やっぱり王女様が最優先なので
前世の記憶を取り戻して、少し冷静さを取り戻した私は。
今、エレインが置かれている状況を、こう呼んだ。
【放置婚約者】、と。
何せ彼は、なにかと王女、王女、王女、と口にするのだ。それが自身の仕事だから、と。
(お仕事が大事なのは分かるけど、夜会のエスコートも逢い引きの約束もドタキャンして、王女様優先っていうのは……どうなのよ!?)
ずっと感じていたフラストレーション。
それが、前世の記憶を取り戻し、その蟠りが正しいことを私に知らせる。
(これってつまり、よく言う【放置妻】ってやつよね?私の場合は婚約者、だけど!しかも彼の場合、ただのお仕事じゃなくて女絡みだし……!)
王女殿下を女絡み扱いは不敬にも程があるが、しかしそうとしか言えないだろう。
なぜなら、王女殿下は明らかに彼に懸想している。
これで何も思わないのは、婚約者を愛していないひとだけだ。
いや、愛がなくともモヤモヤはするかもしれない。なにせ、とことん私は蔑ろにされて他の女性を優先されているのだから。
──エリザベス王女殿下は、お体が弱い。
それが、彼女が十七歳を迎えてなお婚約者を持たない理由だ。
加えて、彼女は生存に足る魔力すら危うい状況で、あっさりと体調を崩す。
季節の変わり目、軽い運動をした翌日、ストレスや体の負荷が、ほかのひとよりずっと重く現れるのだ。
そんな彼女だから、国王ご夫妻も大切に大切に、手元から放せずにいるのだろう。
甘やかされて育った王女様。
だから婚約者のいる男性を自身の近衛騎士に任命したり(エリザベス王女殿下付きとなったのは、彼女の希望だと聞いている)、婚約者相手に牽制したりと、やりたい放題なわけだ。
(既視感がある……と思ったのよねぇ……)
彼を解放してあげてほしいの、なんて。
よく前世で目にした恋愛漫画で目にしたセリフだ。まさかそれを、私が言われる側になるとは。
解放してあげてほしい、ってすごい言葉よね。それだけで私があっさり悪役になってしまうのだから。
まるで私が、嫌がる彼を無理に縛り付けているかのような。
(……ほんとうにそうなのかしら?)
テール様は、私との婚約を不本意に思っているのかしら。
実は、彼も王女殿下に想いを寄せている?
彼には、何度となく王女殿下の話をしたことがある。だけど元来、私は強くものを言える性格ではない。そのため、彼には嫉妬に駆られた文句としか受け取られなかった。
『だから、彼女とは何も無い、って言ってるだろう?女性の嫉妬は可愛いというけど、行き過ぎると鬱陶しいよ』
──とは、彼の言葉だ。
テール様にざっくり切り捨てられた私は、その晩枕を濡らした。そういうつもりではなかった。
ただ、エリザベス王女殿下は、どう見たってテール様に想いを寄せている。それで、あからさまにボディタッチをしたり、親しげに振る舞ったりするのだ。婚約者という立場でなかったとしてもきっと気になっていただろうし、婚約者なら尚更だ。
そう思って指摘したのだが、彼はうんざりとした様子だった。
その彼の冷たい言葉にますます私は萎縮して、お茶会自体の空気は最悪だった。
彼も居心地が悪かったのか、早々に帰ってしまったし。
(そう思うと私って結構健気じゃない?)
前世の記憶を──少なくとも社会人まで生きただけあって、図太さを入手した私は、今の自分をそう評価した。
ハッキリと物もいえずにウジウジ泣いてばかりで鬱陶しい女、とも言えるが、一途で健気な女とも言えるだろう。
翌日、テール様とのお茶会の約束は、予想通り──というべきか、ドタキャンされた。
理由は、エリザベス王女殿下の発熱。
『王女殿下が体調を崩された。今日はキャンセルで』
たったそれだけのメッセージカードを見た瞬間、私は思わずそれを握りつぶしていた。
昔は、最初の頃は、もう少し気にしてくれていたと思う。
なぜ、彼が出なければならないのか。
迷惑をかける私への謝罪。
そういったものがつらつら並んでいたものだが、数が増えるにつれ彼も慣れたのだろう。やがて、私を馬鹿にしきっているとしか思えないような一方的な文章のみとなっていったのだ。
私室の、お気に入りの椅子にどっかりと腰をかける。
メッセージカードが届いたのは、当日の朝。
約束は、昼の十五時過ぎだった。
すっかりこっちはそのつもりだったのに、こんなたった一枚のメッセージカードで無かったことにされるのだから、やっていられない。
ため息を吐いていると、扉がノックされた。
「カロリーナです。お嬢様、トリアム侯爵子息様はなんて?」
入室の許可を出して、近寄ってきたメイドのカロリーナに私はメッセージカードを差し出した。
「今日はなし、ですって」
「あら……。エリザベス王女殿下のお加減が悪いんですのね。……心配ですね」
……心配ですね、だぁ!?
心配なのは私のメンタルよ!!
私の心配をしなさいよ私の!
あなたは私のメイドでしょうが!
思わずそう叫びたくなったが、ぐっと堪える。
仕方ない。アーロア国は王制国家だ。
王族が優先されるのは当然。
(……だからこれも仕方ない、か)
……いや、仕方ないかどうかは関係ないでしょ!
大事なのは、仕方ないことをどうフォローするか、でしょう!
そもそも仕方ないわね、と言えるのは迷惑をかけられた当事者だけであり、迷惑をかけた側──テール様が、免罪符代わりに使うものでは無いはずだ。
社会人経験を踏まえて、多くの人間と関わり、荒波に揉まれた私はこれが理不尽である、と考えていた。
私はため息を吐いた。
一体、これはいつまで続くのだろう?
もしかして、結婚して、私が子を産んでも変わりないのだろうか……?
それを考えるとゾッとする。
家庭より、ほかの女を優先する男。
前世の──日本人としての価値観を覚えたためか、その想像に嫌気を覚えた。
しかもその想像は、限りなく近い未来、必ず訪れるものだ。
私が産気づいて出産の時を迎えても、きっと彼は『エリザベス王女殿下がー』と鳴き声のように言うのだろう。
何なんだ、エリザベス王女殿下が泣いたり傷ついた時は必ずテール様はそばにいなければならないのか。それならそれを許される立場になったらどう!?
ぐるぐると憤りが渦巻いて、私は席を立った。
朝から、どのドレスを身につけようかと考えていたのに、それも全て徒労に終わった。
いくつか身につける候補に上がっていたリボンは、メイドに指示して片付けさせるべきだろう。
……なんだか、ドッと疲れた。
エリザベス王女殿下から、私宛の親書が届いたのは、その翌週だった。




