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全て、手放すことにしました。


私は、テール様との婚約を解消したいのではない。

いや、彼と今後の人生を共にできるかと言われたらそれは否なのだけど、そうではなくて。

そもそもの問題、私は貴族の娘であることを辞したいと考えていた。

以前の私ならともかく、前世の価値観、考え方を知ってしまった私が、この国で貴族夫人として生きていけるとは思えない。

あらゆる理不尽を容認して生きるのが、貴族の女性の生き方といわれても私は許容できない。納得のいかないことがあればその度に反発心を抱くだろうし、状況を打破したいと思うだろう。

だから、私に貴族の妻は合わないのだ。


そう思った私は、全てを捨てることにした。

ファルナー伯爵家の名前も、トリアム侯爵子息の婚約者、という地位も。貴族の娘として与えられた全てを、手放すことにした。


約束の時間は、夕方の五時。

塔の最上階で、私は茜色に染まりつつある空を眺め、彼を待っていた。懐中時計を取り出して確認すれば、約束の時間まで、あと三分。


(テール様は来るかしら……)


来るだろう。来るしかないだろう。

あんな手紙を貰って無視したら、それこそ最低だ。そんなことがあれば、彼の紳士としての名は地に落ちるだろう。

そして、五時ジャスト。

塔の階段を駆け上る足音が聞こえてきた。

来た、と思って振り返ると同時、息を切らせた婚約者様がそこにいた。

いつも緩く編まれている銀の髪が乱れている。

肩で息をしている様子からして、よほど焦ったのだろう。動揺に目を見開いた彼を見て、私はそっと微笑みを浮かべた。


「お待ちしておりました、テール様」


私たちの関係に終止符(ピリオド)を打とう。

今から私は、あなたにさよならを言う。


「手紙、読んでくださいました?」


問いかけると、彼がほんの僅かに息を呑んだ。


「……あれ、どういうこと」


恐ろしく低い声だ。

未だ、動揺しているのだろう。

彼のそんな顔は、今まで見たことがない。

凄むかのように、彼が私を睥睨する。

以前の私は、気がちいさかったので、彼にこんな瞳で見られたらきっと怯えて何も言えなかった。

私は、テール様を静かに見返した。

よく見れば、彼はその手になにか紙を持っていた。それはぐしゃり、と握り潰されている。

私が出した手紙だ。

私の問いに答えるように、彼がさらに言葉を重ねた。


「最後に会って伝えたいことがある……って、何?」


──そう。私は、彼にお別れの手紙を出したのだ。


『最後に、会ってお話したいことがあります。植物園に一緒に行く約束を果たせず、申し訳ありません』


という、どこからどう読んでも決別としか取れない、お別れの手紙。

これを無視されていたら、後日侯爵家に手紙を送る手筈だった。


『最後にお話がしたい、とテール様にお手紙を出したのですが来てくださらなかったので、こういう形でのご挨拶となりました。事後報告となり、申し訳ありません』といった内容の手紙を。


私は、茜色に染まった空を背に、彼をじっと見つめた。まじまじと彼を見るのは、ずいぶん久しぶりだ。出会ってから、十二年。

私を外の世界に連れ出してくれた少年は、青年になった。

彼の、落ち着いた色の瞳が好きだった。

四つ年上の彼は、私の知らないことをたくさん知っていた。内気な私に、外の世界の楽しさを教えてくれた。

テール様を思い出すと、いつも夏の記憶が蘇る。


好きだった。初恋だった。


それは、確かな想い。

その気持ちを、捨てることは出来ないし、なかったことにする必要はないと思っている。


彼に失望して、酷い形で恋が終わるくらいなら。

まだ辛うじて過去の記憶を穢されていない今の内に、私の手で終わらせたい。

私の【彼を好きだった】という気持ちまで、彼に蔑ろにされたくない。

彼を好きだったことを、彼に恋したことを、後悔したくない。

過去を思い出した時、こんな恋をしたな、と思い出せる程度には……綺麗なままで、あってほしい。

現時点で既に後悔の片鱗は見えつつあるが、幸いなことにそれはまだ完全な形ではない。

だから、その前に。

彼の手によって、ぐしゃぐしゃに踏みつけられる前に。

私の手で、終わらせる。


私は、彼の胸元に視線を落としていたが、ゆっくりと顔を上げた。肩、首、顔。

視線が交わる。テール様は、とても情けない顔をしていた。困ったような、恐れているかのような。私は石造りの手すりの感触を後ろ手で確かめる。

そのまま、彼を見つめて言った。


「テール様。私は、これから死にます」


「…………はっ!?」


驚いたように彼が言う。

私は、彼の動揺を無視して話を続けた。

前もって用意していたセリフを口にする。


「エレイン・ファルナーという貴族の娘は、ここで死にます。どうぞ、エリザベス王女殿下と幸せになってください」


当てつけのつもりは一切ない。

ただ、もう嫌になってしまったのだ。

彼らの諍いに巻き込まれるのも、私ばかりが骨を折るのも。

貴族の社会では当たり前な理不尽を、私は許容できない。


「待て、エレイン。話をしよう」


思わず、鼻で笑いそうになってしまった。


「私はあなたに話をしようとしました。でも、聞かなかったのはあなたでしょう?」


「そんなに思い詰めてるとは思わなかったんだよ」


彼は、焦りを含んだ声で早口に言った。

私は淡々と答える。


「思い詰めているのではなく、見限った、と言ってください」


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