第5節『結団式』
ゼクスは結団式に出るため、シュレイグ城三階にあるはずの第2会議室を目指して走る、走る、ひたすら走る。目的の場所に向かって、無我夢中で走ったつもりだったが、どういうわけか中々辿り着けずにいた。
「いったい、どうなってるんだよ、この城は。全然着かないじゃんか」
ゼクスはすれ違う人や、城の警備にあたっている衛兵たちなどを捕まえてはその都度、会議室の場所を尋ねて回った。
結局、23人目に訊いたところで、ようやく目的の場所まで辿り着くことができたのだった。すっかり疲れてしまったゼクスはそのまま部屋に帰りたい気分だったが、せっかく来たのだからという理由だけで、勢いよく会議室のドアを開け放った。
「ゼクシード・ヴァン・エルトロン、ただいま参上しましたっ!」
そこにはすでに騎士や騎士見習いの姿がずらりとあった。突然入ってきたゼクスに視線が集中する。
「って、ギリギリセーフっすか?」
「いえ、ギリギリアウトです。とは言え、まだ始まったばかりですので、今回は特別にセーフにしておきましょう」
整列する騎士たちと向かい合うように立つ男は一瞬だけ険しい顔をしたが、すぐに笑顔になる。
男の名はロイド・セイ・サーバント。ゼクスたちの騎士団長だった。
ゼクスの何色にも染まっていない白い髪とは違い、彼は輝く金色の髪を短く刈り込んで揃えていた。口ひげと大きな目が特徴的で、しかもなかなかどっしりとした体型も手伝ってか、とても優しげで愛嬌のある顔立ちをしている。
「ここの団長のロイド・セイ・サーバントです。よろしくお願いしますね」
ゼクスが会議室へ到着する前に、すでに自己紹介は終わっていたが、彼は敢えてもう一度わざわざ挨拶をした。本来ならこのようなことは決してないのだが、それはゼクスを気遣ってというよりも、ロイドの本来の人柄によるものだろう。
ゼクスは他の騎士見習いたちに倣って、整列することにした。
「――んんっ! では、結団式を再開したいと思います」
ロイドは一つ、大きく咳払いをした。
「えー、我が白光祈騎士団の結成にあたり、皆様におかれましてはご機嫌麗わしく、またわたくしの機嫌も尚素晴らしく、まさしく人生最良の日! 夢ならば醒めてくれるなと思うばかりでございます。……いやいや、夢であったら困りますっ!」
ロイドは自分で言った言葉に、不安そうな顔をした。
「申し訳ありませんが、先ほどの貴方。ゼクシードさんでしたね。ちょっと夢でないよと証明していただけませんか?」
ロイドはそう言うと、頬を差し出してきた。そんな団長の姿に、一同から笑いが零れる。
しかしアリスティアだけは笑っていない。
「つねればいいんすか?」
「はい。万が一にもこれが夢ならと思いまして。いやなに、そうでないことは重々承知なのですが、もしも、本当にもしもということはありますので」
「はぁ、分かりました」
間違いなく夢などであるはずがないのだが、それでも本人の気が済むのであればと思い、とにかくゼクスは前へ出た。
「こうですか?」
ゼクスがロイドの頬を軽くつねる。ふと、視線を感じた。
団員たちに視線を向けると、最前列に自分の事を熱心に見つめる長い黒髪の少女の姿があった。
(ん? なんだ、アイツ。俺のことじっと見つめて……ははぁーん、さては俺に惚れたな)
あまりにも熱心に見ている彼女に、そうとう激しい勘違いをしてしまったゼクス。自然とゼクスの表情がふやけてゆく。
そんな中で――声が聞こえた。
『ちょっと、ゼクシード。貴方、顔がにやけていて、少し気持ち悪いんだけど。もう少しシャキッとできないの?』
「えっ! ちょ、なにコレ!?」
いきなり聴こえてきた声にびっくりしたゼクスが、思わず声をあげてしまった。
『おバカっ、落ち着きなさい。今は私が貴方だけに聴こえるように回線を繋げているから、心の中だけで話して』
アリスティアは突然大声をあげたゼクスを宥めようと試みるも、そんなこと関係なしとばかりに、ゼクスは慌てている。
おかしい……。この程度のことは騎士になる以上当然のように知っているはず。さては勉強をしていなかったなと、アリスティアは思った。
「だ、誰だよっ! さっきから俺に話しかけてくるのはっ!」
もうこれ以上は無理だと悟り、アリスティアは回線を切った。そのまま何事もなかったかのように、澄ました顔でその場に佇む。
自らと対象者の間だけで会話を成立させられる、シークレット=サイン。聖女の能力の一つである。力を無駄に使うようなことは滅多にしないアリスティアだったが、ゼクスがあまりに情けない顔をしていたので、ついついやってしまったのだ。
動揺するゼクスは知らず知らずの内に、指先に力を篭めてしまう。
「どうしたんですか、ゼクシードさん? 大丈夫ですか?」
ロイドが心配そうにゼクスを見やるも、彼はそれに気が付かない。
「ゼクシードさん、お手数をおかけました。やはり夢ではなかったようですね」
ロイドは取り敢えず、もう手を離してもいいですよと言ったつもりだった。
ところがゼクスはそれどころではなくて。
「あの、ゼクシードさん。もう結構ですから……」
(何だったんだ、あの声。もしかしてあれが、勇者のみに聴こえるというアカシック・レコード的なものか!?)
