素早く取って頭に被せてやった。


「な、何すんのよっ! このバカっ!」


 フードを取り払って、ものすごい形相でゼクスを睨み付けるアリス。とても聖女(マリア・ステラ)とは思えない怒り具合だ。

 このまま、あっという間に口喧嘩を始めるゼクスとアリス。


「まぁまぁ、落ち着いてくださいお二人とも。取り敢えずゼクシードさんもいらっしゃったことですし、ね?」


 ロイドに言われ、ゼクスは不承不承頷いた。しかしアリスは「ふんっ」と鼻を鳴らすだけだった。


「よっしゃ! ついに騎士デビューって感じがしてきたな!」

「あまり調子に乗らないでよ。私だって聖女(マリア・ステラ)としての初任務なんだから、ちゃんと成功させたいんだから」

「なんだよ、アリスって見習いだったのかよ! いっつも偉そうにしてっから、てっきりけっこう偉いのかと思ってたぜ」

「アンタと一緒にすんなっ! 聖女(マリア・ステラ)は騎士と違って、団に配属されたら一人前なの! 常識でしょ! ってか私が貴方に教えてあげたことでしょう! もう忘れたの?」


 最初こそ口調が変わっていたが、途中で何とか体勢を立て直すアリス。ここには団長であるロイドもいることをすっかり忘れていた。聖女(マリア・ステラ)たる者、淑やかでなくてはならない。


「忘れたっ! でもさ、結局お前も見習いみたいなもんじゃん」

「だからぁ~、私は幼い頃から教会で聖女(マリア・ステラ)となるべく努力を重ね、確かな実力を持ってるの。どっかの誰かさんのように、補欠合格で騎士団に入ったわけではないわ」


 ゼクスのことを、あの英雄ジダンの息子だとか伯母さんの思いとか関係無しに、自分の目で見つめると決めていた――あまりに馬鹿過ぎるので――アリスは、段々熱くなってくるのが他人事のように感じられた。考えると今までに、こんなにも他人と言い合ったことはなかったかもしれない。

 そう思うと、何だか少しだけくすぐったい思いだった。そして同じように熱くなっているゼクスのことを見やると、徐々に冷静になってゆくのを感じた。


「なんだとぉ!」


 ゼクスは今にも飛び掛りそうな勢いで、アリスのことを睨み付けた。だが、当のアリスはプイッとそっぽを向いて、ゼクスのことなど全く相手にしていない。


「騎士団に大切なのはチームワークだって教えたじゃないですか。特に聖女(マリア・ステラ)との連携は……。もうっ! お二人ともいい加減にしてください!」


 普段は温厚なロイドがカッと怒鳴ると、シュンと花が萎れたように大人しくなるゼクスと、ビックリして大人しくなるアリス。


 そんな折、突然、背後から声が聞こえてきた。

 一同が声の方に注目すると、そこにはビシッと決まったスーツ姿の男が歩み寄ってきていた。朗らかな微笑を浮かべた男は、ゼクスの目には出来る男みたいに映った。

 男の姿を見た途端、アリスの顔つきがゼクスとの喧嘩時よりも不機嫌なものになった。特に眼光の鋭さといったら、無言で全てを伝えようとしているかのようだ。


「おお、これはサーバント団長。それに誰かと思えば、アリスティアではないか」


 男――アントニオはアリスに向かって軽く手を上げた。アリスにしてみれば、昨日の遣り取りがあっただけに芝居だと分かったが、何も知らないゼクスとロイドにはアントニオの挙動は自然なもののように見えた。

 しかしゼクスには、サーバントとは誰なのか分からなかった。

 実はサーバントとはロイドの家名なのだが、ほとんどの人はロイド団長と言うので、聞きなれていなかったのだ。それでもアントニオがサーバントと、敢えて言うのには、何か訳がありそうな雰囲気だった。


「これはこれは、アントニオ様! おはようございます」

「うむ」


 アントニオはロイドに向かって大仰に頷き、対するロイドは深々と一礼した。ところがアリスはプイッと顔を背け、ゼクスに至っては(誰だ、このオヤジ?) といった感じで顔にハテナマークを浮かべている。


