その頃、アーロア国②
「それは……」
塔から飛び降りる時は、咄嗟のことに止めるのが間に合わなかった。
その後は、自分も湖に飛び込み、エレインを追おうとした。
しかし水を含んだ服は重たく、一度岸に上がったのだ。
その時、川岸に並べられた材木を見つけた。
それで、これは使える、と彼は考えた。
エレインは滝つぼから落ちていった。
テールが追いかけてきたことによほど驚いたのか、彼女は目を見開いていた。
そのまま彼女は呑まれるように滝つぼから落ちていった……のだが、彼女の魔法の才は折り紙付きだ。
おそらく、魔法でどうにかしたのだろう。
早く彼女に追いつかなければならない。
しかし、この重たい近衛服ではどうしようもない。追いつく前に、自分が身動きを取れなくなる。
そう思ったテールは、川岸に置かれた材木──丸太を流し、自身も走って下流に向かった。
とりあえず重たい近衛服は脱げばいい。
それからエレインを回収し、丸太に捕まって川岸に上がればいいと彼は考えた。
──まさか、自身が投げ込んだ丸太が彼女の頭を殴打するとは、彼も思ってもみなかったことだろう。
しかも、エレインはその衝撃で気絶し、川に流されていったのだ。
彼が下流に向かうと、そこには丸太がゆらゆら揺れているだけで、当然だがエレインの姿はなかった。
(くそ……一足遅かったか)
彼は、エレインが逃げたと考え込み、短く舌打ちをした。
彼女がどこに向かったのか、彼には皆目見当もつかない。
この川は、そのまま海に繋がっている。
『エレイン・ファルナーという貴族の娘は、ここで死にます。どうぞ、エリザベス王女殿下と幸せになってください』
彼女の言葉を思い出す。
彼女は、【貴族の娘は】という主語を使った。
つまり、彼女自身は死ぬ気は無い、ということだ。そもそも、彼女ほどの魔力とそれを行使する技術があれば、どこにでも行けるし、どこでもやっていけるだろう。
エレインとテールの婚約は、エレインをアーロアに根付かせるためのもの。
それなのに、自分はエレインに見切りをつけられてしまった。
じわじわと、自身のしでかしたことの重さを、理解をするような思いだった。
しかし、彼にも言い分はある。
エリザベス王女殿下のそばにいるのは、自分が彼女の近衛騎士だからだ。
テールがエリザベス付きになったのは、国王直々の勅命だった。
アーロアの貴族として逆らえるはずがない。
国王には、何かとエリザベスを見ておくように、と命じられていた。そのため、テールはより一層彼女の体調や行動に気を使った。
エレインがエリザベスを気にしていたのは知っていたし、時には、彼女は泣き出す寸前みたいな顔でテールに詰め寄ってきたが、しかしこればかりはどうしようもない。
では、職を辞してエレインのそばにいればそれで解決するのか、と言ったらそうではないだろう。
彼女がそれを求めているとも思えない。
それに、近衛の家の人間としてテールも近衛騎士を辞めることはできない。
だからこれはもう、エレインに折り合いをつけてもらうしかないのだ。
今はまだ、彼女は十七と年若い。
あと五年、十年もすれば彼女自身、自分がどうしようもないことを言っていると自覚するだろう。
テールがしているのは仕事であり、浮気ではないのだから。責められる方がおかしい。
王から『エレインの捜索はこちらでやるからテールは何もするな』と言われ、彼は謁見の間を出た。
重苦しいため息を吐き、首の裏をがしがしと掻きむしる。
「くそ……」
どうして、こんなことになったのだろう。
自分は、どうすべきだったのだろうか。
だいたい、エリザベスは自分と結婚なんかしてどうするつもりだというのだろう。
(王女殿下をお守りしたい気持ちはある)
しかし、それは自分が近衛という職についているからこそ、だ。
それは決して恋愛感情からではない。
エリザベスが自分に抱いているのは、気に入りのおもちゃをそばに置いておきたいというもので、愛とか恋とかそういうものではない気がする。
テールにとって、エリザベスは恐れ多くも妹のように感じていたし、そう接していた。
彼女の方も、彼を兄のように慕っていたはずだ。それがどうしたって、結婚だなんだ、という話になるのだろう。
そのまま、うんざりとした思いで回廊を歩いていると、ふと反対側からひとりの男が歩いてくるのが見えた。
今もっとも会いたくない人間だった。
近衛としてはあるまじき考えを抱きながら、テールはその場で胸に手をあて、騎士の礼を執る。
テールの少し前で立ち止まった男──つい先程、話題に昇った第二王子、アレクサンダーは目を丸くした。
金の髪を持つ国王よりも少し色素の薄い、白金の髪。くるくるとカールした毛先は、猫っ毛だろうか。
彼は、頭を下げるテールを見てにこやかに笑った。