軽薄男の婚約者様
私とエリザベス殿下の間に立ったのは、今しがた話題の人物であった、私の婚約者。
テール・トリアム様。
彼は私をちらりと見てから、彼女に話しかけた。
「おひとりで行動するのはおやめください」
「あら、いつものように話してくれていいのよ?あなた、いつもそんなふうに畏まった話し方をしないじゃない」
「ここは公の場ですから」
「私とあなたと、彼女しかいないのに?」
「それより、殿下。なぜ単独行動をなさっているのですか。殿下が見当たらないと、可哀想に担当の騎士が青ざめていましたよ」
私を置いて、ふたりは話し出す。
こうしてふたりが話すところを直接見るのは初めてだ。
ずいぶん親しげだ。
ここに、あなたの婚約者がいるのですけどね?優先するのは、王女殿下なのね。
彼にとって私は、背景の一部に過ぎないのだろう。
私はふたりの様子を観察した。
テール様は、私といる時とは違い、砕けた雰囲気を感じる。気安い空気感、とでも言うのだろうか。
エリザベス殿下の方は明らかだ。
楽しげに笑みを浮かべて、あからさまにテール様にボディタッチなんかしている。
婚約者の前でそれですか、そうですか。
先程まで私に詰め寄っていたというのに、こうも態度が変わるものか。
そりゃ、そうよね。好きな男の前と、嫌いな女の前じゃ、そりゃ態度も変わるわよねー……。
完全に部外者、あるいは傍観者の立ち位置となってしまった私が静かにしていると、不意にテール様がこちらを向いた。
あ、一応私の存在には気がついていたんだ。
彼の瞳が、訝しげに私を見た。
ずいぶんな温度差だ。
王女殿下には、安堵した様子を見せていたじゃない?
私に気遣いは不要なのでしょうね、そうよね。
「きみはどうしてここに?」
そんなの、目の前の彼女に呼び止められたからにきまってるじゃない。
答えようとしたところで、エリザベス殿下が当然のように言った。
「ぐうぜん見かけたから、立ち話をしていたのよ。ねえ?」
ねえ?は私に向けられた言葉だ。
あながち間違いでもなかったし、わざわざ訂正する程でもなかったので頷いて答える。
そうすると、テール様がため息を吐く。
どこか、疲れたように私を見た。
「……エリザベス殿下は、アーロアに残る最後の王女なんだ。ほかの王女殿下は、既に嫁がれて国外だろう?とにかく、どこに危険があるとも分からない。不用意な行動は慎んでくれ」
私は、思わず呆然とした。
(…………えっ?)
それ、私に言ってるの?
私に注意しろ、と言っているの?
思わず、口ををあんぐり開けてしまいそうになった。
長年、令嬢として育ったためにそんなはしたない失態は犯さずに済んだが、目を見開いてしまう。
ダメ押しのように、彼が言う。
「僕の婚約者なら気をつけて」
(は、はーーーー!?)
なんですってーーーー!?
もう何を言えばいいのかすら分からない。
僕の婚約者なら、気をつけて?
あなたの婚約者なら、ってどういう意味?
【近衛騎士の婚約者】は、王女殿下に嫌味を言われても、婚約者に一方的に注意されても、我慢しなきゃならないの!?
そもそもあなた、王女殿下の話を聞いただけじゃない!
どうして王女殿下といい、テールといい、決めつけてかかってくるのか。
私は憤慨していた。
ムカつく。その長い髪を掴んで振り回してやろうかと一瞬、本気で考えた。
「もう、テール。私なら大丈夫よ。あなたは過保護だわ」
「過保護とかじゃないって。ルイにも言われてるだろ。僕がどう、とかじゃなくてさぁ……」
テールの言葉が砕けたものになった。
エリザベス殿下がちらりと一瞬、私を見る。
その瞳は愉悦と優越感に満ちており、くちびるが嘲るように弧を描いた。
「……失礼します」
私は、ふたりに静かに頭を下げた。
彼女の瞳に、優越感に満ちた笑みに、もっと、腹が立つかと思った。
しかし、意外にも私は激昂することはなく、代わりに手足が冷えるような感覚を覚えた。
私とテール様は、幼い頃に出会った。
出会いは、私が五歳、テール様が九歳の時。
幼い頃の私は、四歳年上の彼がとても大人に見えた。私の手を取って外の世界を教えてくれる彼の姿はどこまでもきらきらと眩しく見えたし、素敵だったのだ。
『きみは、夏の妖精みたいだね』
そう笑う彼に、恋をした。
今思えば、その時から軽薄な性格だったのだろう。彼は、女性にはいつも甘い言葉を囁くから。
だけどその時の私は、馬鹿正直にその言葉を受け止めていた。
彼が、誰彼構わず女性を口説くひとだと知る、十五歳の頃まで。ずっと、私は彼の言葉が私だけに向けられたものだと信じていたし、思い込んでいた。
それは、甘い甘い、砂糖菓子のようなものだった。
だから私は大切に、大切に、お気に入りの装飾品をジュエリーボックスに仕舞い込むかのようにずっと、大切にしていたのだ。
『エレインの髪は、お日様の色だね。きみの髪はいつも、いい香りがする。お日様の匂いだ』
そうはにかむ彼が好きだった。
彼となら、この青空の下、どこまでも行けると思った。
『一緒にひまわりを見に行こう?ファルナーのおじさまも、僕が一緒ならきっと許可してくれるよ』
私より四つ年上の婚約者は、何かとわたしに構った。
幼い頃から引っ込み思案で内気で、あまり外に出たがらない私を外の世界に連れ出したのは、いつも彼だった。
私の手を引いて、彼は私を外に連れて行ってくれたのだ。暑い日差しを浴びながら、ふたりでひまわり畑を歩いた。
私も彼も、はしゃぎすぎてふたりして顔を真っ赤に染めた。
その時のことを、彼は今も覚えているだろうか。
馬車に乗り込んで、私はぼんやりと窓の外を見る。
彼のこころがどこにあるのか分からなかった。
彼は、私よりもずっと、エリザベス殿下を大切にしているように見えた。
「王女殿下と私、どっちが大事なの、なんて……」
本気で思う日が来るとは、思わなかった。
思ってもみなかった。