「それにしてもアントニオ様、こんな朝早くにどうされましたか?」

「今日はね、素晴らしい天気ゆえ、少々空が見たくなったのだよ」


 ロイドの問いに、スラスラと答えるアントニオ。

 しかし――。


「あるじゃん、雲! あそこにも、ほら。あっちにも。素晴らしい天気って曇りのことなんすか?」


 ゼクスはどんどん雲を指差しては、それを逐一報告していった。放っておけば、いつまでも雲の数を数えていそうなゼクスに、ニンマリとアントニオは微笑んだ。しかし汗の量が尋常ではない。


 これはアントニオが焦っている証拠だった。

 だからアリスは噴出して、声を出して笑い始めた。


「ふふっ、あははっ、確かに、確かに。ゼクスもたまには良いこと言うのねぇ~」

「なっ、アリスお前ぜってぇー俺のことバカにしてんだろ!」

「してない、してない。今は本当に尊敬してるだけよ、貴方のおバカさを」

「なんだとぉー!」


 ゼクスが怒り始めたところで、アントニオは咳払いを一つした。彼の表情はどことなく優しげなもので。


「そういえば、今日が白光祈騎士団(ルミナス・クロイツ)の初任務だったね」


 アントニオは優しげな顔のまま、どこまでも調子よく言う。


「はい、左様でございます。我が団はこれより友好使節護衛のため、大地の里へ向かうところでした」

「そうか、そうか。それで今回の任務に同行する、騎士見習いとはその少年なのかな?」


 アントニオはゼクスにゆっくりと視線を当てた。


「はい。ゼクシード・ヴァン・エルトロンと申す者です。ゼクシードさん、こちらの方はシュレイグ王国のご家老であらせられる、アントニオ・ハンス・ローゼンバーグ様です」

「エルトロン……そうか、この者が。よろしく、ゼクシード……それともゼクスって呼んだ方がいいのかな?」

「あっ、はい。それでいいっす。こちらこそ、よろしくな、アントニオのオッサン」


 いつもの調子で軽く会釈するゼクスの態度に、ロイドが急いでヘコへコと頭を下げ始めた。


「すいません、アントニオ様。何分ゼクシードさんは、騎士になったばかりでして……ほらゼクシードさん、何ですかその挨拶は。もっとこう、きっちり立礼なさい」


 ロイドは手本を見せるように、もう一度だけ腰を折った。

 しかしそれをアントニオは手で制し、止めさせる。


「いやいや、サーバント団長。いいんですよ、ゼクス君にはアリスティアをよくしてもらってるからね」

「なっ! お父様! 何を言い出すんですかっ!」


 突然火の粉が降りかかり、アリスが慌てだした。身振り手振りあらん限りを用い、何かを伝えようと必死になっているようだ。

 それをニッコリと見つめながら、アントニオは続きを話した。


「本当のことだろう。アリスティア、お前が話たんじゃないか。今日はゼクス君にこれを教えただの、あれを教えただの。こういうとこがなってないだの……と。口を開けば、ゼクス君のことばかり。ね?」

