こっちは人生かかってますから!
(……最悪だ!)
ほんとうに!
口の中がひどいことになっている私は涙目だった。男のひとは、困惑しながらも私に話しかける。
「エレイン嬢、城に戻ってくれません?」
「このタイミングで聞くの!?」
「いやー……今なら本音も聞けるかなぁって」
「戻らないって言ってるじゃない。私、もう貴族社会はうんざりなの!連れ戻されてもまた逃げるわよ!そしたらあなたも困るんじゃない!?私といつまでも追いかけっこする羽目になるんだから!」
「え?そっか……うーん……」
ほんとうは、今、私は魔法を使えない。
だからここで捕まったら、ふたたび逃げるのはきっと至難の業だ。
しかし、この男はまだそれを知らない。それを逆手にとって私が威嚇するように言うと、男のひとは顎に手を当てて悩み始めた。
「でもなぁ……見つけたらまず殿下に報告……。あ、そうだ。報告しなきゃ」
そう言って、男が魔法陣を描こうとしたので。
私は飛びつくようにして男の腕を掴んだ。
「っーー!」
さらに足の痛みが加速した気がして、私は思わず沈黙した。
男の手を掴みながら、一切何も言わず静まり返る私を見て、彼が戸惑うように私を見た。
「え?何ですか?帰ります?」
これで帰る、って答える方がびっくりでしょ。
私はギギギ……と、まるで油が切れたブリキのような動きで男を見た。そうとう切羽詰まった顔をしていたようだ。男の顔は引きつっている。
「わ──わたし……今、連れていかれたら」
「…………」
「私の逃亡にはあなたも噛んでたって嘘の証言するから!」
「は、はぁ!?」
男が狼狽えた声を出す。
そりゃそうだろう。このひとは、王家の命令でおそらく私を探していた。
その探し人である私が、『実はこのひとも共犯でーす』なんていったら、例えそれが嘘でも潔白が証明されるまではそうとう厳しく追及されるはずだ。
ここまできて城に連れ返されるなんて冗談じゃない……!
「私を城に連れ戻すなら、あなたも道ずれだから!」
「はー!?なっ……なん、なんっですかそれ!」
「あることないこと言いふらしてやる!!」
「それがお貴族様のやることですか!?」
「お貴族様だろうがなんだろうが、私だって死にものぐるいなのよ!軽い気持ちで貴族やめるかっていうの!」
「そりゃそうかもしれませんけど……!俺の立場も考えてくださいよ!」
「それこそ、そんなの知らないわよ!あんたの立場と私の今後なら、私は迷わず後者を選ぶわ!」
堂々とそう言いきったところで、ため息が聞こえた。見れば、テオが短剣を鞘にしまっているところだった。
彼は、言い争う私と男を見て静かに言った。
「そんなことより早く進まないと、野宿することになるよ。それに、【殿下】にも追いつかれる。……アンタはどうする?」
男は、テオに話しかけられてうっと言葉に詰まった様子を見せた。
そして、彼は両手をあげる。
「……はあぁぁ。わかった、わかりましたよ。降参です」
「そう。見逃してくれるのね!」
「このことが知られたら首が飛ぶどころの話じゃないんですけどね……。とりあえず今は、ご令嬢を連れていくことは諦めます」
「うんうん!」
私が満足して頷くと、男はなにか言いたげに私を見てきた。じとっとした目である。
「その代わり、説得は続けさせていただきます」
「おっと」
そうきたか。
しかし、私にも考えがある。
男は、木の幹に背を預けて、どこから取り出したのか刃渡り十五センチほどの長いナイフをくるくると回しながら言葉を続けた。
「こっちとしてもあなたを見失うわけにはいかないんです。俺に下された命令は、【あなたを見つけたら報告すること】。ですが今、報告をあげたらあなたは俺も共犯者に仕立て上げるんでしょう?そんなの勘弁ですよ。ってなわけで、まずはご令嬢を説得することにします。俺って頭良くないですか?」
「あなたの頭の出来はともかくとして、そうしてくれると私も大助かりなのよね」
なぜなら。私は未だ座り込んだ状態のまま、足をぴんと伸ばした。ふたりの視線が私の足首に集中する。
足首を異性に見せるなど、貴族令嬢としてはとんでもないことだが、ここにきて私はようやく吹っ切れていた。
異性に下着を見られるというとんでもイベントをこなした後だからだろうか。
それに、貴族としての【エレイン・ファルナー】はもう死んだのだ。
今ここにいるのは、ただのエレイン。何も持たない、平民の娘。
それに、こんなことでいちいち恥ずかしがってたら今後の生活は立ち行かない!と思ったのもある。
私の腫れた足首を見て、男が「うわぁ」とコメントした。
呑気な男にいらっとして、私は彼を睨みつけた。
「私の足首はこの通り、見事に腫れてます。あなたのせいだからね!」
「え、俺?」
私は頷いた。
こいつが私に襲いかかってきたから、テオに腰を押されたのだ。そもそもの問題、この男が襲いかかってこなかったら私の足は無事だった……!
「つまり、あなたには私の足の面倒を見る責任があるわ。ここまではいいわね?」
「え?えーと」
「チャキチャキいくわよ!追われてるんだから!そういうわけで、あなた──テオと契約してもらえる?とりあえず、私の居場所を密告しないって誓ってもらわなきゃ信じられない」
「は?オレ?」
突然巻き込まれた形になるテオがぎょっとしてこっちを見る。私は今、魔力がなく魔法契約自体ができないのだから、代わりにテオに契約してもらう他ない。
私の今後の安全のためにも、魔法契約は必要不可欠だ。
私は驚くテオに構わず、男を見上げて尋ねた。
「あなた、名前は?」
魔法契約には互いの名前が必要だ。
男は妙な顔をした。白ワインだと思って飲んだら、水だった、とでも言いたげな顔だ。
「へ?名前?……あー」
「隠すとろくなことにならないわよ。こっちは私の人生かかってるんだから!」
「いや、誤魔化してるわけじゃなくってですねぇ」
男は戸惑った様子を見せながら私の前にしゃがみこんだ。
その時、後ろの方からがさがさと音がする。
その音にハッとする。
もしかしたら、追っ手──王太子殿下か、第二王子殿下かはわからないが、近づいてきているのかもしれない。
私は男の肩をガッと掴んだ。力任せに。




