私も私で、幸せになりますので!
記憶を取り戻す前ならきっと、苦しいと思いながら、それでも耐えることができただろう。
だって、それがアーロアの常識で、当然で、当たり前なのだから。
でも、今の私は前世の記憶と知識、経験を持っている。
もう、以前のように我慢し、耐えることはできないと思った。
王女殿下のために、涙を呑んで身を退くと書けばお父様もお母様も私を強く責めることはしないだろう。後は、トリアム侯爵家とファルナー伯爵家、そして王家を含めた三家で今後の話をすればいい。
トリアム侯爵家には、
『王女殿下のお言葉をいただき身の振り方を考えた』
『仲睦まじい王女殿下とテール様を見ていて、もうテール様の婚約者ではいられないと思った』
『突然のご無礼をお許しください。私のことはお忘れください』
……というような内容を記した。
エリザベス王女殿下は、この件で咎められることはないだろう。
何せ、彼女は甘やかされた王女様なのだから。王子殿下たちは基本エリザベス王女殿下に関してはノータッチを貫いているし、国王ご夫妻は彼女を溺愛している。
王女殿下としては、私という邪魔者がいなくなったことでしてやったり、というところかもしれない。
テール様が彼女を女性としてどう思っているかは分からないが、上手くいくでも関係が破綻するのでも、好きにしたら構わないと思っている。
(他人の恋路に巻き込まれて苦しむなんてまっぴらごめんだわ!ドロップアウトさせていただきます!)
しかし、最後の言葉は上手く決まらなかった気がする。
何せ、塔の最上部から身を翻しながらだったので、『私も私で、幸せになりますのでぇぇぇ』と情けなく語尾が伸びてしまったような。
(……過ぎたことは気にしても仕方ないか!)
切り替え、切り替え!
手筈通りに進んだのだから、次は今後のことだ。
私には生まれつき膨大な魔力がある。
内気で、外遊びより家にいることを好んだ私は、昔からひとり細々と魔法の勉強をすることを好んだ。
テール様に外に連れ出してもらうまでは日々を家で過ごしていた。
ひとり部屋にこもり、蔵書室からありったけの魔法に関する本を持ち出して、昼夜問わず魔法の世界に没頭していた。
ほぼ独学だったが、幼少期の時間をほとんどを魔法に費やした私は、幼い頃からだいたいの魔法を行使することができるようになっていた。
そんな私を両親は『暗い』と評し、お兄様は私の将来を心配していたが、私には貴族の社会はあまりに華やかすぎたのだ。
魔法の勉強は、高難易度の魔法を使いたい、という高尚な気持ちから始めたものでは無かった。
ただ、それ以外やることがなかった、というのと、新しい魔法を使えるようになる度に達成感を感じ、自己肯定感の低かった自分を少しだけ、認められるような気がしたから。
細かい作業と集中力を求められる魔法は、華やかな世界に物怖じし、なにかに没頭して現実逃避したい私にはぴったりだったのだ。
元々、私とテール様の政略結婚は、私のこの体質が理由で結ばれたものだった。
生まれつき、国内でも稀有な魔力量を保有していた私を逃がさないために結ばれた婚約。
一歩間違えれば人間兵器になりかねない私に首輪をつけるために、トリアム侯爵家はファルナー伯爵家に婚約を打診したのだ。
トリアム侯爵家は、代々王族に仕える近衛の家。
この婚約は、私がアーロアから逃げないよう、トリアム侯爵家を通して王家が監視するためのものだった。
……今となっては、その王家の行動でアーロアから出ようと思っているのだから、本末転倒というか、なんというか。
しみじみそう思いながら、水中の浮力を操って湖を泳ぎ渡っていると、後方でドッボォオォォン!と派手な水しぶきが上がった。
「なっ……!?」
驚きのあまり、思わず振り返る。
すると、遠くの方にひとりの人間が見えた。
この場合、人間、というのはどう考えてもひとりしか思い当たらない。
(うっそでしょ!?テール様、追ってきたの!?)
だからといって、塔の最上部から飛び降りるか!?度胸試しじゃないんだから!
私は自分の行動を棚上げして、追ってきた彼にドン引きしていた。
その次の瞬間、ドドドド……という、重低音が聞こえてきて我に返る。
(しまった!!湖の水流は下流の川に繋がってるんだった……!!)
本来なら滝つぼに落ちる前に水魔法を行使する予定だったのだが、テール様の予想外な行動で発動を忘れていた。
(間に合わない……!!)
ドドドドド、と水が落ちる音がする。
滝つぼが目前で、今から魔法を唱えたところで詠唱し終える前に多分、私は落ちる。
(う、うっそーーーー!)
そのまま、私は水に呑まれた。
落ちる瞬間、目をきつく瞑り鼻と口を抑え、衝撃に備える。
そのまま私は、あーれーと言わんばかりにあっという間に川に落ちていったのだった。
【一章 完】