ゼクスは頭の中がぐちゃぐちゃになりながら、先ほどの少女を見つめた。途端につん、と視線を逸らされた。
この間も、ぐいぐいとロイドの頬をつねっている。
「ですから、ゼクシードさん。その手を離してくださいませんか?」
ロイドの頬は真っ赤に腫れ上がっていた。
「聴いてます? ですから、つねるのを止めてくださいと……」
ロイドがついに、悲鳴じみた声をあげる。しかしそれでもゼクスにその声を届いておらず、さらに力が篭ってしまった。
次の瞬間――ロイドは本当に悲鳴をあげた。その声はシュレイグ城全体に響き渡るほど大きなものだった。
慌てて近くにいた者たちが止めに入る。もう結団式どころではなくなってしまった。ハチャメチャな宴会のようだ。
そしてこれがゼクスと、聖女アリスティアの最初の出会いであった。後に世界さえも変えるこの出会いを、誰一人として気に留める者はいない。
運命というのは、それだと気づいた時にはすでに始まりと終わりを迎えているものなのだから……。
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騎士はそれぞれの武芸を鍛えるために、特別な任務でも無ければ、稽古というカリキュラムを一日の中で決まった場所、決まった時間に3時間ほどこなさねばならない。武器は様々で剣を使うものが一番多いものの、他にも槍や刀、弓などを扱う者もいる。
多くの者は固定の稽古相手を最初の稽古の時に作り、後はそのまま共に稽古をする。そして大抵は同じ騎士団の仲間の中でやることになる。しかしそれは強制ではないし、稽古という国が規定した時間の中ではない課外のような場では同じ団の者との訓練しかできない。
このため稽古という騎士団の枠組みがない、皆が一緒になって武術を磨く場では違う団の騎士を相手にする者もそれなりにいる。
そんな違う団の騎士同士でやっている者の中に、ゼクスの姿もあった。
彼の相手は赤髪の青年――ロクシスだ。
ゼクスとロクシスの体格は同じぐらいで、武器も長剣同士とまさしくお誂え向きの相手だったのである。
「はぁー!」
掛け声と共にゼクスが袈裟斬りを放った。彼だって騎士見習いになってから遊んでいたわけではない。テストの時に比べ、十二分に強くなっている。
しかし、それ以上にロクシスは強かった。
「甘いっ!」
ロクシスはゼクスの斬り込みを剣で的確に防ぐと、すぐさま手首を効かせゼクスの剣を弾き飛ばした。てこの原理を利用した見事な捌き方だ。
得物を失ったゼクスはバックステップを刻みながら剣を拾いにゆく。テストの時のような追撃を食らわないために身体を左右に揺らすのだ。
そしてすぐさま剣を拾い上げ、正眼に構える。見るとロクシスも同じように正眼の構えを取っていた。
互いの間に緊迫した空気が流れる。稽古場の壁に掛けられた時計の針がカチコチと規則正しい音を奏でるだけ。
この沈黙に耐えられなくなったゼクスは、上段に構えなおしロクシスへ向かっていった。
「いくぜぇ! ロクシス!」
「ふっ……だから貴様は甘いというのだ!」
ゼクスは、全く視線も体も動かさないロクシスがこちらの攻撃を受けてくると思っていた。
しかし違った。
ロクシスはゼクスが飛び出して、自身から3メートルほどの距離に来た時――おもむろに走り出した。
意表を突かれたゼクスは急いで剣を振り下ろす。
が、それをロクシスが斜め右下から振り上げた剣によって阻まれてしまった。阻まれるばかりか、先ほどのようにゼクスの剣は宙を舞っていった。斬るためにその軌道を変えようとした瞬間を狙われたのだ。ほんの一瞬だけ、ゼクスの剣に掛かる力が抜けることをロクシスは完璧に見切っていた。
だがゼクスとてこのまま終わるわけにはいかない。彼は剣など拾いに行かず、今度は肉弾戦を仕掛けた。騎士の稽古に使われるのは刃が付いている真剣だ。少しでも恐れを抱いているならば、肉弾戦などできはしない。
「まだまだぁー!!」
そんな恐れなど微塵も感じていないゼクスだからこそ出来る芸当だろう。それは無謀とも、無茶とも言える。
しかしだからこそ、ロクシスはゼクスを稽古の相手として選んだのだ。テストの時の異常な強さに惹かれたのも事実だが、それ以上にゼクスと戦うのは面白かった。
ロクシスは幼い頃から剣の才能に恵まれ、10歳の時にはすでに大人の騎士と対等の腕前を持っていた。腕力で勝てないのなら、戦略を使い、戦術を磨き上げ、様々な方法で多くの者たちを打ち倒してきた。そのためロクシスの相手を務まるのは、シュレイグ王国でも団長クラスしかいなくなってしまったのだ。しかし”団長同士”……が戦うことは許されていないため、他の相手を探さねばならない。
