幸先悪いスタート
(生きてる……)
一瞬、ほんとうに死を覚悟したけれど、なんとか私は生きていた。
貴族の娘としては死ぬつもりだったが、ほんとうに命を落とすつもりはなかったというのに。
滝つぼに落ちたあと、私は水中にせり出している木の枝に引っかかり、九死に一生を得た。
水中で魔法を行使することは至難の業だし、無詠唱で行使できる魔法などたかが知れている。
気休めに過ぎないが水魔法を展開し、水中を蹴り上げる。
ようやく、酸素を求めて私は水面に顔を出した。
「っぷはぁーー!」
酸素が美味しい!生きててよかった……!!
今ほど命に感謝したことはない。
私は、すぐさま詠唱を唱え、魔法を使うと自身にかかる浮力を操った。
あたりを見渡すと、ここは下流の川のすぐそばのようだ。このまま水流に沿って進むと、海に繋がり、海を挟んだ向こうに隣国がある。
とりあえず、もうこの国にはいられない。
海を挟んだ隣の国のアルヴェール国に、私は亡命する予定だった。
(テール様は追いかけてきてない……みたい?)
上を見るが、ひたすら水が流れ落ちてくるだけで、人影は見えない。
流石のテール様も、私と一緒に滝つぼに落ちるのは避けたかったのだろう。
彼はあまり魔法行使が得意ではなかったはずなので、滝を下ってくる可能性は低いだろう。
しかし、彼が私を追ってきた以上、油断は禁物だ。
なぜ彼は、私を追ってきたのだろう。
少し考えて、答えを出す。
(いやー……誰だって、目の前で塔から飛ぼうとしてたら止めるわよねー)
でも一緒に湖に飛び込んだのは驚きだ。
テール様、泳げたっけ?
近衛所属なら、泳ぎもできるか。
彼は私を捕まえて、何を言うのだろう。
どうせ、今更な謝罪とか、『そんなつもりじゃなかった』とか言うのだろう。
全て、遅いのだ。
その言葉は、今ではなく、もっと前に聞きたかった。
あのお茶会の日。
彼が真摯に、真剣に私の話を聞いて、一緒に悩んでくれたなら。
今とは違う未来も、あったのかもしれなかった。
今更思っても仕方ない考えだ。
私は思考を打ち切って、今後の算段を立てた。
とりあえず、早いところこの場を離れよう。
王家は、首輪の外れた私を連れ戻そうとするだろう。
両親も私を探すかもしれない。
テール様に謝られて、それを私が受けいれて、元通り、なんてことにはなりたくない。
どうせそうなったところで、エリザベス王女殿下の存在が消えてなくなるわけでもないし、なにかが変わることもない。
結果、私が我慢する、しなければならない関係に戻ることは嫌だった。
貴族の娘としての死まで選んだのだ。
もう、社交界には戻らない。
安易な気持ちで、この選択をしたわけではない。
私は滝とは反対側の海に繋がる方向へと視線を向けた。
だから、気付かなかった。
ちょうど次の瞬間、滝の上から太い丸太が濁流に乗って降ってきたことに。
「うぎゃっ!?」
ガコン!という音と、頭を直接揺さぶられるような衝撃。
比喩ではなく、ほんとうに目の前に星が散った。
頭に大きな衝撃を受けた私は、何が起きたのかすら把握出来なかった。
(え!?は……!?)
一体何が起きたというのか。
驚きも束の間、私の意識は闇に飲まれていった。
何かを考える余裕すらない。
強制的なブラックアウト。
……いわゆる、気絶。
こうして、私の逃亡&亡命生活は踏んだり蹴ったりという、あまり幸先いいスタートと言い難い始まり方をしたのだった。