刃傷沙汰は、もう勘弁
「えっ」
メイドが狼狽えた声を出す。
それもそうだろう。彼女が危惧しているのは、暗殺者や刺客といった存在で、私ではない。
だけどエリザベス王女殿下は、私が彼女を傷つける可能性のある人物として認識しているのかそんなことを口にした。
(こういうところ、なのよねぇ……)
配慮が足りない、と言えばそれまでだが彼女はこれを意図的にやっているのだから恐れ入る。その、あまりの性格の悪さと底意地の悪さに。
齢十七でこんなに性格が悪いなど、一体どういう人生を送ればこう育つのだろう。
私は舌を巻いた。
渋るメイドを追い出すと、ようやく一息をついた、と言わんばかりに彼女が息を吐いた。
「全く。彼女たちはなにを心配しているのかしら?例え──嫉妬していたとしても、あなたが私に危害を与えるなんて、ないのにね?」
部屋に私と彼女だけになると、エリザベス王女殿下はいつもは隠している棘を露にする。
私は、そんな彼女を見ながら淡々と言葉を口にする。
「恐れながら、危惧しているのは外部からの侵入者の類だと思います」
流石にね!
自邸で家のものに疑われるのは悲しい。
流石にそこまで信頼がないとは思いたくない。
私の言葉に、エリザベス王女殿下がムッとしたように顔をゆがめた。
「あなた、まだテールに付き纏っているの?」
いや、付きまとってないです。
王城でばったり鉢合わせてから一切あってもないです。お茶会もドタキャンされたし。
そんなことを考えていると、彼女はいらいらしたように言った。
「婚約を解消なさい」
黙っていると、エリザベス王女殿下はキッと私を睨みつけた。腕を組み、私を威圧するように見てくる彼女は、やはり迫力がすごい。
「なぜ婚約を解消しないの」
「私の一存だけでは、何とも」
「あなたは、テールをどう思っているの?やっぱり、彼が好きなんでしょう。だから夫にしたい?束縛したい?」
エリザベス王女殿下は、なにか確信でもあるかのように話した。
テール様のことは好きだった。今も、好きか嫌いか、と聞かれたら嫌いではない。十二年間温めた恋心は、そんな簡単に綺麗さっぱり無くなることは無い。
ただ、以前のようにひたすら思うこころだけは、もうなかった。
私は彼女の問いに答えることなく、逆に彼女に尋ねた。
「王女殿下は、テール様に確認されたのですか?」
「……何を?」
彼女の柳眉が寄せられる。
不満な様子を隠しもしない彼女に、私はさらに言葉を重ねた。
「彼が、私との婚約をどう思っているのか。彼は私との婚約を破棄したいと、そう言っているのですか?……あ!そう言っていたから、王女殿下はわざわざ私に会いに来て、忠言してくださっているんですの……?」
今まさに気がついた!と言わんばかりに言うと、彼女は苦虫をかみ潰したような顔になった。それもそうだろう。
おそらく彼女の行動は独断によるものだ。本日、彼を置いてきたのが何よりの答えだった。
それを知っていながらそんなことを言う私もなかなかに性格が悪いと思うが、仕方ない。
こうでもしなければ前職では生き残れなかった。精神的に。
「……テールは何も言わないわ。彼、優しいもの」
「テール様は私との婚約について、王女殿下に何も言っていないのですね。……安心しました」
あからさまに安堵した様子を見せる。
王女殿下はますます苛立ったようだった。彼女が天然を装って嫌味を言ってくるなら、こちらと天然を装ってその口撃に気が付かないふりをするまでよ!
人工天然vs人工天然、というくだらない戦いの火蓋が切られた。
「言ったでしょう!テールは優しいから、何も言わないのよ!だから私が代わりに忠告してあげてるんでしょう!」
「……そうなのですね。彼が、私との婚約を嫌がっていて、負担に思っている、なんて……知りませんでした」
以前の私なら、きっと彼女の言葉を鵜呑みにしてショックを受けていた。
だけど前世の記憶を取り戻して図太さを獲得した今の私には、そんなのかすり傷にすらならない。
悲しげな声を出すと、エリザベス王女殿下の口元に満足そうな笑みが浮かんだ、ので。
「では、テール様に聞いてみます。殿下、ご親切にありがとうございました」
彼女の行動を善意100%のものだと、あえて勘違いしているかのように満面の笑みを浮かべると、彼女の微笑みが引きつった。
「そ、そんなの聞いたところで答えるわけが無いでしょう!テールは……」
「優しい、のですものね」
彼女の言葉の後を引き継いだ。
私は首を傾げるようにして、顎に指先を押し当てる。
「ですが、今後夫婦になるのなら話し合いは大切ですし……いくら優しいと言っても、本音で話し合わなければお互いに分かり合えませんわ。私たちが今後どうするにせよ、彼とは話し合いが必要だと思うのです。殿下の親切な気遣いに感謝いたしますわ。テール様にもお伝えしておきますね」
にっこりと笑うと、彼女の手がわなわなと震えた。顔は、恐ろしいまでの無表情。
このままだと、私が彼女を、ではなく逆に私が害されそうな気配があった。
体が弱いエリザベス王女殿下が、まさか私に手を上げるとは思えないが、ティーカップくらいは飛んでくるかもしれない。
懸念した私は、王女殿下に尋ねる。
「殿下のご訪問は、私とテール様の関係を心配して……のことですよね?では、話し合いも終わったことですしメイドを呼んでも構いませんか?彼女たちも心配していると思うのです」
「調子に乗ってるんじゃないわよ……」
地獄のように低い声だった。
エリザベス王女殿下は、なまじ整った美しい顔立ちをしているので、無表情で凄まれると少し怖い。
前の職場のチーフを思い出す。彼女もとても美人だったのだが、自分がいちばんでないと気が済まないひとだった。
職場に、少しでも可愛い女性がいれば理不尽に口撃し、自分より劣ると判断した容姿の女性には、嘲りを含んだ視線を向け、馬鹿にした。
その彼女も、痴情のもつれで(なんでもエリアマネージャーの恋人だったらしい。ちなみにエリアマネージャーは既婚者である)刃傷沙汰となった。当時は警察が駆けつけて、たいへんな騒ぎになったものだ……。
私は遠い目で、過去の記憶を思い出した。
刃物を取りだした時の彼女の顔に、今のエリザベス王女殿下はよく似ている。
周囲に刃物がないか、瞬間的に確認してしまった。