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プロローグ『とある青年』

 あぁ。この”飛び散る飛沫”が、甘い紅茶ならいいのに。


 牧場での朝イチ採れたて脂肪分ぷりぷりミルクと、ジャリリと口内で感じるほどに溶け残った量の角砂糖たっぷりの。青年は、もうずいぶん長いこと目にしていない琥珀色の紅茶の芳香や味を思いだす。


 もしくは、水。“これ”がキレイな水ならいいのにな、と。そしたら、青年が今、行っている行為も『水遊び』のようで大層気持ちがいいだろうにと。


 が、現実はどうだろう。

 この身に浴びるは、赤黒い血飛沫。ヒトのそれより更に煮詰めて濃厚にしたような、錆散らかした鉄の香り。それが鼻腔から青年を鈍重に、憂鬱にさせる。

 青年が醜悪な魔物を一刀両断する度に血飛沫は飛び散り、肌や服に赤く染みつく。いや、そもそも既にとっくの昔に染みついていた。乾いた血液汚れの上に覆いかぶせるように、新しい鮮血を浴び続ける。


 魔物共は、やられた腹いせに血を飛び散らせているとしか思えない程の量をぶちまけてくる。いつからか、いちいち肌や服を洗うのも面倒になってしまった。


 切断した魔物の断面からチラリと見える内臓が、なんだかストロベリーパイやラズベリーパイの上に乗っている、テラテラと光る果実の山のように見えた。あんなものが、一周回って鮮やかでキレイに見えてしまった自分に苦笑する。



 背後に野太い咆哮が聞こえたので、青年は振り返ると同時に、持っていた長剣をその”やかましい主”の方向に力強く投擲する。相手の容貌・位置などの詳細がわからないまま、勘での投擲。


 が、長剣は見事に立派な角の魔物の額に深々と突き刺さっていた。常人なら「これは奇跡!」とヒットを喜んだだろうが、青年にとっては朝飯前……どころか普通の事、他愛ない事なので特に喜ぶ事はしない。青年はずっと、もうずっと虚無感をまとわせた死んだ目をしている。


 倒れた魔物の額から長剣を取りにいく、までの距離の間にいた中型のシカのような魔物を素手で豪快に殴り飛ばしていく。青年は華奢で力がなさそう……むしろ弱そうに見えるが、持ち前の運動神経と体のしなやかさ、躊躇のなさで魔物をぶちのめしていく。筋力増強魔法も適度に己にまとわせているので、シカくらいの魔物なら殴ったり蹴ったりすれば容易に吹っ飛んでいく。


 更に言うと、青年は「魔物のウィークポイント、なんとなくわかるんだよね」という野生の勘で、的確に各魔物をぶちのめしていく。


「触ると毒が体に回る・呪われる」だのと逸話が尽きない魔物の頭部を容赦なく掴んで、膝蹴りを顔面にぶち込む。魔物の鋭い歯が青年の膝に突き刺さったが、すぐに抜いてそばの魔物の眼球に突き刺す。


 倒した魔物に突き刺さった長剣を抜く。青年は、見開き続けたまぶたを弛緩させ、そこでやっと一息ついた。


「………本、読みたいなぁ」


 緊張を緩めると即座に思い出すのが『読みかけの小説や、続きが楽しみな小説』の事だった。先程までのような魔物討伐のせいで、もうだいぶ読めていない。何も読めていなかった。


 こんなにも『活字』に触れていないのは幼少期以来……久しぶりの事だったので、青年の心にはぽっかりと穴が空いていた。頭を使わず、体だけを動かし続ける日々。あの頃のような、非知性的で野蛮な生活をしているような自分がほとほと嫌になった。


 まぁ、今回のこの“野蛮”は『自ら望んだ事』なので、後悔しても嘆いても仕方ないことなのだが。

 と、青年はだんだんと『妻や子供の事より、本の事を思い出した事』を申し訳なく思いだした。

 そこから「家族より、趣味を優先しがちにしてしまって怒られる男のコメディ小説……あれは何だったっけ?」と連想してしまった。


 それを思い出そうとする、久しぶりの知的な脳の使い方をした事による嬉しさで、若干微笑む事が出来た。

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