お久しぶりです、婚約者様。
「いいから、婚約を解消しなさい!私の言うことに逆らうの!?お前みたいな凡百の人間がテールの婚約者なんてそもそもがおかしいのよ。自重しなさい、凡人が!」
「えーと……」
「私は彼を愛しているわ。彼も、私のことを愛してくれている。何があっても、いつも私を優先してくれるもの。夜会のエスコートだって、いつもしてくれるのよ。いつもそばにいてくれる。婚約者のお前より、ずっと婚約者らしいじゃない!」
エリザベス王女殿下は、体が弱いためあまり夜会に参加できない。
だけど時々、体の調子が良い時に参加する夜会には、必ず近衛騎士が護衛として付き添うことになっている。
その相手を、いつも彼女はテール様を指名している。なので、彼女の言うこともあながち間違いではない。
(テール様も……エリザベス王女殿下に【お願い】されたから、ってあっさりそっちを優先してしまうものねー……)
国王陛下も、体の弱い娘のお願いは無下に出来ないのだろう。そういう背景もあるので、テール様だって断れるはずがない。
それでも、たった一枚のメッセージカードだけ寄越して婚約者を放置とか、彼は何も思わないのだろうか。
そんなことを考えているとエリザベス王女殿下が憤慨したように席を立った。
「もういいわ。私からテールに言うから。お前は彼の婚約者にふさわしくないってね」
見下すように、勝利を確信したかのように笑う彼女に、私はぽかんと瞬いた。
(いや、むしろどうぞどうぞ、って感じだけど……)
結局は、テール様がどう思っているか、なのだ。
彼女の言うとおり、彼がエリザベス王女殿下を愛しているなら──この婚約だって、解消するべきだ。
ほかの女性を愛している男の妻になるなど、悲劇の始まりにしかならない。
私だけを愛する男性の妻になりたい。
貴族社会でそれを望むのは、贅沢であることはよく理解している。
だけどそれならせめて。
他の女性に心囚われていない男性がいい。
テール様のことは、今も変わらず好きだ。
十二年間の恋心はそう簡単には殺せない。
だけど、その想いの強さは少しだけ形を変えていた。以前は、彼が私の世界の中心だった。
私の世界は、テール様にあったのだ。
だから、私は彼が何をしようとも彼に置いていかれないように、彼の世界から弾き出されないようにすることで精一杯だった。
だけど今は、無理に私と婚約を続け、結婚するくらいなら──こころから想う女性と結ばれた方がいい。
そう、思うくらいには余裕があった。
後日、何度ドタキャンされてもしつこくテール様にお茶会の誘いを送り続けていると、ようやく時間を取ってもらえることになった。
あまりの執念深さに、おそらく彼は引いたのかもしれない。それくらい、私はしつこかった。
おかんむりな取引先に何度も謝罪訪問するかのごとく、とにかくしつこかった。
私は、根性と粘り強さだけは、前の職場のお局様のお墨付きである。(嫌味たっぷりに言われたが、褒め言葉だと受け取っている)
(……ていうか!こんなにしつこくしないと会えない婚約者って何よ!?もうそれ、婚約者じゃなくない!?)
もはや婚約者とのお茶会、というより仕事の一貫のように考えていたので腹は立たなかったのだがよくよく考えると、やはり私の扱いが酷すぎる。
私は都合のいい女ですか、そうですか!
会いたい時に『会いたい』と連絡すればすぐに都合を付けるちょろい女とでも思われているのだろうか。
自分の価値を蔑ろにされているようで、私はそんな扱いをしてもいい女だと言われているようで気分が悪い。
いらいらしながら約束の場所──デートの定番スポットと呼ばれる城下町の庭園で彼を待つ。この庭園は、迷路のように複雑な生垣が植えられており、恋人たちの戯れの場として知られている。
私も、昔はここでテール様と追いかけっこのようなものをしたなぁ、と思い出す。
あれは何年前のことだっただろうか。
少なくとも、テール様が近衛騎士に入隊する前の出来事であったことだけは、確実だ。彼は、近衛騎士隊に入隊してから──私と会う頻度は、めっきり落ちたのだから。
庭園迷路の中心にある東屋の椅子に腰掛けて、私は彼を待った。
この婚約は、一体どう運ぶのだろう。私が何をしなくても、この婚約は破談になる気がする。
そもそも、エリザベス王女殿下が本気でおねだりすれば、彼女の望みは叶えられるだろう。
国王陛下が、彼女の望みを断るはずがないのだから。
彼女は、自身の望みを叶えるためなら、自身の命すら人質に取ることだろう。
蝶よ花よ、と育てられた大事なお姫様。
彼女の望みを叶えるために、貴族の婚約のひとつくらい、国王陛下はどうとでもする気がした。
(お父様に相談したら、きっとそのまま話は国王陛下に行って、すぐに婚約は解消になるんじゃないかしら……)
その時に作られるシナリオを想像してみる。
『ファルナー伯爵令嬢は、王女殿下とトリアム侯爵令息の愛に感動して、自ら身を退いた』……と噂されるならまだいい方。
最悪、『ファルナー伯爵令嬢とトリアム侯爵令息に愛はなかった。トリアム侯爵令息は、王女殿下に惹かれていたが彼は婚約者がいるので愛を伝えることは出来なかった』……と言った具合に、悲劇にされたら溜まったものでは無い。
そもそも、私はどうしたいのか。
テール様は、どうしたいのか。
それを、確認する必要がある。
私はどうしたいのか、という問いには、そもそも彼がどう思っているのかを聞かないところには何とも言えない。
ひとまず、今日の話し合いがひとつの区切り、あるいは今後の分岐点になることは間違いないはずだ。
懐中時計を確認すれば、もうそろそろ約束の時間だった。
さく、と芝を踏む音がする。
見れば、ずいぶん久しぶりの婚約者の姿があった。仕事を抜け出してきたのか、近衛服に身を包んでいた。