「ね? じゃありませんっ! そんなこと私がいつ言ったというのです! 捏造はやめてください! 悪趣味です!」

「うむ。捏造とな。でもまぁ、それでもいいかな……」


 何やら満足したようで、アントニオは何度も頷いた。食わせ物の顔つきだ。

 頷くアントニオの顔を見ていたら、ゼクスの頭に一つの疑問が浮かんだ。それをさっそく口から出す。


「なんでアリスはあんな偉そうな態度で良くて、俺はダメなんすか団長?」

「何を言っちゃってるんですか、貴方は。アリスティアさんはいいんですよ」

「うっわぁー、なんすかそれ。差別っすか。女に甘いなんて、団長っていっても所詮は男なんですねぇ~」

「おバカっ!」


 いつになく厳しく言うロイドに、ゼクスはどうしたんだと肩をすくめた。

 ロイドは両手を腰に当てると、眉を吊り上げて頬を膨らませていた。本人は怒っているようなのだが、どうにもこうにも迫力がなく、逆にどことなく愛嬌すら感じられる。


「いいですか、アリスティアさんの名前をよく思い出してみてください」

「えーと、確か……」


 いつの間にか、言いよどむゼクスのことをアリスとアントニオも見つめていた。彼がなんと答えるのか気になる様子だ。


「……そうだっ、アリスティア・カニターマ・ハンバーグだ!」

「全然違うわっ! このバカぁっ!」


 ゼクスが答えた瞬間、本名――アリスティア・メルカトーレ・ローゼンバーグはものすごい勢いで殴りかかっていた。もうすでに、体裁がどうのこうのと言っていた、あの時期が懐かしいほどの勢いで。

 それはそうだろう。あれでは食べ物教の狂信者もいいところだ。

 しかしゼクスは見習いといえど、騎士。体力的にも反応速度的にも、聖女(マリア・ステラ)であるアリスに劣っているはずがない。彼女の渾身の一撃を、サッと身体を捻って躱した。

 そしてアリスはそのまま勢い余ってどこかへ突っ込んでいきそうなので、ゼクスは彼女の手をパシッと取って、グイッと引き戻してやった。


 この結果、アリスがゼクスの胸の中へすっぽりと納まった。しかしすぐさま、グイグイとアリスがゼクスを押しのけて、力ずくで這い出てくる。


「くぅ……これで勝ったとは思わないでよねっ!」


 アリスは顔を赤くしながら、ムキになって大声をあげた。ゼクスには何に対して自分が勝ったのかすら分からなかったが、まあせっかく何かに勝ったらしいので勝ったと思うことにする。勝てば何でも気分がいいゼクス。この辺りがお馬鹿な所以かもしれない。

 このままではまたも喧嘩になるだろうかとロイドが心配していた時、アントニオがいきなり笑い出した。


「はっはっは。いやはや、さすがはゼクス君だな。私でもアリスティアを怒らせるのは一手間だっていうのに、こうも簡単にね……」

「お父様! それはどういう意味ですかっ!」

「そのままの意味だが。まぁとにかく、そろそろ出立した方がいいのではないかね?」

「あっ、そうでした、そうでした。すっかり忘れておりました。ゼクシードさん、アリスティアさん。そろそろ出発しますよ」

「はーい!」

「……分かりました」


 ロイドがアントニオへ恭しく一礼したので、一応ゼクスも見習ってやっておく。しかしアリスは素振りすら見せない。それどころか、プゥッと頬を膨らませてご機嫌斜めだ。

 そしてロイドを先頭に歩き出したところ――アントニオにゼクスは呼び止められた。


「そうだ、ゼクス君。ちょっといいかな?」

「なんっすか?」


 アントニオはゼクスに耳打ちするように、声をすぼめた。


「アリスティアはあの通り意地っ張りでツンツンしてるけど、根は本当に良い子だから、よろしく頼むよ。あの子は君をすごく気にいっているようだからね」

「へ? アリスが俺を? そんなまっさかぁ~」


 いつものアリスの態度から、アントニオが言うようにはとても思えないゼクス。現についさっきも、口喧嘩が始まりそうな雰囲気だったではないか。


「いやいや、あの子が怒るのは理不尽と、気に入った人にだけだよ。それ以外は可愛い淑女になりきっちゃって、相手にもしないからね」

「はぁ……そうなんすか」


 アントニオにそう諭されても、やはり釈然としないゼクスだった。それは(ひとえ)にアリスの淑女的姿を、上手に想像できなかったからかもしれない。


「そうなんすよ。……それではね。娘と仲良くしてやってくれ」


 最後に茶目っ気ある言葉を言い残し、笑顔のままアントニオはシュレイグ城の中へ消えていった。

 ゼクスは彼のほっそりとした背中を見つめながら、ロイドとアリスが待つ方へ駆け出した。すでに頭の中は任務のことで一杯一杯、難しい事に分類されたアリスの件はどこかに仕舞っておかれ。きっと滅多なことでは出てこないだろうと、神の視点は物語るのだった。





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