そんな時だ。ゼクスに声を掛けられたのは。
ロクシスは初めこそ嫌だった。正直、怖かったといってもいい。あれだけの力を見せられたのだ。恐れないほうがどうかしている。
だが不思議とやってもいいと思われ、つい了承してしまったのだ。それからというもの、テストの時の屈辱を晴らすだのと意気込むゼクスに振り回されてきた。
これにも正直、戸惑ったものだった。今までこのように自分に接してきた者はいないし、そんな者を自分は許さなかった。
ロクシスはまた、平民と貴族をはっきりと区別する主義だ。それは身分秩序に基づくほうが、国というものを統治しやすいから。
しかしロクシスは敬語すら使わないゼクスを責めたりはしなかった。
何故ならば――彼が真剣だったから。
この稽古場にいるどの騎士よりも、ゼクスは真剣に稽古に取り組み、どんどん強くなっていたから。
ロクシスは心のどこかで、そんなゼクスのことを認めていたのかもしれない。もし指摘されれば即座に否と答えるであろうが……。
「ゼクシード! 無謀と勇気を履き違えるな!」
でもだからこそ厳しい言葉しか言わない。
将来、それほど遠くない未来に、自分の好敵手となるであろう者に手加減など一切しない。それほどロクシスは優しくも、お人よしでもなかった。
ゼクスのパンチを、蹴りを、的確な最小限の動きだけで躱しきり、そして彼の喉元に素早く剣を近づけた。
後数ミリでも動けば、剣が喉に食い込むであろうところで止める。
「終わりだ……」
どこまでも冷静にロクシスが言う。
その薄い表情からは何も読み取る事はできない。
「くっ……そぉ~」
ゼクスが悔しげに呻くと、微かに触れたのか、首から一筋の血がたらぁ~と流れ落ちた。
いくら見習いの聖女が側に控え怪我を治してくれるとはいえ、急所を一突きされれば、それこそ聖歌レベルの詩を紡げる聖女を至急呼んでこなければ命はない。
故に、ゼクスの命は今や完全にロクシスの手の内にあった。
「ちゃんと最後まで言え、ゼクシード」
「ぐぅ……負けました……」
そこでロクシスは剣の切っ先を下ろした。
稽古は取り敢えずひと段落着いた。
「まだまだだな。貴様は直線的過ぎる。動きが丸見えだぞ。バカか?」
「うっせぇー! どうせ俺はバカだよ! いいさ、今に見てろ! もっともっと腕を磨いて、すぐに追い抜いてやるからな! 覚悟しとけ、ロクシス!」
ゼクスは怒った声を上げながら立ち上がる。そして剣を取り、素振りを始めた。
この体力バカがと、ロクシスは思う。ゼクスの体力の回復力ははっきりいって異常以外の何ものでもなかった。どれだけキツイ運動をしようが、すぐに息を整え平常に戻ることができた。
(あの力もなにか関係があるのか……?)
ロクシスの脳裏にあのテストの時のゼクスの姿がチラついた。それを、首を振って追い払う。
「ゼクシード、腰の引きが足りない。だから攻撃が単調で読みやすくなるんだ」
「へ?」
「貴様がいつまでも進歩ないようでは、俺も張り合いがないからな。それだけだ……変な勘違いはするな」
ゼクスは素直に感謝を覚えた。認めるところはしっかりと認める。それが出来ない者は上にはいけない。
「こうか?」
すぐさま実践に移す。言われた事は覚えているうちに吸収し、モノにしなければ意味がない。
ゼクス自身は全く理解していないのだが、身体でそのことを体現しているのだった。
「もっとだ。もっと、こうだ」
ゼクスが全くなっていないので、仕方なく近づいてグイッと身体を強引に曲げてやるロクシス。遠慮のない力を込めて曲げてやった。
すると当然、ゼクスは悲鳴を上げた。
「いってぇー! もうちょっと優しくできねぇのか!」
「貴様は優しくしなければならないほど、ヤワではないだろう」
そうロクシスに言われると、何だか悪い気はしなかった。
悪い気がしないどころか好敵手に認められているような気がして、少しだけ嬉しかったほどだ。
こうして稽古という騎士必須のカリキュラムは終わりに近付いてゆく……。
これがゼクスとロクシスの関係だった。稽古以外での接点は互いに全くない。
ロクシスはゼクスがどの団に所属しているのか知っていたが、ゼクスはロクシスの団がどこなのか知らなかったし、知りたいとも思わなかった。
自分とアイツは、こういった関係でいいと思ったからだ。